希蝶 のコメント

 モーニングショー、見てみました。PCR檢査が増えないのはに鷄と卵の関係なのださうです。迷言を耳にしました。何を世迷ひ言を言ってゐるのだらうか。

 相かはらずPCRの精度7割のことは無視して、歌舞伎町を衰退させた責任を取らず、「強制ではない」と繰り返してゐる。世田谷モデルが優れてゐるとか。まるで鸚鵡のやう。コロナウヰルス專門の病院を作るのを顯彰してゐましたが、税金の無駄遣ひではあるまいか。コロナウヰルスが收まったら、どうする氣なのだらうか。

 挙げ句の果てには、ハンセン病のことを持ち上げて、元患者のかたがたの誤解を招いた、感染力が弱いから、コロナウ井ルスと比較できない、と。ならば、初めからハンセン病と比較するやうなインタヴューをするべきぢゃあないでせう。

 正直、呆れました。

 ここからは「ふつう」にします。

 「天気の子」にこだわるけれども、あの物語では、陽菜が巫女として生贄になれば、東京の雨は収まり、水没せず、文明は崩潰しなくて済んだ、という話ですよね。陽菜という「特別な存在」を社会から抹消することで、世の中が救われる、これだって、一種の全体主義で、PCR検査で陽性になった患者を「隔離」(保護)すれば良いという考えと何ら変わりはないでしょう。

 しかし、帆高の命がけの行動の結果、陽菜は救出され、2年半年以上続いた雨の結果、東京は水没したけれども、それで死人が出たわけではなく、水上都市になった東京で、人々は「日常」を続けている。確かに建物とか文化財の中には沈んでしまったものもあるかも知れないし、路上生活者も困ったのかも知れない。しかし、急撃に起ったわけではなく、ましてや、そのための「自粛」など一切行われていないだろう。荷物を移したり、水上都市にするだけの「準備期間」は十分あっただろう。
 誰も、そのことによって、不利益を被っているわけじゃないと思うのです。

 あまり同じ事を何度も繰り返して記しても無意味なのでしょうが、やはり比べてみる価値はあるのかな、と感じました。かけがいのない人に病原菌をうつしてはならないとするのも思いやりや愛情でしょうが、世の中はウイルスだけではなく、不運や嫌なことに満ち溢れている。それをすべてシャットアウトし、パラダイスのような世の中を築いたら、果たしてそこはユートピアになるのか、というようなことを思います。よくトマトやピーマンが嫌いな子供がいるけれども、じゃあ、その子にはトマトやピーマンを食わせないで育てるのが良いのか、といったら、それは確実に有害な結果を招くでしょう。  
 PCR検査のにわとりやたまごのたとえよりも、こちらの方がより切迫したものがある、と思います。

No.46 52ヶ月前

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