〇 ゴーマニズム宣言・第440回「皇族と反論の自由」 ということで、今度は皇室問題ですが、先に投稿したもので、何だか色々なことが頭の中でフラッシュバックしてしまい、まとまりのない文章になってしまいました。論点整理をして、もう一度投稿し直します。ご迷惑をおかけしますが、御諒承のほど、お願いいたします(先の文章を読んだ人も、つまらないものをお見せしてしまい、すみませんでした)。 実を言えば、私は眞子様・小室圭さんバッシングの細かい内容をよく知りません。秋篠宮家が自由奔放にお子様がたを育てたので世間知らずの我が儘な子になってしまった。小室圭さんの母親のいわゆる「借金」問題(実際はそうではないのですが)で、元婚約者ともめていること、さらに小室圭さんのおかあさんが離婚を何度もし、そのたびに結婚相手が自殺している、という位のものなのですが(あまり人の悪口を聞くのが好きではないので。ある意味、いじめの共犯者なのかな)、それにしたところで、どうでもよい、恋愛は双方の自由意志によるもので、その問題は当人同士のものであり、当人同士が解決すべきだ、というのが常識ではないか、と思います。 そういう点から、この投稿者の文面を見てゆきますが、この投稿者は「偏見」という語を用いています。そのことについては、先のライジングコメントでも記しましたが、「勘違い」であり、「誤用」です。「思い込み」と言ってもよろしいですね。 投稿した人に呼びかけますが、貴方は「いじめ」や「差別」がどういうものか、分かっているのでしょうか。自分の体験を語りますが、上記のコロナウイルスを巡る意見の相克もある意味「差別」をともなうもので、あるいは、仕事中に「〇〇さんに菷の枝が当たるから周囲をよく見た方がいい」と親切そうに言いつつ、自分が近くに寄ると避けるような行動をとるのも「いじめ」でしょう。それでそちらの立場を伺いたいと述べると、「助けてくれ」。いったいどちらが助けて欲しいのでしょうか。 よく言われてきたのは、「貴方のおかげで周囲の環境が悪くなる」・「お前が常識外れだから、お前のためを思って、社会常識を教えるべく、鍛えているんだ」。そう言われると、言い返せなかったところがありました。皇室の場合と比べてはいけないけれども、たとえ反省すべき点があったとしても、こういう言われ方をされることの方が「偏見」、一方的な思い込みではないのでしょうか。 「俺は暗い人間は嫌いなんだ、暗い人間は世の中に甘えているんだ」。たとえそれが真理の一端であったとしても、それでは断層や対立を深めるだけでしょう。「貴方は自分の不幸な体験を語るから、それでみなが納得してしまうんだ。ずるいやりかただね」とか「被害者ぶっている」とも。 「貴方のおかげで人事の担当が面目を潰された。その人事の人の人生をどうしてくれるんだ。責任をとってくれ。スタッフ一同」とも。アルバイトとは言え、仕事を一方的になくされる側になぜ集団はそういう態度をとるのだろうか。よほど裁判にしたかったけれども、周囲が猛反対したのには抵抗はできなかった。裁判はそういう正義の場ではない、相手のあら探しをするところだ、と。 私が何を言いたいのかと言うと、私の場合、こういう言われ方をして、「悪者」として決めつけられると、何だか自分が一番悪いような気がして、何も言い返せなかったということなのです。こういうことを始終言われると、何だかそんな気分にさせられてしまう。東京裁判で「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」というのがあったそうですけれども、自分がそれに当てはまるかどうかは別としても、四六時中、マスコミや評論家と称する人たちから、自分たちの結婚が間違っている、はやまっていると言われ続けた日には。「ひょっとしたらそうなのかもしれない」というような気分になったとしても不思議ではないでしょう。それがどれだけ地獄だか、想像はつかないのでしょうか? (自分の方はある意味、当てはまっていたところもあったのかも知れないけれども。>>192で、南青山D.Jさんがおっしゃられているような、ポリコレ的な反省もすこしあります)。 ここで、皇族・一般人の別という問題を考えないとして、本来、個人同士の恋愛はその個人同士の問題であり、それを他者があれこれ口出しするのはお門違いだろうと思います。しかし、日本というこの世界では、なぜか双方の自由であるはずの恋愛に、「職場の環境」などを持ち出し、あたかもそれが迷惑であるかのように語られる側面が多いように思われます。会社でなかったら、家族・親戚が反対する、とか。確かに相手側の性格に問題のある場合もあるのでしょうが、しかし、それは当事者が判断することでしょう。 以前、ライジングでよしりん先生が記されていたように、「人間には不幸になる権利もある」のではないか、と思います。