よしりん先生がブログで「初歩に戻る必要」について書かれていましたが、確かに戦略について再考する必要性はあるかもしれないと感じます。 生放送でも話されていた通り、前回の「緊急事態宣言」とは異なり、「これぐらいは大丈夫だろう」と見切っている庶民が多い印象です。 私は大阪在住なので他の地域とは温度差があるかもしれませんが(特に東京とは)、日中は普通に人出があるし、マスクしていない人も散見されるし、とある娯楽施設でははしゃいでハグしてる若者グループも見かけました。 それだけに、飲食店が一斉に店を閉める20時以降とのギャップがすさまじいです。 もっとも、屋外の昔ながらの赤提灯屋台に仕事帰りのサラリーマンらが、密になって群がっている様子も見かけましたが。 ともあれ、『コロナ論』などで知識を取り入れて理解した人、体感的に「ああ、これはもう大したことない」と分かってしまった人は確実に増えていると思います。 理屈では分かっているのに、何故声を上げないのか? 全体主義に呑まれているとか、畜生根性に陥っているといった要因に加えて、ひょっとしたら行動経済学の「損失回避性」という概念が関係しているのかもしれないと思い当たりました。 人間はとにかく「損失」を回避したい――正確には「損失」を確定させたくないという心理が強く、そのためにはいとも簡単に不合理な選択をとってしまう、という考え方。 そして「確定させたくない」――少しでも挽回の余地を残しておきたいという観点から、「損切り」を先送りしてしまう。 そのため、現状で既に「損失」が発生していることは承知していても、現状維持を第一に考えてしまう――これを「現状維持バイアス」と呼ぶのだそうです。 即ち、 ・今までの辛い自粛は全くの徒労に過ぎなかった、という事実を簡単に確定させたくない ・今、ガラリと変える(2類を5類に落とすなど)ことで「今までの苦労」が水泡に帰すリスクを感じている ・そのリスクに比べれば、現状維持のリスクの方が小さいと感じている(「ワクチン普及まで現状維持で」といったような) ――といったような心理が少なからず働いているのではないか、と考えています。 もちろん、これらは素人の推察に過ぎないのですが、全体主義や畜生根性含め様々な心理的要因に絡め取られて、分かってはいても声を出せないという事情はあるのだろうと思います。 結果、多くの国民は「とりあえず辛抱しておくしかない」という「内向き」な態度に終始しているのではないでしょうか。 だとすれば、ブログで少し触れられていましたが、日本医師会の責任追及を行うというのは、一つの方策としてありだと思います。 出来れば厚労省も含めて、徹底して「悪」をえぐり出すような。 こうして「糾弾されるべき悪」を提示することで、国民の「内向き」な感情を「外向き」にして憤りの方向性を一つにまとめ、さっさと「損切り」して政策転換すべしという世論が高まるだろう――ということは一つの可能性としては考えられます。 心理的な「重り」を取り除くことで、少しでも「合理性」が通用する世界に近づけるという感覚でしょうか。 もっとも、分かりやすい悪役に国民の関心を集める、という手法は、「保守」の立場として考えればあまり望ましいものではないのでしょう。 でも、あまり悠長にしていられない状況というのも事実。 あくまでもバランスを考慮しつつ、「空気」を変えるためには、戦略的に検討していく余地はあるのではと思います。
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よしりん先生がブログで「初歩に戻る必要」について書かれていましたが、確かに戦略について再考する必要性はあるかもしれないと感じます。
生放送でも話されていた通り、前回の「緊急事態宣言」とは異なり、「これぐらいは大丈夫だろう」と見切っている庶民が多い印象です。
私は大阪在住なので他の地域とは温度差があるかもしれませんが(特に東京とは)、日中は普通に人出があるし、マスクしていない人も散見されるし、とある娯楽施設でははしゃいでハグしてる若者グループも見かけました。
それだけに、飲食店が一斉に店を閉める20時以降とのギャップがすさまじいです。
もっとも、屋外の昔ながらの赤提灯屋台に仕事帰りのサラリーマンらが、密になって群がっている様子も見かけましたが。
ともあれ、『コロナ論』などで知識を取り入れて理解した人、体感的に「ああ、これはもう大したことない」と分かってしまった人は確実に増えていると思います。
理屈では分かっているのに、何故声を上げないのか?
全体主義に呑まれているとか、畜生根性に陥っているといった要因に加えて、ひょっとしたら行動経済学の「損失回避性」という概念が関係しているのかもしれないと思い当たりました。
人間はとにかく「損失」を回避したい――正確には「損失」を確定させたくないという心理が強く、そのためにはいとも簡単に不合理な選択をとってしまう、という考え方。
そして「確定させたくない」――少しでも挽回の余地を残しておきたいという観点から、「損切り」を先送りしてしまう。
そのため、現状で既に「損失」が発生していることは承知していても、現状維持を第一に考えてしまう――これを「現状維持バイアス」と呼ぶのだそうです。
即ち、
・今までの辛い自粛は全くの徒労に過ぎなかった、という事実を簡単に確定させたくない
・今、ガラリと変える(2類を5類に落とすなど)ことで「今までの苦労」が水泡に帰すリスクを感じている
・そのリスクに比べれば、現状維持のリスクの方が小さいと感じている(「ワクチン普及まで現状維持で」といったような)
――といったような心理が少なからず働いているのではないか、と考えています。
もちろん、これらは素人の推察に過ぎないのですが、全体主義や畜生根性含め様々な心理的要因に絡め取られて、分かってはいても声を出せないという事情はあるのだろうと思います。
結果、多くの国民は「とりあえず辛抱しておくしかない」という「内向き」な態度に終始しているのではないでしょうか。
だとすれば、ブログで少し触れられていましたが、日本医師会の責任追及を行うというのは、一つの方策としてありだと思います。
出来れば厚労省も含めて、徹底して「悪」をえぐり出すような。
こうして「糾弾されるべき悪」を提示することで、国民の「内向き」な感情を「外向き」にして憤りの方向性を一つにまとめ、さっさと「損切り」して政策転換すべしという世論が高まるだろう――ということは一つの可能性としては考えられます。
心理的な「重り」を取り除くことで、少しでも「合理性」が通用する世界に近づけるという感覚でしょうか。
もっとも、分かりやすい悪役に国民の関心を集める、という手法は、「保守」の立場として考えればあまり望ましいものではないのでしょう。
でも、あまり悠長にしていられない状況というのも事実。
あくまでもバランスを考慮しつつ、「空気」を変えるためには、戦略的に検討していく余地はあるのではと思います。