ウサギです。連投させていただきます。 高森先生の「『皇統』という価値」を読みました。読んでいて、考え込んでしまいました。果たして「血の連続性」は、日本の宗教的伝統において、どれほど絶対的な価値を持つものなのでしょう。 大和朝廷によって日本が統一されるより遥か前の時代、稲づくりの農耕儀礼を主宰する祭祀集団を中心に、社会の階層分化と職業分化がゆっくり進行していた原始神道の時代、祭祀集団の神聖性はどこまで「血統」によって担保されていたのでしょうか。 血統の問題について考えるには、日本の宗教的伝統について、広い観点から再考する必要があるように思われます。 もう一点。高森先生は次のようにおっしゃっています。 「天皇が『象徴』として求められる超越性も、人知人力による“作為”を超えた、血統という“自然”的、先験的な条件による継承があってこそ、保障され得る。」 確かに、日本の天皇の歴史を見ていけば、そうであったでしょう。しかしそれは、令和の御代においても、言えることなのでしょうか。男系主義と同様に、血統主義も、現代日本人にとっては、かつてほどの価値は持っていないのではないでしょうか。 仮に、今の天皇家に、一人の幼い子供が養子として迎え入れられたとします。その子供は皇室の皆様との親密な関係の中で、常に薫陶を受けながら育ち、やがて(愛子さまのような)気品のある人間に成長なさった。そしてその方が、次の天皇になられることになった。そのとき、現代日本人は、どれくらい心理的抵抗を感じるでしょうか。 天皇という「象徴」は、ある種の超越性を帯びている、ということについては同感ですが、その超越性の源泉は、必ずしも血筋である必要はないのではないでしょうか。 私のように考える人が、今の日本にどれくらいいるかは分かりません。しかし、現代社会が、ある人物が尊敬に値するかどうかを判断するのに、家格や血筋よりも、その人の人格や品性や能力に重きを置くようになってきているのは、間違いありません。 今上天皇は、次のようなお言葉を述べられました。 「伝統をしっかりと引き継いでいくとともに、それぞれの時代に応じて求められる皇室の在り方を追い求めていきたい。」 このお言葉をしっかりと受け止めつつ、私たちは「血統」の問題について、柔軟に考えていく必要があるように思われます。
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ウサギです。連投させていただきます。
高森先生の「『皇統』という価値」を読みました。読んでいて、考え込んでしまいました。果たして「血の連続性」は、日本の宗教的伝統において、どれほど絶対的な価値を持つものなのでしょう。
大和朝廷によって日本が統一されるより遥か前の時代、稲づくりの農耕儀礼を主宰する祭祀集団を中心に、社会の階層分化と職業分化がゆっくり進行していた原始神道の時代、祭祀集団の神聖性はどこまで「血統」によって担保されていたのでしょうか。
血統の問題について考えるには、日本の宗教的伝統について、広い観点から再考する必要があるように思われます。
もう一点。高森先生は次のようにおっしゃっています。
「天皇が『象徴』として求められる超越性も、人知人力による“作為”を超えた、血統という“自然”的、先験的な条件による継承があってこそ、保障され得る。」
確かに、日本の天皇の歴史を見ていけば、そうであったでしょう。しかしそれは、令和の御代においても、言えることなのでしょうか。男系主義と同様に、血統主義も、現代日本人にとっては、かつてほどの価値は持っていないのではないでしょうか。
仮に、今の天皇家に、一人の幼い子供が養子として迎え入れられたとします。その子供は皇室の皆様との親密な関係の中で、常に薫陶を受けながら育ち、やがて(愛子さまのような)気品のある人間に成長なさった。そしてその方が、次の天皇になられることになった。そのとき、現代日本人は、どれくらい心理的抵抗を感じるでしょうか。
天皇という「象徴」は、ある種の超越性を帯びている、ということについては同感ですが、その超越性の源泉は、必ずしも血筋である必要はないのではないでしょうか。
私のように考える人が、今の日本にどれくらいいるかは分かりません。しかし、現代社会が、ある人物が尊敬に値するかどうかを判断するのに、家格や血筋よりも、その人の人格や品性や能力に重きを置くようになってきているのは、間違いありません。
今上天皇は、次のようなお言葉を述べられました。
「伝統をしっかりと引き継いでいくとともに、それぞれの時代に応じて求められる皇室の在り方を追い求めていきたい。」
このお言葉をしっかりと受け止めつつ、私たちは「血統」の問題について、柔軟に考えていく必要があるように思われます。