幸福か不幸かなんてことは、極論を言ってしまえばその当人の感じ方であり、またその冷静な判断ができない人間は「恋愛」すらしては駄目だと思う。子供のような大人もいれば、大人びた子供もいるわけで、その判断は千差万別であり、たとえ愚かな判断をしてしまったとしても、それはその人が負うべきものではないのでしょうか。 こう記すと、眞子様や小室圭氏の賢愚の問題にもなってしまうのだけれども、婚約者に留学を勧めた眞子様の判断を聞いている限りでは、愚かではない、むしろしっかりしていると判断するのが、私たちの常識的な判断ではないのか、と思います。お金の問題についても、眞子様の意向で小室さんは文章を作成されたわけではないのでしょうか。 こういうかたがたが、高貴な立場上、反論をする自由を持たず、悪口のみを言われ続ける、ということが地獄であると、なぜ(この投稿者は)理解できないのでしょうか。誰かが代わりに反論を述べなければ、割が合わないではありませんか。それを「反論する自由」があると思い込むのは、貴方の想像力が足りない証拠でしょう。 今回のテーマは「皇族の反論する自由」であり、「日本人の劣化を食い止める」という話なので、すこし脱線してしまいましたが、こうしたことを判断することが日本の一般人の劣化を防ぐことになるのではないか、そして、「こういう狭い世間では火のないところに煙をたてることが頻繁に行われる」ような村社会的な構造からはやく脱却し、眞子様たちのように、周囲を納得させられるだけの器量を持つこと。あるいはそんな煙を立てる世間を無視すること、それが事実上の「反論権」の行使に繋がるのではないか、と私は思います。そして、高貴な身分であったとしても、あるいは差別される境遇にあるとしても、他者から何を言われても言い返せない立場の人を作らないことが大切なのかな。 あと、この場ではこうしてライジングで俎上にのせられたり、ブログなどで言及されるのは当たり前であり、人に意見を伝えるにはその位の覚悟は持たなければいけない、と思います。そういいつつ、駄文しか記せていない。自分の経験外や未知のものを想像できていない。自分の体験から眞子様・小室圭さんの迫害の状況を思い浮かべることしかできない。修行が足りない、と日々感じます。 以上です。毎度のことながら、個人的な話ばかりですみません。とりあえず、オドレら、には間に合ったかな。 (これで内容が通じましたか?)
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〇 ゴーマニズム宣言・第440回「皇族と反論の自由」
ということで、今度は皇室問題ですが、先に投稿したもので、何だか色々なことが頭の中でフラッシュバックしてしまい、まとまりのない文章になってしまいました。論点整理をして、もう一度投稿し直します。ご迷惑をおかけしますが、御諒承のほど、お願いいたします(先の文章を読んだ人も、つまらないものをお見せしてしまい、すみませんでした)。
実を言えば、私は眞子様・小室圭さんバッシングの細かい内容をよく知りません。秋篠宮家が自由奔放にお子様がたを育てたので世間知らずの我が儘な子になってしまった。小室圭さんの母親のいわゆる「借金」問題(実際はそうではないのですが)で、元婚約者ともめていること、さらに小室圭さんのおかあさんが離婚を何度もし、そのたびに結婚相手が自殺している、という位のものなのですが(あまり人の悪口を聞くのが好きではないので。ある意味、いじめの共犯者なのかな)、それにしたところで、どうでもよい、恋愛は双方の自由意志によるもので、その問題は当人同士のものであり、当人同士が解決すべきだ、というのが常識ではないか、と思います。
そういう点から、この投稿者の文面を見てゆきますが、この投稿者は「偏見」という語を用いています。そのことについては、先のライジングコメントでも記しましたが、「勘違い」であり、「誤用」です。「思い込み」と言ってもよろしいですね。
投稿した人に呼びかけますが、貴方は「いじめ」や「差別」がどういうものか、分かっているのでしょうか。自分の体験を語りますが、上記のコロナウイルスを巡る意見の相克もある意味「差別」をともなうもので、あるいは、仕事中に「〇〇さんに菷の枝が当たるから周囲をよく見た方がいい」と親切そうに言いつつ、自分が近くに寄ると避けるような行動をとるのも「いじめ」でしょう。それでそちらの立場を伺いたいと述べると、「助けてくれ」。いったいどちらが助けて欲しいのでしょうか。
よく言われてきたのは、「貴方のおかげで周囲の環境が悪くなる」・「お前が常識外れだから、お前のためを思って、社会常識を教えるべく、鍛えているんだ」。そう言われると、言い返せなかったところがありました。皇室の場合と比べてはいけないけれども、たとえ反省すべき点があったとしても、こういう言われ方をされることの方が「偏見」、一方的な思い込みではないのでしょうか。
