じつは、昨夜は、母がヘルペス発症のため、夜中、兄のもとで点滴をうけに行っていたので、まだオドレら正気かをみていません。後程、やらねばならぬことを、終えたらゆっくり拝見させて頂きます。それまで、皆さんのご感想も敢えて読みません。 さて、私事ですが、昨日はとても幸せな1日を過ごしておりました。私の地域の一宮である格式のある神社に行ってきました。ご神木がうっそうと茂り、何ともみたされた気持ちになる有難い神社です。父が70代、深刻な心筋梗塞で倒れた時もここに一人でお参りし、ずいぶん神様に助けて頂きました。私は、ここに参りますと必ずご神木を抱きしめさせていただき お力をいただきます。しばらく、ご神木に身をあずけぼ~としています。遠くでキジの声が聞こえました。玉三郎さんがおっしゃてたように、自然は、美だと思います。 「生命至上主義」と子ども こどもは、大人の知らないところで、自然の中で本当はとても危険なことをしています。私も笑えるようなとっても危険なことを、幼稚園のときもしました。高い所から川に転げ落ちたのですが、小さいし、木登り上手な私は、自分で上っていける自信がありました。大人に見つかる前に早く登らなければ、あせり、急なコースを選んだため失敗、また、ごろんごろんごろんと川渕に転げ落ちました。ああ、コースを誤った、と別のコースを登り始めていたところを、運悪く大人にみつかってしまい、救助されてしまいました。心の中でしまった~~と思ってたのですが、うちに帰って何食わぬ顔をして黙っていましたが、余計な大人が母に告げ口にきて、ばれてしまいました。その後の記憶は残っていませんが、ちゃんと自分で助かっていたのに。。。という気持ちが強かったのは覚えています。つまり、大人にはほっておいてほしかったのです。 また、父も、子供の頃、川で遊んでいてびっくりするような危険なことをしていました、いや、もう死ぬとこでした。それからすると、母は随分、おとなしい方ですが、山の中を散策してお気に入りの場所を見つけ、木の実を食べたり楽しんでいたようです。このように、子どもは、本来、自然に囲まれて、どんな危険なことを親の知らない間にしているか、わかりません。いちいち、親には言いません。(その子によるかもしれませんが)でも、それは、とてもとても、子どもにとって大事な貴重な経験なのです。親御さんがみていたら卒倒するようなことを、しているかもしれません。でも、敢えて、親御さんはこの子は死んでもいい という覚悟で子どもだけの時間をあげてほしいのです。私の経験上、子どもはそんなにやすやすと死にません。大人と違って、動物的で案外大丈夫なのです。そういう、親が見ていたら卒倒しそうな自然のなかで、する遊びを子どもたちになるべく与えてあげて下さい。大人には、勇気がいるでしょう。でも、子どものそうした経験は、自然に身をゆだね、他に変えることのできない素晴らしい何かを子どもにあたえると思います。自然は、子どもの健全な心身の発達に必要不可欠なものです。親御さんたち、子どもに、勇気を振り絞って、子どもだけの自由な時間を与えてあげてください。子どもは、そんなに簡単にしにません。死んだら、死んだです、すみません、私には、子どもがいないので無責任なことが言えるのかもしれません。 と、いうようなことを、神社のご神木にもたれながら、考えていました。 とても幸福なひと時でした。風がそよそよと吹いていて、気持ちの良い時間でした。 公論と関係ないことをのべました。この静かな感動を皆様におすそ分けしたかったのです。 高森先生、またしても、貴重なお話を伺い本当にありがたいです。よくよく、読み返してみたいと思っています。 ありがとうございました。
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じつは、昨夜は、母がヘルペス発症のため、夜中、兄のもとで点滴をうけに行っていたので、まだオドレら正気かをみていません。後程、やらねばならぬことを、終えたらゆっくり拝見させて頂きます。それまで、皆さんのご感想も敢えて読みません。
さて、私事ですが、昨日はとても幸せな1日を過ごしておりました。私の地域の一宮である格式のある神社に行ってきました。ご神木がうっそうと茂り、何ともみたされた気持ちになる有難い神社です。父が70代、深刻な心筋梗塞で倒れた時もここに一人でお参りし、ずいぶん神様に助けて頂きました。私は、ここに参りますと必ずご神木を抱きしめさせていただき
お力をいただきます。しばらく、ご神木に身をあずけぼ~としています。遠くでキジの声が聞こえました。玉三郎さんがおっしゃてたように、自然は、美だと思います。
「生命至上主義」と子ども
こどもは、大人の知らないところで、自然の中で本当はとても危険なことをしています。私も笑えるようなとっても危険なことを、幼稚園のときもしました。高い所から川に転げ落ちたのですが、小さいし、木登り上手な私は、自分で上っていける自信がありました。大人に見つかる前に早く登らなければ、あせり、急なコースを選んだため失敗、また、ごろんごろんごろんと川渕に転げ落ちました。ああ、コースを誤った、と別のコースを登り始めていたところを、運悪く大人にみつかってしまい、救助されてしまいました。心の中でしまった~~と思ってたのですが、うちに帰って何食わぬ顔をして黙っていましたが、余計な大人が母に告げ口にきて、ばれてしまいました。その後の記憶は残っていませんが、ちゃんと自分で助かっていたのに。。。という気持ちが強かったのは覚えています。つまり、大人にはほっておいてほしかったのです。
また、父も、子供の頃、川で遊んでいてびっくりするような危険なことをしていました、いや、もう死ぬとこでした。それからすると、母は随分、おとなしい方ですが、山の中を散策してお気に入りの場所を見つけ、木の実を食べたり楽しんでいたようです。このように、子どもは、本来、自然に囲まれて、どんな危険なことを親の知らない間にしているか、わかりません。いちいち、親には言いません。(その子によるかもしれませんが)でも、それは、とてもとても、子どもにとって大事な貴重な経験なのです。親御さんがみていたら卒倒するようなことを、しているかもしれません。でも、敢えて、親御さんはこの子は死んでもいい という覚悟で子どもだけの時間をあげてほしいのです。私の経験上、子どもはそんなにやすやすと死にません。大人と違って、動物的で案外大丈夫なのです。そういう、親が見ていたら卒倒しそうな自然のなかで、する遊びを子どもたちになるべく与えてあげて下さい。大人には、勇気がいるでしょう。でも、子どものそうした経験は、自然に身をゆだね、他に変えることのできない素晴らしい何かを子どもにあたえると思います。自然は、子どもの健全な心身の発達に必要不可欠なものです。親御さんたち、子どもに、勇気を振り絞って、子どもだけの自由な時間を与えてあげてください。子どもは、そんなに簡単にしにません。死んだら、死んだです、すみません、私には、子どもがいないので無責任なことが言えるのかもしれません。
と、いうようなことを、神社のご神木にもたれながら、考えていました。
とても幸福なひと時でした。風がそよそよと吹いていて、気持ちの良い時間でした。
公論と関係ないことをのべました。この静かな感動を皆様におすそ分けしたかったのです。
高森先生、またしても、貴重なお話を伺い本当にありがたいです。よくよく、読み返してみたいと思っています。
ありがとうございました。