Chariot のコメント

先日の『ゴー宣道場』はまだ視聴できていないのですが、ブログや『ライジング』記事などを拝読して、保守とリベラルの違いについて自分なりに感じたことを書いてみます。
私としては、ケロ坊さんの「リベラルは理念に向かっていくもの、保守は現場・現実・実践から考えるもの」というご指摘にとても腑に落ちました。
コロナ禍においても、自粛やマスク着用を絶対的なものとして強要するのは、現実を見ずに理念だけを追求しているからなのだと思います。
仮にマスコミの影響で「コロナ脳」化してしまっても、自分の周囲で死者はおろか感染者すら出ない現実、そして自粛が明けて車内や店内が利用客でひしめいてもほとんどクラスター感染が起きないという現実を見れば「何かおかしい」と気付くはず。
ましてや飲食やサービスなどの事業者側の立場であれば、現場における肌感覚で「ここまで制限される必然性などない」と分かります。
なので、今回の「森バッシング」と「自粛警察」「マスク警察」は大いに繋がる部分があるのだと思います。

以前、「コロナ脳」化する人は「テレビ報道や専門家を権威として疑わない・現場感覚が欠如したホワイトカラー」といった特徴があるというコメントを書き込みましたが、あらためて「現場感覚」の重要性を認識しました。
決してホワイトカラーに対して偏見を持っているわけではないのですが、オフィスや会議室での仕事がメインとなる方々は、自分なりに意識して視野を広げなければ「生の生産現場の感覚」というものを想像することが難しいのではないかと想像します。
そうなると、今あるモノやサービスを「消費」することばかりに楽しみを見出し、「現場・現実・実践から考える」という行為からますます遠ざかってしまう。
ニュースも一つの「消費すべき商品」として疑いなく取り込んでしまい、うまいこと正義感を刺激されると「理念」にまっしぐらになってしまうのかもしれません。

あと、蛇足ではありますが、京極夏彦『魍魎の匣』という小説にこんな一説があり、タイムリーだったので即座にメモしました。
「木場には考えることと思うことの区別がよく分からぬ。頭を使えば主観的になる。体を使えば客観的になる」
リベラルって、ともすれば「頭でっかち」に陥るものなのかなと思いました。

No.152 45ヶ月前

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