M.O のコメント

配信ありがとうございます。
被暗示性について思い当たることがあります。
中野信子氏の『空気を読む脳』(講談社+α文庫)によれば、日本人はセロトニントランスポーターというタンパク質の密度が世界的に見ても低い部類に入り、不安感を抱きやすい特性があるのだそうです。
真面目で勤勉という国民性も、不安を募らせやすいことの裏返しである、と。
西洋人、特にラテン系の民族が楽天的で新奇探索性が強いのと対照的であるようです。
また、「絆」という言葉で象徴される協調性は、社会の生産性向上や治安の良さをもたらす反面、排他性を生み出してしまう要因にもなり得る、と。
「自粛警察」「不倫バッシング」「不謹慎狩り」のような、マナー違反を許さないという「(自称)義憤」の横行は日本において顕著な現象なのかなと思いました。

こうした観点からコロナ禍含む様々な事象を振り返ると、日本人は「空気」を読む即ち「明文化されたルール」よりも「不文律」を重視することを好んできたのだな、という気がします。
「自粛要請」「休業要請」に法的拘束力はない、それどころか憲法に抵触する可能性がある、と言ったところで聞く耳を持たず、とにかく「協調性」を発揮して困難を乗り切ることこそ肝要であり、そこに水を差す言論はけしからんというメンタリティに陥ってしまう。
マスク着用にしても、恐らく多くの国民は「予防としての意味はほとんどない」と分かっているはず。
でも着用するのは、マスクが「私は協調性のある人間ですよ」「一刻も早い終息に協力していますよ」という意思を示すアイコンの役割になっているからでしょう。
就活生のリクルートスーツみたいなものですかね。
「高信頼」の社会が醸成された負の側面と言えようかと思います。
だとするならば、立憲的改憲の実現にはまだまだ時間がかかりそうな気がします。
「法」や「データ」がもっと重視される社会になっていけば良いと思うのですが(もちろん、従来の「協調性」とバランスを取ったかたちで)。

No.29 47ヶ月前

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