Les_Miserables のコメント

号外の発行、ありがとうございます。
政治の現場に身を置いている身ですが、直感として、日本人は「自由主義」と「デモクラシー」の区別がうまくできていないようです。これが、安倍首相の増長をもたらし、日本を危うくしているのではと考えます。

哲人王の暴走よりはマシとはいえ、デモクラシーはキリストを磔にし、ソクラテスを死刑にした「制度」であり、本質的には危険なものです(ある意味、デモクラシーを民主”主義”と訳しているのもおかしいと思います)。
この「少しマシだけど危うい制度」を安全化するために、西欧ではローマ以来「自由主義」が存在してきました。憲法、三権の分立、王様から行使を委託される権力(立憲君主制)、報道による監視、選挙で選ばれない議員(貴族院)など、権力の集中を敢えて防ぐことで、デモクラシーの暴走を食い止めてきました。アメリカ合衆国憲法は如何に連邦政府の独裁を許さないかという、「中央権力への不信」に基づいています。

人類の歴史を振り返れば、リベラルな独裁がデモクラシーを生むことはありました(韓国の軍事政権、台湾の国民政府、ポルトガルのサラザールなど、あくまで結果論ですが。)
しかし、デモクラシーが自由主義を生んだことは決してありません。選挙で勝つには外に敵を作って国民にカネをばら撒いて「俺の下に集まれ」と脅し半分で叫ぶのが一番効果的ですから。そこに寛容な自由主義がはぐくまれる土壌はありません。ナチス・ヒトラーがそうですし、ソ連解体後のCIS諸国でも選挙で終身大統領が選ばれています。ユーゴのミロシェビッチも選挙です。イラクでは多数派のシーア派が少数派のスンニー派を抑圧し、却ってテロの温床になっています。

安倍首相は「リベラリズム」の人ではなく、「デモクラシー」の人です。それも無害化された「リベラルデモクラシー」ではなく怨嗟と排外主義をバックにした「ネトウヨデモクラシー」の。
選挙に勝って多数派さえ得られれば何をやっても許される、いや許されなければならない。自分達は祖国を背負っている。イエスかノーか。ゼロか100か。愛国か売国か。
ストレス発散で政治に消費者として臨む人々には、「時間をかけて賛否両論様々な英知を募って最前の落としどころに…」などというのは、唾棄すべきもののようです。憲法96条の改正や「日本の首相は権限が弱いので権限集中を」などは、デモクラシーの誤解かリベラリズムへの憎しみがないと出てこないアプローチです。
実際には、日本の首相は世界でも例がないほど強い権限(議会の不信任なしで解散、軍=自衛隊の最高指揮官:普通は王様から委託、最高裁判事の任命など)を有してるのですが…。
最近では「農家特権を潰し、百姓を飢え死にさせるためにTPP賛成」という意見さえ、ネット掲示板では出始めています。「在日特権解消のため、生活保護削減」の焼き直しです。

我々はグローバル化やネット化から、最終的には逃れることが出来ません。どんなに町の商店街を守れと言われても、Amazonやイオンモールで安い買い物をしてしまいます。それが最終的には更なる格差や国民同士の断絶、憎しみ、生きにくさ、安倍晋三2.0やネトウヨ2.0を生むことは分かっていても、「日々の生活」や「現場」が今やそうなってしまっているからです。

よしりん先生は「今、愛国を体現すればリベラルになる」と仰られていたように、我々は今、「自由の未来」について真剣に考えるべき時に来ているのだと思います。
そして、それが無力な抵抗でしかないのなら、最後の防衛線として、「政治の無力化(ネトウヨが総理になっても国や国民が安全なくらい、政治がやれることを減らしておく)」に着手する必要があるのかもしれません。

No.52 142ヶ月前

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