ゴーマニズム宣言・第376回「構造改革派 田坂広志」 今回の感想ですが、副業・サイドビジネスということを、自分はかつてしていました。と言っても、アルバイト・パートの掛け持ちをいくつもしていた、ということですが。 長く勤めていた教育関係会社を、とある事情(ナルコレプシーが表向きの原因。当時はその名称すら知らなかった)でやめるはめになった自分は、それでもその仕事のつづきのようなことがしたくて、塾講師をアルバイトでしました。しかし、それもうまくゆかず、集団形式の授業がうまくいかないのなら、ということで個別指導の講師を選びました。 しかし、それでは給金が貯まらず、別の個別塾の講師も掛け持ちしてみました。1年目はそちらの方でも大して稼げず、結果、スーパーの求人があったので、そこで、野菜の品出し、加工の仕事をすることになりました。仕事自体は決してつまらないものではなく、むしろやりがいのあるものでしたが、睡眠障碍にも悩まされ、また塾講師の掛け持ちの疲れ(予習や学習計画の立案など)もあいまって、就業時間ぎりぎりに職場に到着することもしばしばになり、「仕事をなめている」とまで言われるようになりました。決してそんなつもりはなかったのですが。家族にすすめられてカウンセリングに通ってもいましたが、その先生がアスペルガー症候群を説明してくれるまで、自分は本当に不真面目なのか、と真剣に悩んでもいました。 結局、3足、否、4足のわらじは長続きせず、塾掛け持ちも1つだけになり、スーパーの方も責任者のかたが変わってからつづかなくなり、入店カードをなくしたのがきっかけで、やめることになりました。最後に残った塾の方も、契約書があったわけではなく、夏期講習の終りと同時に、新しい講師を雇うということで、無理矢理解雇状態になり、さらにそれを巡って、人事担当が面目を潰されたという大騒ぎになり、何も得るものもなく、その職場を去りました。何とか正社員になれないか、と思っていたのですが。 二兎を追う者は一兎をも得ず、とはよく言ったものです。内職はともかく、人は一つの仕事に集中してこそ、真価を発揮できるのでしょう。 極端な例を述べましたが、田坂という人の述べているニュー・ノーマルとはこういう事態を招く結果になりはしまいか、と危懼致します。いくつもの企業に名を連ねる、ということはその各社との契約が必要とされるということであり、契約なしだと容赦なく解雇される、あるいは向こうはその意識すら持たずに、臨時日雇いを整理した位の意識しか持たれなくないのではないのでしょうか? 実は、自分は一種のテレワークみたいなことをしたこともあります・それはかつて勤めていた教育関係の会社で、通信添削の資料が期日までに完成できなくて、職場にいると電話応対や質問、その他もろもろの作業があったため、わざと仮病をつかって、自宅のパソコンで作業をしていたこともあります。後で職場の上司にこっぴどく叱られました。 人見知りで、会話がつづかず、人と協業するということが苦手だった、自分の特性や能力にも問題があるのですが、そういう面からも、モーニングショーやサンデーモーニングのブラウン管出演のコメンテーターを見ていて、自分のかつての姿を見ているようで、気持ちが悪くなることがあります。この人たちはただ番組ができれば、自分たちは引きこもりをしていればいいのか、みんなで協力して何かを成し遂げる、という気持ちは持ち合わせていないのか、と。だから、みんなで感染を拡げないように自宅待機しているんだ、と反論されそうですが、だったら、スタジオ内にいて、外に出なければよいだけのことです。 NHKの朝の番組の方は、博多大丸さんたちがスタジオに復帰して良かったと思います。先日、東村アキコさんがゲスト出演されていましたが、その仕事場ではテレワークが行われているそうで、どうしても時勢に逆らうことはできないのか、と残念に思いました。ただ、その中で工夫をされている姿は立派だ、と思いました。 仕事とは職人技であり、万人をもって可能な作業などあり得ないわけです。ただ、求人の必要なところに人を押し込んでも、物にならないのが常識なのではありますまいか。「構造改革」とはその点で間違っていると思います。パソコンやインターネットを見られない人だっているし(そうでない人も、今回の騒動ではTVやラジオのいうことを信用してしまっているわけで、悲しいことです)。構造改革を主張する人たちには、人間はとりかえのきく部品のようでいて、とりかえられないものなのだ、ということを理解して欲しいです。 こんなところです。
