希蝶 のコメント

 これから出発しますが、その前に今号の感想をできるところまで。

 ゴーマニズム宣言・第412回「官僚バッシングの行きつく先」

 日本人は、上に立つ人間をあえておとしめる風潮がことさらあるのかな、それでいて、自分ではその責任を一切取ろうとはしないのかな、ということを思いながら読みました。自分がその地位についたら、私服を肥やそうとか、あるいは自分のやりたいこと(政策も含めて)をしようとするのに、といった感じです。

 こういうことを記すと、また世間知らずだとか、素人だとか言われると思いますが、私が疑問でならないのは、省庁には、なぜ次官と呼ばれるポストがありながら、大臣とか長官という地位があるのか、不思議でならないのです。もしも省庁の人事を簡略化するとか、税金の無駄遣いをしたくないなら、官僚のトップを大臣にして、総理大臣だけ、国会で決めれば良いのに、と思うのです。でもそうすると、省庁の監督する人間がいない、ということになるのでしょうか?専門家がどうのこうのと新型コロナウイルス問題で騒がれていますが、専門の人事の養成というなら、こういうところを省力化すればいいのに、と。

 自分は古代史の人事関係も史書で読んだりしているのですが(史書の大部分は任官関係)、民が豪族や貴族になっているだけで、大津皇子とか、長屋王の変とか、橘奈良麻呂の変とか、藤原仲麻呂の乱とか、道鏡失脚とか、藤原種継暗殺とか、薬子の変とかあって、役人が失職しても、政治が混乱した、という話はあまり聞きません。死刑とかがあっても、子孫はのちに任官するし、流罪とかでも時がたつと許される場合もあるし、恐らく(自分もこの方面では素人だと思っていますが)、日本は官僚の国だったのかな、と感じられます。昔の場合は、国司とか、地方自治も中央で決めていたから、餘計に上に立つトップ(天皇陛下とか殺生関白とか、太政大臣。左大臣・右大臣とか)の裁量は絶対で、責任や心労は大きかったと思いますが。

 違うのは「位階」というのがあって(今もいちおうはありますが)、正五位とか従五位とか位があって、それに相当する身分の人がそれにみあった役職につけるというシステムがあって(官位相当の制)、そのシステムを大臣とか官僚に導入すれば、もっと有能な人が出てくるのでは、と思いますが、それでは今度は差別だとか身分制だとか言われるのかな?

 あと、ゴー宣のテーマと関連あるかもしれませんが、この時代の女官も位階とか役職があり、激務だったらしく、現役、あるいは若くしてなくなる人も多かったようです(その中には皇族もいました)。史書で没年月日が分かる人がかなり多いです。

 話が脱線しましたが、本当の政治の専門家を育成するには、民とか官とか言っていないで、それに見合ったかたを最大限に働かせ、それに協力するようにしなければ、閣僚も官僚もただ気概だけ大きく、無能力者の集まりになってしまうのではないか、綺麗な政治を目指すよりも実効性のある政治を目指さないといけないのかな、と思います。

 というところで、もう出かけないとまずいので、木蘭さんの方などは帰ってからにします。いつも本当にぎりぎりですみません(いいわけですが、グラフを見るのとか、苦手なんです)。少しだけ記しておくと、そのカップルの話は、愛は勝つというのか、どとうの愛の世界、というのか、何とも言えないです。

No.140 45ヶ月前

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