泉美木蘭のトンデモ見聞録・第203回「ゴー宣道場感想:コロナ禍と女性の地位向上」 木蘭さんも「わきまえる」の語義について語っておられますが、「辨理」とか「辨別」の意味では、こちらの方が正確だろうと思います。そう言っている自分も、しゃべクリやQ&Aコーナーではないところでは漢字制限を無視した文章を投稿しており、上記の投稿も含めて、文字数もだらだらとしていて何もわきまえていない感じですが、この場はライジングやゴー宣や、師範のかたがたの記事に関する感想や意見の場であり、揶揄や中傷の場ではないことは「わきまえている」つもりです。 ただ、世の中には光のあたっていない箇所もあって、ライジングと関連づけられる部分もあり、そういう箇所に光を与える意味でサブカルチャー的なことも記しているのですが、その点で思慮が足りない面があるのなら、注意します。「夜の街」のことも木蘭さんは述べられていますが、その中でしか生きられない人もいて、そこから成功のきっかけをつかんだ、という話もあるのかな、という話も理解しているつもりです。 確か、高木彬光先生の「方位学入門」に記されていたエピソードなのですが、そのホステスはあまりぱっとした子ではなかった。しかし、方位学に沿って店を変えたら、その子の魅力がほかの客に伝わり、売れっ子になって、やがて幸せな結婚をした、という話が記されていました。そういう幸福もあるのかな、と思いながら当時読みました(まだこの本、カッパノベルスか、光文社の文庫本とかにあるのかな、りか坊さん、もしも絶版なら、再版して欲しいです)。 閑話休題。それと、金塚辯護士はさすがにムードでは話をしておらす、上に立つ者の責任として言葉を選べ、という趣旨の発言をしておられましたが(「権力者」という語を自分はそのように解しました)、木蘭さんがおっしゃられるように、たまたまそういう人だった、ということであり、それでも客商売なら(これも以前のゴー宣にあったのかな)、お子様ランチに立っている日の丸に抗議した客に、皮肉を述べたステュワーデスが上司から注意を受け、客の我が儘をきくしかなかった、という話と同じようなことがあっても仕方がないのだろうと思います。自分のかつてつとめていた教材販売・大学受験現役合格の教育業者でも、「クレーム」がついた会員には優先的な対応をしなければならなかった、そうしないと消費者センターから裁判問題にされる、ということがありましたから(自分はどちらかというと、そういう風潮に反撥していた方でしたが)。 こちらも要点がぼやけてきましたが、すべての人が自分の好きなことを仕事にできているわけではなく、作家などでかりにできていたとしても、編集者や読者との関係で、本当に描きたいものだけを描いているわけでもなく、(江戸川乱歩先生の言葉を借りると)「売文」のようなことをしないと食っていけないこともあるのだろうと思います。 そして、女性の地位向上とか権利といった問題は自分の好きな職や仕事ができて云々ではなく、もっと大きなものにあるのではないか、差別完全撤廃ではなく、制約は多少あっても、その中で立派な仕事をすることであって、専門以外のことで勉強不足のまま意見を求められたり、形式的に言葉を規制するなどではなくて、共通認識ではなく「みんなの個々の違いをわきまえる」ことにあるのでは、と思います。「生理」とか、からだの発育の面で男女は異なっているので、まったく同じ待遇にはできないでしょう。その上で、共通して感じられるものは何かを探るべきでしょう。 うまくまとまりませんでしたが、こんなところです。
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泉美木蘭のトンデモ見聞録・第203回「ゴー宣道場感想:コロナ禍と女性の地位向上」
木蘭さんも「わきまえる」の語義について語っておられますが、「辨理」とか「辨別」の意味では、こちらの方が正確だろうと思います。そう言っている自分も、しゃべクリやQ&Aコーナーではないところでは漢字制限を無視した文章を投稿しており、上記の投稿も含めて、文字数もだらだらとしていて何もわきまえていない感じですが、この場はライジングやゴー宣や、師範のかたがたの記事に関する感想や意見の場であり、揶揄や中傷の場ではないことは「わきまえている」つもりです。
ただ、世の中には光のあたっていない箇所もあって、ライジングと関連づけられる部分もあり、そういう箇所に光を与える意味でサブカルチャー的なことも記しているのですが、その点で思慮が足りない面があるのなら、注意します。「夜の街」のことも木蘭さんは述べられていますが、その中でしか生きられない人もいて、そこから成功のきっかけをつかんだ、という話もあるのかな、という話も理解しているつもりです。
確か、高木彬光先生の「方位学入門」に記されていたエピソードなのですが、そのホステスはあまりぱっとした子ではなかった。しかし、方位学に沿って店を変えたら、その子の魅力がほかの客に伝わり、売れっ子になって、やがて幸せな結婚をした、という話が記されていました。そういう幸福もあるのかな、と思いながら当時読みました(まだこの本、カッパノベルスか、光文社の文庫本とかにあるのかな、りか坊さん、もしも絶版なら、再版して欲しいです)。
閑話休題。それと、金塚辯護士はさすがにムードでは話をしておらす、上に立つ者の責任として言葉を選べ、という趣旨の発言をしておられましたが(「権力者」という語を自分はそのように解しました)、木蘭さんがおっしゃられるように、たまたまそういう人だった、ということであり、それでも客商売なら(これも以前のゴー宣にあったのかな)、お子様ランチに立っている日の丸に抗議した客に、皮肉を述べたステュワーデスが上司から注意を受け、客の我が儘をきくしかなかった、という話と同じようなことがあっても仕方がないのだろうと思います。自分のかつてつとめていた教材販売・大学受験現役合格の教育業者でも、「クレーム」がついた会員には優先的な対応をしなければならなかった、そうしないと消費者センターから裁判問題にされる、ということがありましたから(自分はどちらかというと、そういう風潮に反撥していた方でしたが)。
こちらも要点がぼやけてきましたが、すべての人が自分の好きなことを仕事にできているわけではなく、作家などでかりにできていたとしても、編集者や読者との関係で、本当に描きたいものだけを描いているわけでもなく、(江戸川乱歩先生の言葉を借りると)「売文」のようなことをしないと食っていけないこともあるのだろうと思います。
そして、女性の地位向上とか権利といった問題は自分の好きな職や仕事ができて云々ではなく、もっと大きなものにあるのではないか、差別完全撤廃ではなく、制約は多少あっても、その中で立派な仕事をすることであって、専門以外のことで勉強不足のまま意見を求められたり、形式的に言葉を規制するなどではなくて、共通認識ではなく「みんなの個々の違いをわきまえる」ことにあるのでは、と思います。「生理」とか、からだの発育の面で男女は異なっているので、まったく同じ待遇にはできないでしょう。その上で、共通して感じられるものは何かを探るべきでしょう。
うまくまとまりませんでしたが、こんなところです。