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ゴーマニズム宣言・第376回「構造改革派 田坂広志」
今回の感想ですが、副業・サイドビジネスということを、自分はかつてしていました。と言っても、アルバイト・パートの掛け持ちをいくつもしていた、ということですが。
長く勤めていた教育関係会社を、とある事情(ナルコレプシーが表向きの原因。当時はその名称すら知らなかった)でやめるはめになった自分は、それでもその仕事のつづきのようなことがしたくて、塾講師をアルバイトでしました。しかし、それもうまくゆかず、集団形式の授業がうまくいかないのなら、ということで個別指導の講師を選びました。
しかし、それでは給金が貯まらず、別の個別塾の講師も掛け持ちしてみました。1年目はそちらの方でも大して稼げず、結果、スーパーの求人があったので、そこで、野菜の品出し、加工の仕事をすることになりました。仕事自体は決してつまらないものではなく、むしろやりがいのあるものでしたが、睡眠障碍にも悩まされ、また塾講師の掛け持ちの疲れ(予習や学習計画の立案など)もあいまって、就業時間ぎりぎりに職場に到着することもしばしばになり、「仕事をなめている」とまで言われるようになりました。決してそんなつもりはなかったのですが。家族にすすめられてカウンセリングに通ってもいましたが、その先生がアスペルガー症候群を説明してくれるまで、自分は本当に不真面目なのか、と真剣に悩んでもいました。
結局、3足、否、4足のわらじは長続きせず、塾掛け持ちも1つだけになり、スーパーの方も責任者のかたが変わってからつづかなくなり、入店カードをなくしたのがきっかけで、やめることになりました。最後に残った塾の方も、契約書があったわけではなく、夏期講習の終りと同時に、新しい講師を雇うということで、無理矢理解雇状態になり、さらにそれを巡って、人事担当が面目を潰されたという大騒ぎになり、何も得るものもなく、その職場を去りました。何とか正社員になれないか、と思っていたのですが。
二兎を追う者は一兎をも得ず、とはよく言ったものです。内職はともかく、人は一つの仕事に集中してこそ、真価を発揮できるのでしょう。
極端な例を述べましたが、田坂という人の述べているニュー・ノーマルとはこういう事態を招く結果になりはしまいか、と危懼致します。いくつもの企業に名を連ねる、ということはその各社との契約が必要とされるということであり、契約なしだと容赦なく解雇される、あるいは向こうはその意識すら持たずに、臨時日雇いを整理した位の意識しか持たれなくないのではないのでしょうか?
実は、自分は一種のテレワークみたいなことをしたこともあります・それはかつて勤めていた教育関係の会社で、通信添削の資料が期日までに完成できなくて、職場にいると電話応対や質問、その他もろもろの作業があったため、わざと仮病をつかって、自宅のパソコンで作業をしていたこともあります。後で職場の上司にこっぴどく叱られました。
人見知りで、会話がつづかず、人と協業するということが苦手だった、自分の特性や能力にも問題があるのですが、そういう面からも、モーニングショーやサンデーモーニングのブラウン管出演のコメンテーターを見ていて、自分のかつての姿を見ているようで、気持ちが悪くなることがあります。この人たちはただ番組ができれば、自分たちは引きこもりをしていればいいのか、みんなで協力して何かを成し遂げる、という気持ちは持ち合わせていないのか、と。だから、みんなで感染を拡げないように自宅待機しているんだ、と反論されそうですが、だったら、スタジオ内にいて、外に出なければよいだけのことです。
NHKの朝の番組の方は、博多大丸さんたちがスタジオに復帰して良かったと思います。先日、東村アキコさんがゲスト出演されていましたが、その仕事場ではテレワークが行われているそうで、どうしても時勢に逆らうことはできないのか、と残念に思いました。ただ、その中で工夫をされている姿は立派だ、と思いました。
仕事とは職人技であり、万人をもって可能な作業などあり得ないわけです。ただ、求人の必要なところに人を押し込んでも、物にならないのが常識なのではありますまいか。「構造改革」とはその点で間違っていると思います。パソコンやインターネットを見られない人だっているし(そうでない人も、今回の騒動ではTVやラジオのいうことを信用してしまっているわけで、悲しいことです)。構造改革を主張する人たちには、人間はとりかえのきく部品のようでいて、とりかえられないものなのだ、ということを理解して欲しいです。
こんなところです。