「俺は暗い人間は嫌いなんだ、暗い人間は世の中に甘えているんだ」。たとえそれが真理の一端であったとしても、それでは断層や対立を深めるだけでしょう。「貴方は自分の不幸な体験を語るから、それでみなが納得してしまうんだ。ずるいやりかただね」とか「被害者ぶっている」とも。
「貴方のおかげで人事の担当が面目を潰された。その人事の人の人生をどうしてくれるんだ。責任をとってくれ。スタッフ一同」とも。アルバイトとは言え、仕事を一方的になくされる側になぜ集団はそういう態度をとるのだろうか。よほど裁判にしたかったけれども、周囲が猛反対したのには抵抗はできなかった。裁判はそういう正義の場ではない、相手のあら探しをするところだ、と。
私が何を言いたいのかと言うと、私の場合、こういう言われ方をして、「悪者」として決めつけられると、何だか自分が一番悪いような気がして、何も言い返せなかったということなのです。こういうことを始終言われると、何だかそんな気分にさせられてしまう。東京裁判で「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」というのがあったそうですけれども、自分がそれに当てはまるかどうかは別としても、四六時中、マスコミや評論家と称する人たちから、自分たちの結婚が間違っている、はやまっていると言われ続けた日には。「ひょっとしたらそうなのかもしれない」というような気分になったとしても不思議ではないでしょう。それがどれだけ地獄だか、想像はつかないのでしょうか?
(自分の方はある意味、当てはまっていたところもあったのかも知れないけれども。>>192で、南青山D.Jさんがおっしゃられているような、ポリコレ的な反省もすこしあります)。
ここで、皇族・一般人の別という問題を考えないとして、本来、個人同士の恋愛はその個人同士の問題であり、それを他者があれこれ口出しするのはお門違いだろうと思います。しかし、日本というこの世界では、なぜか双方の自由であるはずの恋愛に、「職場の環境」などを持ち出し、あたかもそれが迷惑であるかのように語られる側面が多いように思われます。会社でなかったら、家族・親戚が反対する、とか。確かに相手側の性格に問題のある場合もあるのでしょうが、しかし、それは当事者が判断することでしょう。
以前、ライジングでよしりん先生が記されていたように、「人間には不幸になる権利もある」のではないか、と思います。幸福か不幸かなんてことは、極論を言ってしまえばその当人の感じ方であり、またその冷静な判断ができない人間は「恋愛」すらしては駄目だと思う。子供のような大人もいれば、大人びた子供もいるわけで、その判断は千差万別であり、たとえ愚かな判断をしてしまったとしても、それはその人が負うべきものではないのでしょうか。
こう記すと、眞子様や小室圭氏の賢愚の問題にもなってしまうのだけれども、婚約者に留学を勧めた眞子様の判断を聞いている限りでは、愚かではない、むしろしっかりしていると判断するのが、私たちの常識的な判断ではないのか、と思います。お金の問題についても、眞子様の意向で小室さんは文章を作成されたわけではないのでしょうか。
こういうかたがたが、高貴な立場上、反論をする自由を持たず、悪口のみを言われ続ける、ということが地獄であると、なぜ(この投稿者は)理解できないのでしょうか。誰かが代わりに反論を述べなければ、割が合わないではありませんか。それを「反論する自由」があると思い込むのは、貴方の想像力が足りない証拠でしょう。
今回のテーマは「皇族の反論する自由」であり、「日本人の劣化を食い止める」という話なので、すこし脱線してしまいましたが、こうしたことを判断することが日本の一般人の劣化を防ぐことになるのではないか、そして、「こういう狭い世間では火のないところに煙をたてることが頻繁に行われる」ような村社会的な構造からはやく脱却し、眞子様たちのように、周囲を納得させられるだけの器量を持つこと。あるいはそんな煙を立てる世間を無視すること、それが事実上の「反論権」の行使に繋がるのではないか、と私は思います。そして、高貴な身分であったとしても、あるいは差別される境遇にあるとしても、他者から何を言われても言い返せない立場の人を作らないことが大切なのかな。
あと、この場ではこうしてライジングで俎上にのせられたり、ブログなどで言及されるのは当たり前であり、人に意見を伝えるにはその位の覚悟は持たなければいけない、と思います。そういいつつ、駄文しか記せていない。自分の経験外や未知のものを想像できていない。自分の体験から眞子様・小室圭さんの迫害の状況を思い浮かべることしかできない。修行が足りない、と日々感じます。
以上です。毎度のことながら、個人的な話ばかりですみません。とりあえず、オドレら、には間に合ったかな。
(これで内容が通じましたか?)