(Ⅲ) 「グローバリゼーション」という妖怪 さて。 やっと追加の、本題です。 日本を含む東アジアと英米欧などでは、被害率がかなりちゃいます。これだけは明らか。 先生がご指摘なさっている通りです。 コロそのものの「原因」や地域較差の分析・究明は研究者にお任せするとして。 それと。原因が解明されないとなんか色々わからない、わからないからなんか色々ダメっておっしゃる医療関係者さん等へ。 質問です。 原因原理主義、因果関係原理主義者のあなた方は、たとえば「偽薬、placebo」の存在を、どう肯定的/否定的/不可知主義的にとらえてはるの? んっとに、もう。 何年、科学を学んできはったの? 原因なんか(今は。 あるいは未来永劫)わからんでも、厳然と存在する現実や事実は、あなたの眼前にかていくらでも、もしかしたら無限にありまんねん。 (A)副作用 マスコミや政治家など、自分の間違い、失策、後手後手、認識の甘さを棚に上げるため……では決してないにせよ、今回のコロ騒動。 「グローバリゼーションのせいだ!」 「グローバリゼーションが元凶だ!」 「いやいや、特定の国のせいだ」 そんな議論はよく目にしますよね。 一々例を挙げなくていいですね? 多少中立な言い方で、「グローバリゼーションの副作用」と。 比較的中立だから、コレに乗っかっていってみましょう。 「副作用」ですか。 そうですか。 副作用(副反応)があるからには、好ましい「作用」もあったってこと。 要は、バランスですね? 「用法・容量は正しく」って話ですね? では。 世界経済や各国経済への、グローバル化の投与の用法・容量は正しかったか? 特に大事な、投薬の速度は? 副反応が現れた場合なっど、各国経済への緩和措置は投薬以前からじゅうぶん考慮されていたか? とまぁ訊かれてしまうと、わたしの中の「後知恵哲人」にダメ出しされる気しかしないんですが。 (B) グローバル化の5局面 ここは、「そこからですか?」iな議論で後知恵哲人を煙に巻きましょう。 そもそも歴史の教科書には、「グローバル化」には段階がある、1492(1493)とか「コロンブス交換」に始まるとかいわれる。 ――いやいや。 世界史、少なくとも東洋史ではグローバル化はもっと前に始まっている。おおよそ5つのフェーズ、局面があるとされてます。 以下、受け売りの大安売り。 フェーズ1: モンゴル帝国 同2: スペイン(+ポルトガル)(1500~) 同2.5: 英西、蘭英、仏英の争い(1600~1763) 同3: 大英帝国(~1918) 同3.5: 本来の帝国、アメリカの内向き時代 (~1945) 同4: 東西冷戦(1945~1990) 同5: 米+英豪など四か国(1990~現在?) 以上受け売りiiで恐縮ですねんけど、頭の片隅にでも。 第1フェーズから、帝国内外の人馬の流通の増大などから、ペストがヨーロッパに伝播します。 帝国そのものの弱体化まで招いた、と。 帝国の弱体化といえば……モンゴル帝国は「不換紙幣」すなわち貴金属の裏付けがなく、それとの交換を保証してない紙幣。 政府が無責任ならジンバブエーーだったりワイマーールだったりする、トンデモな代物。 広く用いた最初の帝国でしょうiii。 最初はええことずくめに見えた不換紙幣も、乱発されるようになります。インフレが帝国を経済的に苦しめ、疲弊させます。 (c)1~5で観察される事実、パターンなど 観察① 起源 グローバル化は「中原の支配者」になったモンゴル民族から始まった。(やや苦しい?)。 観察② 疫病と抱き合わせ販売 普遍的? 最初から疫病とセットの販売。 人の行き来が増えるんですから、自然な成り行きです。 「最大の外来種は、人」iv 「そういうわけだから、今更『副作用』って!」と、後知恵の神様も。 観察③ 帝国と金融 帝国と不換紙幣はセットではありません。モンゴル帝国ごめんさない。 しかし。 帝国と金融の関係は大事。 例が大英帝国。 不換紙幣? そんなもんあかん、と兌換紙幣にこだわった。そこまではよさそうですね。 ところがモンゴルとは逆、19世紀の最後の25年、長期のデフレに苦しみます。 で、第一次大戦による全ヨーロッパからの大規模な金の流出(アメリカへ、)で経済的にはトドメ。 観察④ フェーズ4の異質性 異質といえば異質なのがフェーズ4。 