M.O のコメント

録画しておいた番組を見ていると、現在のコロナ禍と比較対照して考えたくなる内容に突き当たることがあります。
NHKのノンフィクション番組『フランケンシュタインの誘惑』の「原爆誕生 科学者たちの罪と罰」がそれでした。
原爆を開発する「マンハッタン計画」にスポットを当てた内容なのですが、興味深かったのは開発計画に参加した科学者による当時を振り返った証言でした。
「皆、熱に浮かされたように仕事をしていた」

皆様もご存じの通り、ナチスが原爆を開発しているとの噂に対して、アメリカも原爆の開発をすべきと言い出したのは、政治家ではなく科学者たちでした。
アメリカ政府に開発を要求する書状を作成し、アインシュタインもそれに署名をしたというのは有名な話です。
科学者らが自分たちなりの脅威を感じることで、自らプロジェクトの必要性を作りだしたかのように感じられてしまいます。
しかも、1944年には「ナチスが原爆を開発しているという事実はない」ということが米軍の調査で明らかになっていました。
この時点で「ではもう原爆は必要ない」と考えて自らプロジェクトから離れた科学者もいましたが、それはごく少数だったようです。
リーダーのオッペンハイマーは「原爆の開発成功が世界に平和をもたらす」と弁舌を振るったことで、多くの科学者は納得して「仕事」を継続。
イラク戦争と似たような構造が醸成された中で、科学者が「集」として暴走し始めたのではないか、と想像してしまいます。

その後、日本への原爆投下については科学者の間でも意見が割れたそうですが、最終的に作成された「勧告書」の中では「デモンストレーションとしての使用(砂漠や無人島に投下して脅威を示して降伏を促す)」ではなく「直接的軍事使用」を支持。
ただし、その文書は「(略)しかし、我々には政治的社会的軍事的問題を解決する能力はありません」と締めくくられています。
ジョージ・メイソン大学歴史学教授マーティン・シャーウィンは、この文言について「言い訳しながら原爆投下を認めた」として批判しています。

こうした「暴走」や「言い訳」が、今回のコロナ禍にも見受けられるのではないか、と感じます。
確かに、物理学者による兵器開発とウイルス学者による感染症対策とではまるで性格が異なるものではあります。
でも「自分は専門分野のことしか分からない」ということを認識しながらも、「正義」のために猪突猛進し、一般的な常識と照らし合わせてバランスを欠いていないか自己検証することに無頓着という態度は、両者に共通するものがあるのではないかと思います。
加えて「ここまで来た以上はもう引き下がれない・過ちを認めることは出来ない」という自己保身の心理も同様なのかな、と。

番組では、ノーベル物理学賞受賞の朝永振一郎氏の以下の言葉を紹介していました。
「科学者の任務は法則の発見で終わらず、その善悪両方の影響を人々に知らせ、誤った使われ方を防ぐことに努めなければならない」
また、オッペンハイマーは原爆投下から2年後に以下のようなセリフを吐いたそうです。
「物理学者は罪を知った」
私としては、やはり「専門家会議は専門バカの集団」というのを言い訳として認めてはならないと思います。
「8割おじさん」のシミュレーションが極端だと感じないとか、5月になってから「経済の専門家が必要」と言い出すって、どういう感覚なんだろう?
威光を掲げる「科学者集団」って、場合によっては「官僚集団」よりもアブナいことを平気でやっちまうんじゃあないか? という気がしました。
「集」に囚われる恐ろしさを知ることが出来た番組でした。

No.226 53ヶ月前

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