希蝶 のコメント

 生放送、有難うございました。楽しく拝見させていただきました。
 今号の感想を記します。

 ゴーマニズム宣言・第375回「火星人襲来」
 このエピソードはとても有名な話ですが、私は同時に、このコメント欄の投稿(№80、98、143)にあったハレー彗星騒動の方にも心を動かされました。
 たしか、「空気のなくなる日」という小説があって、
 昔、学研の学年雑誌に掲載されたことがあって、
 空気がなくなるので、ホースを持って、空気を吸えるようにしよう、という場面があって、結局、誰も死ななくてああ、良かったという話で、
 戦争でなくなった人たちを今まで莫迦みたいと思っていたのが、かわいそうだと感じるようになった、とかいう話だったと覚えています。
 これらの話の例でも、科学と疑似科学とは親戚のようなもので、その境にあるものは、データによる実証であり、そのデータや実証に誤謬があったら、最初からやり直しであって、地道で、目立つところのない、報われるものも少ないものだけれども、誰かがその検証をやめてしまったら、全体が救われなくなる、まさしく群盲象を評す。みたいな事態が頻繁に発生するのではないか、と思います。
 どうして、こういうデマに、多くの人が知性や理性を失い、本能と情動の「けもの」と化してしまうのか、疑問でなりません。そして、みんながそういうふうに感じてしまっていることに、一人だけ異議を唱えることの何と難しいことか。ビートルズの歌にも「フール・オン・ザ・ヒル」というのがありますが、そういうことをしたら、狂人かひねくれ者としか言われない風潮にどこまで抵抗できるのか。日本人に限らず、人間社会では結局のところ、和が重視され、足並みをそろえない人間は笑われるか、差別されるものなのでしょうか。

 自分も小学校の時に、行進で同じ側の手足を同時に動かしたして笑われたし、親からもみっともないと矯正された経験があるのですが、ラジオドラマを信じ込んで狂ったり、ハレー彗星で毒ガスが出るというデマを信じ込んでパニックするよりかは、良かったのではないか、という気がしてきました。学校の行進は、みんなが揃っていなければいけないわけで、一人だけ勝手なことをしてはいけないものだ、と分かってはいるけれども。

(№156が長すぎて、まとまりがないと判断したので、文章を補足し、分けることにします。とりあえず、ここで区切ります)

No.157 54ヶ月前

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