ハックスレー のコメント

おはようございます。
配信お疲れ様です。
爬虫類の餌用コオロギ以下の臆病者のコロナ脳の心理分析が見事です。
此間、人類学者の竹川大介というコロナ脳とバトったんですが、「新コロは大したウイルスではないと言っている人がいたら、自分が臆病者と責められているような気がするから、敵意をむき出しにする。」を見事に体現してくれました。
狂い方が尋常ではなかったです。
しかも陽性と感染の違いも知らない。
ついキレて「今更、陽性と感染の違いも知らない人は幼稚園児です。森友学園入って虐待されろ」とかましたくなりそうでした、笑。
その人は中立を装いながら、こんな事を書いてます。
以下コピペ。

コロナ禍の中で行動抑制に従うわたしたち。もし戦争が始まったら、いつのまにか、こんなふうに、みんな一生懸命戦争に協力するようになるのかなと、こんなときに、ふと考えてしまう。

映画「小さいおうち」「この世界の片隅に」に共通するモチーフとして、「戦争」のリアリティはないけど戦争「生活」のリアリティはあるという、そんな登場人物の日常が描かれている。実際に、多くの人々にとってあの戦争体験は(少なくとも空襲が始まるまでは)、そんなものだったのかもしれない。

今のわたしたちも同じだ。コロナ「感染」のリアリティは(ほとんど)ないけど、コロナ「生活」のリアリティは(いやというほど)ある。

このふたつのリアリティは、個人の経験の中でまったく乖離している。わたしたちは身近に患者を見かけることはほとんどないのに、毎日感染を恐れながら有事の生活をしなければならない。

それに耐えられない人たちは、コロナなんて怖くない、コロナは何かの陰謀だ、と感染のリアリティを軽んじたり見ないようにする。逆に、見えない感染のリアリティを過剰に恐れる人たちは、緊張感のない他者を攻撃し不謹慎警察や正義中毒に陥っていく。どちらも愚かだと思う。

しかし、感染のリアリティを冷静に理解し、この状況を考えようとしている人たちにも、日常のリアリティは否が応でも覆い被さってくる。なんとなく行動が抑制された生活。マスクをしなければ白い目で見られる日々。いつまでたっても対面講義を再開しない大学。感染リアリティのないまま、生活リアリティばかりが一人歩きしエスカレートしていく。

もし戦争が始まったら、いつのまにか、こんなふうに、みんな一生懸命戦争に協力するようになるのかなと、こんなときにふと考えてしまう。みえない戦争とみえない感染、なにが同じでなにが違うのだと思う?

誰かこの人を叱ってください。

No.33 52ヶ月前

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