遅ればせながら、今号の感想です。このところ、いろいろ忙しくて、すみませんでした。 ゴーマニズム宣言・第416回「小室圭バッシングは愚民大衆の差別である」 私は人の恋路に首を突っ込むのは嫌いですし、自分もされるのは嫌です(そういう経験があったから、全体の環境が悪くなるから、という理由で)。小室圭氏と眞子内親王の間の問題はお二人だけの問題であって、それで日本の国柄が悪くなるとか、国益がどうこういう話でもないし、庶民の生活に損害を与えるというような話ではないので、そっとしてあげればいい、もしもかりに二人の間がうまくゆかなくなったとしても、それは二人だけで解決すべきことであり、我々が干渉するのは下世話なことではないか、と思います。 小室圭氏の文章は、まだ全文は読めていないのですが、婚約者の方に金銭以外の別の目的があるのではないか、というのは頷ける話と思いますし、いくら婚約者の方に金がないからと言って、題材にしている週刊誌の記者が代理人というのも胡散臭いです。男が婚約破棄したのなら、お金の問題をどうこういうのはその破棄の時であって、(世良公則の「あんたのバラード」じゃないけど)あんたにあげた愛の日々を 今更返せとは言わないわ」なんじゃないでしょうか? それよりも、30歳間近の男女の婚姻を保留、お預けにすることの方が残酷でしょう。人生はいくら寿命が長くなるとしても、認知症などもあるから、光陰矢のごとしで、短いも同然です。幸せな愛情生活をひと組のカップルが生み出そうとしているのだから、それを祝福するのが私たちのすべき最適な行為ではありますまいか。 と単純に私は思いますが、叩きたい人はあれこれ難癖をたてるのが当然とか、使命だとか、試練を与えているのだとか思っているのでしょう。また漫画の話を出しますが、川原泉先生の「笑うミカエル」の主人公、史緒の父母は貴賤結婚で、元貴族と庶民のカップルだったため、姑から妻がいじめられて、結局、夫の交通事故死で婚家にいづらくなり、子供を(強制的に)置き去りにさせられ、出て行くことになりました。その後、2人目である史緒を出産し。貧しい境遇の中で育てて死んでいった、という話なんですが、皇室の場合も貴賤結婚は良くないとか制限を設けていたら、こういう悲劇が起こるのではないか、とも想像しました。 繰り返しますが、かりに男が悪人だったとしても、恋愛をしている二人の間の問題です。シャーロック・ホームズに「高名の依頼人」という話もありましたが、あれは確実に男の方から被害を受けた元恋人がおり、匿名ではなく、名乘り出て証言もしているわけで、今回の母親の元恋人が陰にかくれてどうこうとケースとは確実に違うと思います。こういう下らない大衆の鬱憤晴らしも、はやくなくなって欲しい。自分語りをまたしますが、過去のこう言われたこともあります 「こういう狭い世界では、人の噂は火のないところからでも、煙を立てようとするものだ」 そういう下衆である大衆がはやくいなくなればいい、と願います。集団ほど恐ろしいものはない、コロナ騒動でもそう思います。 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第210回「ワイマール地方裁判所のコロナ条例違憲判決の凄み」 上述の小室圭さん一件とは異なり、さすがワイマール憲法の国、ゲーテの出身地だ、と思いました。ここで海外出羽守を言って良いのかどうか、分かりませんが、司法の独立、とはこういう判決文を導き出すものだろうと思いました。いつになったら、日本でもこういう三権分立が成立するのでしょうか。倉持さんの活動にも期待したいです(そう言いつつ、クラウドファンディングがよく分からないのと、金銭的な理由、時間の都合もあって、まだできていません。すみません。今本当にそれどころではないのです)。 こんなに簡単で宜しいでしょうか。