希蝶 のコメント

>>127
 Dr.Uさん

 よしりん先生が過去に出版された「天皇論」の論理ですと、元明天皇から元正天皇の継承は、女性天皇から女性天皇なので、女系ではないか、という論旨になります。

 この場合も、草壁皇子が「岡宮天皇」と追号されているので、「不登極の帝」(即位をしていないけれども「天皇」扱い)という定義をすればただの「女系」ではなく、「双系」となるのですが、そういう例外を入れてしまうと、皇位継承問題の本質を見失ってしまうように思います。「養老律令」の「継嗣令」では確かに女性の天皇の子供も「親王」・「内親王」となっているのですから。

継嗣令第一条(皇兄弟子条)(現代語訳)

天皇の兄弟、皇子は、みな親王とすること{女帝の子もまた同じ}。それ以外は、いずれも諸王とすること。親王より五世(=親王を含めて五世の王)は、王の名だとしても皇親の範囲には含まない。

 私もかつては南北朝時代の「観応の擾乱」がなければ伏見宮家など成立しなかったし、そのことを合わせ鑑みると、崇光天皇系でなければならのでは、と伏見宮の遠い血筋でもと思ったこともありましたが、それよりも、

1.氏姓制度は天皇が豪族に氏とカバネを与える制度であり、氏やカバネのないのが天皇だ。
2.その豪族の氏やカバネにしても、嵯峨天皇の皇女が「源朝臣潔姫」という名前をもらったり(のち、藤原良房に嫁いだ)、奈良時代の橘朝臣諸兄の「橘」も、母親の県犬養(あがたいぬかい)宿禰三千代が、天皇より「橘朝臣」を貰って、「橘朝臣三千代」となったのだ、という事実を知るにつけ、女性も氏やカバネを貰えるのだ、すなわち、古代においては男女ともども、氏や姓を貰えるという点で同権だったのだ。

ということを調べたりしたら、南北朝時代のことなど、さしたることではない、と思うようになりました。

 天皇の臣下である豪族でさえ、そうなのだから、天皇家、皇族においても男女はさしたる区別はされてはいなかったのではないか、ということです。かつてコメント欄や、愛子様サイトにも投稿しましたが、「王」・「女王」はともに「おおきみ」と読んだようですし。ちなみに、「親王」・「内親王」は奈良時代には「みこ」・「ひめみこ」と読んだそうです(『続日本紀』にはそういうルビが振ってあります)。
 以上の点から、日本は古代においては双系社会だったというのは事実ではないか、と思うのです。

 以上、参考になったでしょうか?自分の表現力が足りず、文意が通っておらず、わかりにくかったら、すみません。私もそんなに深く知っているわけではなく、自分の知り得ていることを述べてみたまでです。とりあえずは、こんなところです。

No.140 17ヶ月前

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