私は放送局に勤務しています。 コロナ脳インフォデミックの元凶と言われるテレビ局の報道について、 知っていただきたいことがあり、ここに書きます。 なぜ、テレビ局は番組やニュースでコロナの恐怖を煽り続けるのか。 小林師範が再三指摘しているように、その方が視聴率が取れ、スポンサー収入という自らの利益に直結するからというのも確かです。 しかし、それだけではありません。 放送局員の大半は、コロナ報道を「災害報道」として捉えています。 これは、ニュースを扱う報道部員からワイドショーを制作する情報制作部員まで共通した感覚です。 これが今回、裏目に出ていると感じています。 阪神淡路大震災、東日本大震災の経験以降、災害時にいかに人々の命を救う報道をするかについて放送局は多大な労力を使い研究を重ねてきました。 緊急地震速報が出た時の報道の仕方や、津波に対する注意喚起はどうあるべきか。大雨特別警報をどう伝えるか。日常、頻繁にシミュレーションや訓練が行われています。 自分たちの報道によって救える命がある。 これは、純粋に、放送マンとしての使命感によるものです。 1年前の緊急事態宣言の際は、各番組のキャスターやアナウンサーが、まさに地震による津波警報発出時さながら、ステイホームを呼びかけました。 津波の恐れ → 「一刻も早く、高い場所に避難してください!命の危険があります!」 コロナ → 「家から出ないでください!命の危険があります!」 この二つは、同じメンタリティーで発信されています。 津波でも大雨でも、避難を呼びかけるときは、原則として危機を強めに煽るということがあります。 結果として津波が来なくても「来なくて良かったね」で済む。それよりも、弱めの注意喚起のせいで大きな被害を防げなかったら、それは報道として間違っているだろうと。 ステイホームで一人でも死者が減るなら、それを呼びかけるのが使命であると。 だから、硬い報道番組から柔らかめの情報ワイド番組まで、まずは強めに危機感を印象付けようというテンションになっているのです。 この使命感、正直、放送局員は心から燃えます。邪心はありません。だからこそやっかいです。 最大の問題は、津波が来なかった時の避難行為は大きなダメージを生まないが、コロナで自粛をすると様々な場所に甚大な被害が発生するという現実が、なぜか考慮されないということです。 コロナ = 病気 = 命に係わる。 自粛による生活被害 = 命に直接係わるイメージが持てない。優先順位低い。 単純にこういう図式のせいかもしれません。 あちこちに経済被害、生活被害が出ていることは認識していますが、それよりも、直観的に命を救うことをイメージしやすい方向にどうしても舵を切ってしまうのです。 災害のときは「まず人々に呼びかける」のが役割、という刷り込みができているので、他を考えるのは二の次にして、反射的に「皆さん、~しないでください」という呼びかけをしてしまう(そこに充実感を持ってしまう)ということもあります。 本当であれば、ゴー宣道場や「オドレら正気か」で再三語られているように、人々の幸福、自由、権利を侵害しない感染対策を政府や自治体がとっているのか、ということを冷静に見つめ、必要な報道をしていくべきなのですが、こと「災害」となると視野狭窄に陥ってしまう。 もちろん、価値観、道徳観がおかしくなっていることもあるでしょう。 ウィルスとは何か、や、ウィルスとの共生に関する無知も大きいです。 毎日、出演者であるお医者さん、学者さん達に間違った知識を吹き込まれますし。 そして、この業界で働く者の給与所得が自粛によって短期的には影響を受けないことも・・ 以上、私が感じる、コロナ禍の放送マンの心理というものを、言い訳がましく書きつらねました。 私自身、局内の空気に少しでも水を差すべく努力はしているつもりですが、微々たるもので高が知れているのが現状です。 道場師範方、皆様の思考の一助になれば幸いでございます。 長々と失礼いたしました。
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私は放送局に勤務しています。
コロナ脳インフォデミックの元凶と言われるテレビ局の報道について、
知っていただきたいことがあり、ここに書きます。
なぜ、テレビ局は番組やニュースでコロナの恐怖を煽り続けるのか。
小林師範が再三指摘しているように、その方が視聴率が取れ、スポンサー収入という自らの利益に直結するからというのも確かです。
しかし、それだけではありません。
放送局員の大半は、コロナ報道を「災害報道」として捉えています。
これは、ニュースを扱う報道部員からワイドショーを制作する情報制作部員まで共通した感覚です。
これが今回、裏目に出ていると感じています。
阪神淡路大震災、東日本大震災の経験以降、災害時にいかに人々の命を救う報道をするかについて放送局は多大な労力を使い研究を重ねてきました。
緊急地震速報が出た時の報道の仕方や、津波に対する注意喚起はどうあるべきか。大雨特別警報をどう伝えるか。日常、頻繁にシミュレーションや訓練が行われています。
自分たちの報道によって救える命がある。
これは、純粋に、放送マンとしての使命感によるものです。
1年前の緊急事態宣言の際は、各番組のキャスターやアナウンサーが、まさに地震による津波警報発出時さながら、ステイホームを呼びかけました。
津波の恐れ → 「一刻も早く、高い場所に避難してください!命の危険があります!」
コロナ → 「家から出ないでください!命の危険があります!」
この二つは、同じメンタリティーで発信されています。
津波でも大雨でも、避難を呼びかけるときは、原則として危機を強めに煽るということがあります。
結果として津波が来なくても「来なくて良かったね」で済む。それよりも、弱めの注意喚起のせいで大きな被害を防げなかったら、それは報道として間違っているだろうと。
ステイホームで一人でも死者が減るなら、それを呼びかけるのが使命であると。
だから、硬い報道番組から柔らかめの情報ワイド番組まで、まずは強めに危機感を印象付けようというテンションになっているのです。
この使命感、正直、放送局員は心から燃えます。邪心はありません。だからこそやっかいです。
最大の問題は、津波が来なかった時の避難行為は大きなダメージを生まないが、コロナで自粛をすると様々な場所に甚大な被害が発生するという現実が、なぜか考慮されないということです。
コロナ = 病気 = 命に係わる。
自粛による生活被害 = 命に直接係わるイメージが持てない。優先順位低い。
単純にこういう図式のせいかもしれません。
あちこちに経済被害、生活被害が出ていることは認識していますが、それよりも、直観的に命を救うことをイメージしやすい方向にどうしても舵を切ってしまうのです。
災害のときは「まず人々に呼びかける」のが役割、という刷り込みができているので、他を考えるのは二の次にして、反射的に「皆さん、~しないでください」という呼びかけをしてしまう(そこに充実感を持ってしまう)ということもあります。
本当であれば、ゴー宣道場や「オドレら正気か」で再三語られているように、人々の幸福、自由、権利を侵害しない感染対策を政府や自治体がとっているのか、ということを冷静に見つめ、必要な報道をしていくべきなのですが、こと「災害」となると視野狭窄に陥ってしまう。
もちろん、価値観、道徳観がおかしくなっていることもあるでしょう。
ウィルスとは何か、や、ウィルスとの共生に関する無知も大きいです。
毎日、出演者であるお医者さん、学者さん達に間違った知識を吹き込まれますし。
そして、この業界で働く者の給与所得が自粛によって短期的には影響を受けないことも・・
以上、私が感じる、コロナ禍の放送マンの心理というものを、言い訳がましく書きつらねました。
私自身、局内の空気に少しでも水を差すべく努力はしているつもりですが、微々たるもので高が知れているのが現状です。
道場師範方、皆様の思考の一助になれば幸いでございます。
長々と失礼いたしました。