Dr.U のコメント

蛇足の蛇足

象徴という言葉は、本当は、憲法では使わない方がいいように思います。世俗的な意味での象徴と、宗教的象徴religious symbolというのは、えらく意味が違います。その辺りは、高森先生が山折哲雄の説について触れていらっしゃいましたが…。本当は、憲法では「象徴」などという言葉は使わない方がいいのにと思います。天皇を規定するなら、「天皇とは国民を一つにまとめる優れた力を持った御方である」くらいの表現にしとけばいいのにと思います。

 基本的には、一般的な意味では、この世の世俗的なものを、別の世俗的なものが表現する場合には、それは象徴と呼ばれます。意味的には、記号とか、サインとか言われるものと、同じようなもの。
 一方、本質的にこの世に属さないような何ものかが、奇跡的に、逆説的に、弁証法的に(何が何だか分からなくなってきた)、この世のものとして顕われ出る場合、この後者のものを宗教的象徴と呼びます。鏡とか、聖木とか、神聖王とか、イエス様とか、太陽とか、月とか、海とか、日本人が「カミサマ」と呼ぶもの、
 本居宣長さんは『古事記伝』で次のように述べています。

「凡(すべ)て迦微(かみ)とは古御典等(いにしえのみふみども)に見えたる天地の諸(もろもろ)の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊(みたま)をも申し、又人はさらにも云(い)はず、鳥獣(とりけもの)木草のたぐひ海山など、其与(そのほか)何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏き(かしこ)物を迦微とは云なり。〔すぐれたるとは、尊きこと、善きこと、功(いさお)しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪(あし)きもの、奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏きをば神と云なり。」

 ひとまず『ブリタニカ国際大百科事典』の説明が、ここでは参考になるかもしれません。

「ある対象を認識しようとする場合,この対象が不在であるか,あるいはなんらかの理由で直接には認識困難もしくは不可能であるとき,この対象となんらかの関係を有する第三者を直接認識して,この関係に基づいてその対象を間接に類推,認識することができる。この対象の代りをなす第三者を一般に象徴という。この第三者とその対象との間の関係が自然的,実在的であるとき (たとえば火と煙) この第三者を記号 sign,実在的関係はないが習慣や人々の合意によって関係があるとみなされるとき (たとえば国旗と国家) 象徴と呼ばれることが多い。心理学的には外的事物,事象を代表して表現している心理過程をさす。この意味では心像ないし観念とほぼ同義。精神分析においては,特に無意識の欲望などを表わす意識的観念,活動あるいは物体の意味で用いる。」

No.166 37ヶ月前

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