今号も多忙な中、配信有り難うございます。 今回のよしりん先生の記事を読んで、思い出したことがあるので、記します(ひょっとしたら、不愉快な思いをされるかもしれませんが、ご容赦下さい)。 実は昔、まだチャンネル掲示板が存在した頃、自分も「一時的に」その掲示板に参加したことがあり、よしりん先生にTV出演をしたらどうか、という提言をしたことがあります。 その頃の記事ですが、コピー&ペーストして保存してあり、今回のことで読み返してみたのですが、非常に興味深いことが記してあったので、長くなりますが、引用します(この場に不適切なものでしたら、削除して下さって構いません)。 >それこそゴー宣を読まない人にとってはゴー宣とて無いのと同じなんスよね。 とはいえ、ネットの場合と、雑誌の場合とではかなりの差異があると、わたしは思います。 というのは、雑誌の場合は、書店などへゆきさえすれば、「購入する」あるいは「立ちよみする」などの手段で情報が得られますし、広告でもおおまかな内容が分かります。そこには何らかの「技術」は存在しません(識字障碍とか、辞書をひく、知識量とかいうのはのぞきます)。機会が有るか否か、関心があるかないかの問題だけです。 それに対し、インターネットは、インターネットに接続するための「回線」が必要で、そのためにネット会社と「契約」し、「工事」しなければなりません。さらに、そこに「接続」するという「技術」の問題が発生します。かりに他人から見せてもらう場合でも、誰かがインターネット画面を開いてなければ駄目なわけですよね。 そして、中にはお金を払わないと見られないものもありますし。 さらに、「検索機能」だって理解しないといけないわけですよね。その「検索語」にしても、「同音異義」のような言葉と混ざらないようにする工夫も要るわけで・・・。 あと、よく誤解されることとして、パソコンの技術と、ネットの技術は、必ずしも同じではないということです。 パソコンの用途として、「文書あるいは画像・デザイン作成」、「表計算・データ入力」などだってあるし、インストゥールすれば、パソコン上でゲームもできるわけで、別にネット接続しなくても、これらの機能を使いこなすのに問題はないでしょう? それに、インターネットは、携帯電話からも見られますよね。 インターネットを当たり前のように使いこなしてるかたがたは、そのことを意識しているのでしょうか?そして、完全に使いこなせていると言えるのでしょうか? そう考えると、使用できない人にとっては、かなりのハードルのある媒体だとわたしは思います。 まだまだテレビや雑誌、新聞が情報媒体の主要手段である時代が続くのではないでしょうか?そして、従来のものがネットに、逆にネットが今までのものと資本提携するような時代が、続いてゆくのではないか、とわたしは思うのですが・・・。 (中略) わたしは、できたらもっとよしりん先生には、(好む・好まざるにかかわらず)テレビなどに出演された方がよいのでは、とも思うのですが、健康・スケジュール面の問題でも、またマスメディア側の問題でも、難しいのかな、と思ったりします。 以上の記事に対して、ある人がこのような返答をしました。 >> ワンピースの尾田栄一郎さんはテレビに出なくてもマンガは売れている訳ですし。作家は雑誌で作品を発表するだけで良いのでは?売れている一般誌、商業誌に作品を載せるだけで良いと思いますぜよ。 言論人よしりんよりもマンガ家(作家)よしりんを重視したいっス。 それに対して、自分は以下のようなことを投稿しました。 >作家は雑誌で作品を発表するだけで良いのでは? 「ワンピース」は海洋冒険もので、ストーリーで勝負してるわけです(たしか「小さなバイキングビッケ」にインスパイヤされて描かれたんでしたっけ)。 それに対して、「ゴー宣」は今や時事諷刺漫画になってしまったので、やはりメッセージをひろく伝えるには、テレビの力は大なのでは、と思うのです。それこそ、毎月講演会をされるよりも、一度で多くの市井の人々に伝言、意見の伝播ができるし。 (震災直後に、たまたまニュース番組の取材を受けたなんて話もありましたね)。 ただ、やはりなんか違うような、とも思うんです。それこそ、「運動」になってしまいそうで。 (みなぽんさんが、「まだ多くの観客を集めるべきときではない」とおっしゃられたのは、そうなることを心配されてのことでしょうか?) こういうことを、評論家とか政治家とか呼ばれる人たちがしないのだろうか? それこそ、「餅屋は餅屋」なんではないかと?それとも「紺屋の白袴」なのか? 今にして思えば、この「ある人」の言ったことは当たっていたとも言えるのでしょう(ちなみに、私は上記の発言などを「資料」として残していただけで、しばらくその存在すらも忘れていました)。 それはさておき、自分もTVの発信力の大きさのみに捕らわれ、その公平さを絶対視していたようなところがありました。何とかよしりん先生の発言をとりあげてくれる放送局があったら、というふうに思っていた部分があったので、作家は本来小説を書き、漫画家は作品で商売をし、メッセージを訴えるものなのだ、という視野がかけていた部分があったのか、と反省します。 それと、上記の文章で、自分はネットの「技術」のことを問題にしていますが、スマートフォンの普及した今となってはそれはそんなに問題ではないのかも知れないです。しかし、TVやほかのマスコミ媒体を信じる人の方が多い、それしか目にしない人が大多数だ、という意見は当たっていたようにも思えます(自画自賛になってしまいますが)。 以上、何かの参考になってくれれば幸いです。