私も、マスクは本当に意味がない、息苦しいだけですし、ただ人から表情を見られなくてすむ、という内向的な人間を育てるだけではないのか、と危懼いたします。正直に告白すると、私も巡り合わせとか、ジンクスにとらわれるタイプですが、こういうわけのわからない、科学的ではない話はばかばかしい、と感じます。 返信が遅くなりました。 >>138 rokuさん 本当に、有り難うございます。実を言えば、母親に対してはルサンチマンだけではなく、鍛えて貰った、という恩もあります。「甘やかされた」とも人からは言われています。なので、(これも記して良いのかな)よしりん先生のおかあさまも、息子を逆境に負けない、強い人間にしようと保険金の話をされていたのではないか、という勘違いをしたこともあるのです。人にはそれぞれの性格やタイプもあるので、一概に比較してはならないのかもしれない、と思います。 また、よしりん先生のような立場から見ると、およそ母親の言動は科学的ではない、という感じもするわけです。あまりこの場でいうことではない、と判断しますので、ここまでにしておきます。 「十二国記」は名作です。陽子や泰麒、尚隆なども好きなのですが、「風の万里黎明の空」の「祥瓊」の話が考えさせられます。高貴な身分の人間は、ただ優雅に幸せそうにしていればいいだけでは駄目、庶民の生活や実状を知る義務がある、「自分は知らなかった」では駄目なんだ、これはコロナ問題の自殺などでも言えることではないのでしょうか? それと、その祥瓊の父王の話でも、独善的な正義がいかに残酷なものか、腐敗とも結びつきやすいものか、と考えさせられました(このことはほかにもあげられていた方がいたように記憶しています)。 といいつつ、新潮文庫から出た新刊はまだ購入していなかったりするのです。折をみて買わないといけないな、と思っています。 ご友人のこと、とても辛かったことと思います。ただ引き合いに出していいのか分かりませんが、「路傍の石」の最後でも、雑誌の発刊を巡って吾一と次野先生が対立してしまう場面があり、「先生は先生だ。おれはおれだ。どんづまりのところへ行けば、人間はやっぱり一人一人だ。先生のような人とだって別々だ」と述懐しています。どうしても譲り合えないものがあるのだろうと想像します。 それでは、次回を期待します。こんなに遅くなってしまい、すみませんでした。それと、下らない質問を買いてしまったことをお詫びいたします。あれでは没になってしまって当然です。
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遅ればせながら、今号の感想です。このところ、いろいろ忙しくて、すみませんでした。
ゴーマニズム宣言・第416回「小室圭バッシングは愚民大衆の差別である」
私は人の恋路に首を突っ込むのは嫌いですし、自分もされるのは嫌です(そういう経験があったから、全体の環境が悪くなるから、という理由で)。小室圭氏と眞子内親王の間の問題はお二人だけの問題であって、それで日本の国柄が悪くなるとか、国益がどうこういう話でもないし、庶民の生活に損害を与えるというような話ではないので、そっとしてあげればいい、もしもかりに二人の間がうまくゆかなくなったとしても、それは二人だけで解決すべきことであり、我々が干渉するのは下世話なことではないか、と思います。
小室圭氏の文章は、まだ全文は読めていないのですが、婚約者の方に金銭以外の別の目的があるのではないか、というのは頷ける話と思いますし、いくら婚約者の方に金がないからと言って、題材にしている週刊誌の記者が代理人というのも胡散臭いです。男が婚約破棄したのなら、お金の問題をどうこういうのはその破棄の時であって、(世良公則の「あんたのバラード」じゃないけど)あんたにあげた愛の日々を 今更返せとは言わないわ」なんじゃないでしょうか?
