Dr.U のコメント

>>75 Madokaさま
 はじめまして、ウサギと申します。たいへん、しんどい、くやしい思いをされたのですね。コメントを読んでいて、丸山眞男という人(1914-1996/戦後の左系言論人の代表的な人です)の学生時代の体験談を思い出しました。
 1925年に治安維持法が成立して以来、学生が左翼思想を大学で学んだり、政治活動に参加することは厳しく制限されていました。そんなあるとき、丸山は特高(特別高等警察:共産主義者を取り締まる警察)に連行され、自分の手帳に書き込んだ天皇についての文章について、「貴様は君主制を否定しているな」となじられます。
 丸山は、次のように書いています。

「その数行にはドストエフスキーが『作家の日記』のなかで「私の信仰は懐疑のるつぼの中で鍛えられた」といっているのを引用しながら、「果して日本の国體は懐疑のるつぼの中で鍛えられているか」と書いてあった。私はすぐさま「それは何も日本の天皇を否認する…」といいかけたら、言葉の終るのを待たずに特高は「この野郎、弁解する気か」といいざま、私にビンタを喰わせた。」

 丸山眞男は、福沢諭吉の「独立」の思想に強い影響を受けて、迷信とか因習とか権威主義を強く嫌った人ですが、彼の表現活動を動機づける原体験の一つとなったのが、この特高のビンタの経験だったようです。
 これは、気持ちは、すごく分かる気がします。少なくとも学生のうちは、一度は、世の中で価値があるとされているものを、根底から疑ったり否定してみたりすることが必要です。そういうことを通して、本当に主体的に、自分にとって正しいもの、美しいもの、好ましいものは何か、というのが見えてくるはずです。その人間として必ず必要な知的反逆の契機を、権威を笠に着ていばり散らす――あまりおつむはよさそうではない――人たちに否定され、ビンタまでされたら、それは一生のトラウマにもなります。
 ちなみに「ビンタ体験」と言えば、漫画家の水木しげるにとっても、戦争というもので最初に思い出すのは、軍隊内での上官の問答無用のビンタだったみたいです。

 おそらくは、Madokaさんが苦戦された指導員の方も、本質的には、上のようなタイプの人なのでしょうね。なんにも変わっていない。人のメンタリティなんて、かんたんに、変わらないのでしょうね。世の中には、いつだって、ものの理(ことわり)に従い行動する人と、そうでないものに従って行動する人と、二種類いるのでしょうね。
 日常生活の中で、後者のタイプの人たちを説得するのは、極めて難しい。彼らは、理に対しては、ビンタで対応してきます。ならば、私たちは、どのような行動をとるのが正解なのだろう。

No.84 37ヶ月前

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