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今号も多忙な中、配信有り難うございます。
今回のよしりん先生の記事を読んで、思い出したことがあるので、記します(ひょっとしたら、不愉快な思いをされるかもしれませんが、ご容赦下さい)。
実は昔、まだチャンネル掲示板が存在した頃、自分も「一時的に」その掲示板に参加したことがあり、よしりん先生にTV出演をしたらどうか、という提言をしたことがあります。
その頃の記事ですが、コピー&ペーストして保存してあり、今回のことで読み返してみたのですが、非常に興味深いことが記してあったので、長くなりますが、引用します(この場に不適切なものでしたら、削除して下さって構いません)。
>それこそゴー宣を読まない人にとってはゴー宣とて無いのと同じなんスよね。
とはいえ、ネットの場合と、雑誌の場合とではかなりの差異があると、わたしは思います。
というのは、雑誌の場合は、書店などへゆきさえすれば、「購入する」あるいは「立ちよみする」などの手段で情報が得られますし、広告でもおおまかな内容が分かります。そこには何らかの「技術」は存在しません(識字障碍とか、辞書をひく、知識量とかいうのはのぞきます)。機会が有るか否か、関心があるかないかの問題だけです。
それに対し、インターネットは、インターネットに接続するための「回線」が必要で、そのためにネット会社と「契約」し、「工事」しなければなりません。さらに、そこに「接続」するという「技術」の問題が発生します。かりに他人から見せてもらう場合でも、誰かがインターネット画面を開いてなければ駄目なわけですよね。
そして、中にはお金を払わないと見られないものもありますし。
さらに、「検索機能」だって理解しないといけないわけですよね。その「検索語」にしても、「同音異義」のような言葉と混ざらないようにする工夫も要るわけで・・・。
あと、よく誤解されることとして、パソコンの技術と、ネットの技術は、必ずしも同じではないということです。
パソコンの用途として、「文書あるいは画像・デザイン作成」、「表計算・データ入力」などだってあるし、インストゥールすれば、パソコン上でゲームもできるわけで、別にネット接続しなくても、これらの機能を使いこなすのに問題はないでしょう?
それに、インターネットは、携帯電話からも見られますよね。
インターネットを当たり前のように使いこなしてるかたがたは、そのことを意識しているのでしょうか?そして、完全に使いこなせていると言えるのでしょうか?
そう考えると、使用できない人にとっては、かなりのハードルのある媒体だとわたしは思います。
まだまだテレビや雑誌、新聞が情報媒体の主要手段である時代が続くのではないでしょうか?そして、従来のものがネットに、逆にネットが今までのものと資本提携するような時代が、続いてゆくのではないか、とわたしは思うのですが・・・。
(中略)
わたしは、できたらもっとよしりん先生には、(好む・好まざるにかかわらず)テレビなどに出演された方がよいのでは、とも思うのですが、健康・スケジュール面の問題でも、またマスメディア側の問題でも、難しいのかな、と思ったりします。
以上の記事に対して、ある人がこのような返答をしました。
>>
ワンピースの尾田栄一郎さんはテレビに出なくてもマンガは売れている訳ですし。作家は雑誌で作品を発表するだけで良いのでは?売れている一般誌、商業誌に作品を載せるだけで良いと思いますぜよ。
言論人よしりんよりもマンガ家(作家)よしりんを重視したいっス。
それに対して、自分は以下のようなことを投稿しました。
>作家は雑誌で作品を発表するだけで良いのでは?
「ワンピース」は海洋冒険もので、ストーリーで勝負してるわけです(たしか「小さなバイキングビッケ」にインスパイヤされて描かれたんでしたっけ)。
それに対して、「ゴー宣」は今や時事諷刺漫画になってしまったので、やはりメッセージをひろく伝えるには、テレビの力は大なのでは、と思うのです。それこそ、毎月講演会をされるよりも、一度で多くの市井の人々に伝言、意見の伝播ができるし。
(震災直後に、たまたまニュース番組の取材を受けたなんて話もありましたね)。
ただ、やはりなんか違うような、とも思うんです。それこそ、「運動」になってしまいそうで。
(みなぽんさんが、「まだ多くの観客を集めるべきときではない」とおっしゃられたのは、そうなることを心配されてのことでしょうか?)
こういうことを、評論家とか政治家とか呼ばれる人たちがしないのだろうか?
それこそ、「餅屋は餅屋」なんではないかと?それとも「紺屋の白袴」なのか?
今にして思えば、この「ある人」の言ったことは当たっていたとも言えるのでしょう(ちなみに、私は上記の発言などを「資料」として残していただけで、しばらくその存在すらも忘れていました)。
それはさておき、自分もTVの発信力の大きさのみに捕らわれ、その公平さを絶対視していたようなところがありました。何とかよしりん先生の発言をとりあげてくれる放送局があったら、というふうに思っていた部分があったので、作家は本来小説を書き、漫画家は作品で商売をし、メッセージを訴えるものなのだ、という視野がかけていた部分があったのか、と反省します。
それと、上記の文章で、自分はネットの「技術」のことを問題にしていますが、スマートフォンの普及した今となってはそれはそんなに問題ではないのかも知れないです。しかし、TVやほかのマスコミ媒体を信じる人の方が多い、それしか目にしない人が大多数だ、という意見は当たっていたようにも思えます(自画自賛になってしまいますが)。
以上、何かの参考になってくれれば幸いです。