それよりも、30歳間近の男女の婚姻を保留、お預けにすることの方が残酷でしょう。人生はいくら寿命が長くなるとしても、認知症などもあるから、光陰矢のごとしで、短いも同然です。幸せな愛情生活をひと組のカップルが生み出そうとしているのだから、それを祝福するのが私たちのすべき最適な行為ではありますまいか。
と単純に私は思いますが、叩きたい人はあれこれ難癖をたてるのが当然とか、使命だとか、試練を与えているのだとか思っているのでしょう。また漫画の話を出しますが、川原泉先生の「笑うミカエル」の主人公、史緒の父母は貴賤結婚で、元貴族と庶民のカップルだったため、姑から妻がいじめられて、結局、夫の交通事故死で婚家にいづらくなり、子供を(強制的に)置き去りにさせられ、出て行くことになりました。その後、2人目である史緒を出産し。貧しい境遇の中で育てて死んでいった、という話なんですが、皇室の場合も貴賤結婚は良くないとか制限を設けていたら、こういう悲劇が起こるのではないか、とも想像しました。
繰り返しますが、かりに男が悪人だったとしても、恋愛をしている二人の間の問題です。シャーロック・ホームズに「高名の依頼人」という話もありましたが、あれは確実に男の方から被害を受けた元恋人がおり、匿名ではなく、名乘り出て証言もしているわけで、今回の母親の元恋人が陰にかくれてどうこうとケースとは確実に違うと思います。こういう下らない大衆の鬱憤晴らしも、はやくなくなって欲しい。自分語りをまたしますが、過去のこう言われたこともあります
「こういう狭い世界では、人の噂は火のないところからでも、煙を立てようとするものだ」
そういう下衆である大衆がはやくいなくなればいい、と願います。集団ほど恐ろしいものはない、コロナ騒動でもそう思います。
泉美木蘭のトンデモ見聞録・第210回「ワイマール地方裁判所のコロナ条例違憲判決の凄み」
上述の小室圭さん一件とは異なり、さすがワイマール憲法の国、ゲーテの出身地だ、と思いました。ここで海外出羽守を言って良いのかどうか、分かりませんが、司法の独立、とはこういう判決文を導き出すものだろうと思いました。いつになったら、日本でもこういう三権分立が成立するのでしょうか。倉持さんの活動にも期待したいです(そう言いつつ、クラウドファンディングがよく分からないのと、金銭的な理由、時間の都合もあって、まだできていません。すみません。今本当にそれどころではないのです)。
こんなに簡単で宜しいでしょうか。私も、マスクは本当に意味がない、息苦しいだけですし、ただ人から表情を見られなくてすむ、という内向的な人間を育てるだけではないのか、と危懼いたします。正直に告白すると、私も巡り合わせとか、ジンクスにとらわれるタイプですが、こういうわけのわからない、科学的ではない話はばかばかしい、と感じます。
返信が遅くなりました。
>>138
rokuさん
本当に、有り難うございます。実を言えば、母親に対してはルサンチマンだけではなく、鍛えて貰った、という恩もあります。「甘やかされた」とも人からは言われています。なので、(これも記して良いのかな)よしりん先生のおかあさまも、息子を逆境に負けない、強い人間にしようと保険金の話をされていたのではないか、という勘違いをしたこともあるのです。人にはそれぞれの性格やタイプもあるので、一概に比較してはならないのかもしれない、と思います。
また、よしりん先生のような立場から見ると、およそ母親の言動は科学的ではない、という感じもするわけです。あまりこの場でいうことではない、と判断しますので、ここまでにしておきます。
「十二国記」は名作です。陽子や泰麒、尚隆なども好きなのですが、「風の万里黎明の空」の「祥瓊」の話が考えさせられます。高貴な身分の人間は、ただ優雅に幸せそうにしていればいいだけでは駄目、庶民の生活や実状を知る義務がある、「自分は知らなかった」では駄目なんだ、これはコロナ問題の自殺などでも言えることではないのでしょうか?
それと、その祥瓊の父王の話でも、独善的な正義がいかに残酷なものか、腐敗とも結びつきやすいものか、と考えさせられました(このことはほかにもあげられていた方がいたように記憶しています)。
といいつつ、新潮文庫から出た新刊はまだ購入していなかったりするのです。折をみて買わないといけないな、と思っています。
ご友人のこと、とても辛かったことと思います。ただ引き合いに出していいのか分かりませんが、「路傍の石」の最後でも、雑誌の発刊を巡って吾一と次野先生が対立してしまう場面があり、「先生は先生だ。おれはおれだ。どんづまりのところへ行けば、人間はやっぱり一人一人だ。先生のような人とだって別々だ」と述懐しています。どうしても譲り合えないものがあるのだろうと想像します。
それでは、次回を期待します。こんなに遅くなってしまい、すみませんでした。それと、下らない質問を買いてしまったことをお詫びいたします。あれでは没になってしまって当然です。