Dr.U のコメント

うさぎです。私も「情と理」について考えたことを書きます。

<情と理>
 政治家が、地元に帰って、人々と交流する。世間話をする。そうやって情を通わせる。そして「あの件については、いろんな考えがあって、あんたも納得いかないこともあるかもしれんが、まぁ、頼みますわ」と言う。そうすると、相手は理屈では十分に納得していないけれども、「まぁ、あんたに、そう頼まれたらしょうがないか」ということになる。政治には必要でしょう、こういうのは。
 学者が、議論の場に呼ばれて、自らの主張をする。それに対して、ときに、それは論理が弱い、実証的ではない、と厳しい批判がなされることもある。それに対して再反論がなされ、喧々囂々の議論が続く。理と理のぶつかりあい、それでよい。学者とか知識人とかは、そこで勝負する。そのガチの勝負の中で、お互いへのリスペクトも生まれたりする。小林先生と井上達夫先生の間にあるリスペクト。

 学者・知識人に「情」で訴えかけるべしというのは、どういうことだろう? 温泉にでも誘って、酒でも飲んで、なれ合いになって、なんとなく「こちら寄り」の論者になってもらうことだろうか? 

 一流の学者・知識人において、理と情がどちらも必要だと言うのは、彼らが放つ言葉・論理のひとつひとつが、人間とか世界に対する強い思いにしっかりと支えられている、情と知と行がひとつのものとなる、ということでしょう? 真の議論は、単なるディスカッション・ゲーム、論破ごっこ、であってはならない、ということを言いたいわけでしょう?

 ただ、相手を「こちら側」に引き入れることだけが目的なら、説得術でも、催眠術でも、ハニートラップでも、脅迫・買収の類でも、権謀術策を尽くせばいい。藤井さん、施さん、あなたたちは自分のことを「学者・知識人」と思ってるかもしれませんが、実際は「理」を己の第一の行動原理とする人間ではなくて、どうしても「(俗)情」の部分で動いてしまう人間のようですから、私たちはこれからあなたたちの「(俗)情」に働きかけることに専念します。
 そういうことですか。学者に対する、リスペクトもなにも、あったものじゃないですね。

No.90 30ヶ月前

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