モンゴル帝国以降でも空位時代はそれなりにあった。 しかし4では二つの世界帝国があり、しかも英蘭や英仏の潰し合いでもなく、にらみ合う状態が50年近く続いた。 一般に「冷戦、Cold War」と呼んでます。 しかし事実として、少なくとも世界全体では、少なくともその前の50年より遙かに平和でした。 その理由が、交代可能なライバルがお互いにいたからか。アルフレッド・ノーベルさんの予言した、相互破壊保証のせいかは知りません。 観察⑤ 戦争と疫病 戦争と疫病は、かなりしばしばセットです。 栄養状態がまずは悪くなるし、ストレスは高まるのですから、当然でしょう。 最近の例では、日本の大東亜戦争/太平洋戦争の南方戦線における、我がご先祖の方々の悲惨は有名です。 推測に違いは多少あれど、かなりの比率の兵士が「病死・栄養失調死(餓死)・その混合」でお亡くなりになった。純粋な意味での戦闘もしないでお亡くなりに――改めて、合掌。 なおコロの引き合いに出される、第一次大戦の「スペイン風邪」について。 まず予備知識として。あれは「風邪」ではなくインフルエンザ。 毒性が本来高い。 そして、あの大流行は戦争とセットなものだったと銘記しときたい。 というのも4月中旬ごろ、最大手週刊誌Bに疫病と歴史をめぐる対談が載ってました。 フランス文学者と日本史の専門家によるものと記憶します(マチガイかも)。 ところが二人の「スペイン風邪」論議。 スペイン・ウィルスの起源論や名前の由来ウンチクは、趣味人はともかく、普遍的教訓を得るうえでは、ひとまずどーでもええんです。 スペイン・インフルの随分とおかしな把握を感じましたv。 対談で、インフルなら高齢者か乳幼児が犠牲になりやすいのに、スペイン・インフルでは、「どういうわけか青壮年男子に多かった」と。 えっと…… ヨーロッパや米国については、それが戦争のせいだったのは火を見るより明らか。 というより歴史の常識です。 当時、前線で戦闘を戦うのは、青壮年男子が90%+でしょうvi。 (i) 戦時固有の事情① 検閲 戦時下ゆえ正当化された、軍部による検閲がおおいに災いした。 実態の深刻さの把握の邪魔になったことはまちがいないでしょう。 (ii) 戦時固有の事情② 栄養状態 また上に記した、戦争ゆえの栄養状態の悪化。 (iii) 戦時固有の事情③ ストレス 死と隣り合わせのストレス。 現在はPTSDは有名ですね? 直訳すると「トラウマになるストレス」の「後の」「精神失調」です。 第一次大戦では、そんな深刻なストレスが前線や塹壕の現場で起きていた、時々刻々と。 これが免疫系にエエ影響をもたらすはずがない。 余談ですが、戦時ストレスのPTSD発症率は2割強とされます。 PTSD的には、あらゆるストレスの中でも最高級の要因です。 (iv) 戦時固有の事情④ 衛生状態の悪さ 衛生状態の悪さ(塹壕戦なら、雨水は、たまり放題?)。 (v) 戦時固有の事情⑤ 軍のキャンプや野戦病院における過密 このリスクは、現代の後知恵ハカセ的には論外なんですが、当時は細菌医学の発展途上期であったことはちょっとだけ考慮したげてもいいかもvii。 (vi) WW1固有の事情 規模は忘れました。 しかしあの大戦中、毒ガスがまだ使われてた事実を忘れてはいけない。 肺に入る毒ガスが肺機能だけでなく、生き延びた人のインフル感染に中立だったとは、到底考えにくい。 あえて細かく述べました。 なぜか。 細かく述べて初めて各パンデミックには相当程度一般的な教訓もあれば、あまり再現性がないものもあるとお示しできると考えたからです。 すると、なにかと言及されるスペイン風邪。 正しくはスペイン・インフルであり、今回のケースに平気で引き合いに出す歴史感覚は多分おかしい。 「ラスコリニコフの悪夢」の到来だと騒いでるような人のほうが、まだ人にも家畜にも無害ではないかと愚かにも考えます。 「歴史を繙くときは細心の注意が必要」と先生にはいわれたものです。 なんでしたっけ。 「悪魔でも歴史書を簡単に引用できる。 自分の利益の為に」 とかいうコトバもありますよね? (……引用がちゃう気もします) とはいえお気づきのように、「戦時固有の事情」と述べはしましたが、上記の(ii)と(iii)についてなら、平時・無事のときにも妥当する要素があります。 (ii)については、人類史的には戦時以外では飢饉のときが多いと思われます。 がしかし今次コロ騒ぎにおいては、解除されたとはいえ、自粛・「行動変容」圧力の名残りがある。 「経済あっての命」なのにその前提を崩したわけです。 既に収入の途が絶たれた方もそう、今後も。絶たれるか、途はあっても細ったままの方々は増えやすい。 先立つものが減る(た)中、傾向としては栄養状態が悪化しやすい。 つまり、他の条件が同じならば、免疫系が損なわれやすくなります。 もしコロ感染と死者数を減らすことが至上目的だったなら、¥10万@国民にとどまらず、栄養状態はせめて全面的に担保すべきでした。 それは、今からであっても、やらないよりは遙かにええです。 (iii)については厄介です。 ショック的な脅しは不要だったか必要だったか。 池上さん並みの落ち着いた感じでゆえんかったかね?! 善意であれ、脅しを伴いつつ「行動変容」を促したことなどは、第一次大戦の教訓からはおよそ勧められない、ゆうことです。 少なくとも日本では、途中の時点から、煽られ気味にわたくしたち庶民が感じさせられた不要な「病や死の恐怖」、不要な「相互監視ムード」。更に、本来なら正当なストレス解消に資する娯楽、entertainment industryなどを不要かつ過剰に抑圧した疑いも消えない。 この三つが合わさったストレスは、大なり小なりわたくしたちの免疫系システムを損ないやすくする。 ストレスは免疫系を損なうのに、今回のとったやり口は……たとえるなら「負の偽薬、negative placebo」を国民レベルで飲まさせるようなもんです。 ええ、ええ、後知恵全開ですけどなにか? 素人なんで。 すんません。 けど専門家・医師ならば。 現在の免疫理解のイロハに反するのはわかりますね? 当然、予め知っておくべきことでもあるやろし? 少なくとも途中からは、「脅しはもう要らないな」って気づくべき。 太平洋の向こう側で日本と同じ状況だったなら、集団訴訟による国家賠償請求もんちゃうかな? 知ってて故意でやったのなら(と立証されれば)、塀の中に落ちるレベル。 もちろんそんな可能性は無視してええんですけど。 ともかく。 やっと(Ⅲ)冒頭に還るのです。 日本の大手マスコミは、以下のようなことをもしかして察知し忖度して、片方に肩入れして。それで「右に倣え」式に論の歩調を揃えている可能性があるのではないか? それで、あんな頑なな、岩盤的な「病原菌との闘いを声高に言いつつ、自分たちの言論に煽られた被害者に時々目配り」。 そんなデザインの衣装をまとっているだけなのではないか? その方針が、よくよく考え抜かれた末での結論であることを祈ってます。 実際、そうなんでしょうしネ。 思えば「スペイン風邪」のとき。 直前の黄禍論の名残りもあったのか、比較的被害が軽かった中国やアジア悪者説を唱える人がいたようです。 ……アレ? 今の英米欧対中国とちょっとだけ、ほんのちょっとだけ構図が似てる? 「情報開示」がどうこうって単なる人種差別の言い換え? それは無いですよ。 でも、もうちょっと歴史を。 中国が自力で資本を調達して「世界の工場」としてグローバル化を推進し、発達できたわけではない。 誰と誰と誰が中国に敢えて資本を投下し、あえて発展を促したか? 最近でいうなら、1990年代でしょう。 しかしもう少し前、1970年代に国交回復した国々がそうした理由・動機は? 仮に1990年代以降としても、そう、グローバル化のフェーズ5。 この劇薬、失礼、クスリの主作用、果実を最大限享受してきたのは誰か? 中ツ国ではないですね? 断じて。 では、どことどことどこか。 あるいはどういう階層・職業か? この程度の疑問なんて、アジア人に限らずどんな人の頭にでも渦巻くのです。 コロ自体は意図せざるものであれ、起きたコロを奇貨とした「黄禍論もどき」があるならば―あくまで仮定、「ちょっと芸がございませんことよ」。 実際、尻馬に乗っても多分ええことは無いんやないかな。 未来は不定なので、どこまでも勘ですけど。 「歴史の二度目は喜劇」ってやつになるかもしれません。 まとめると。 日本居住の日本人も日本人でない居住者も。以上のことなどがうっかり妥当している場合の、自分や家族や友人への意味合いに思いを馳せつつ、現在見えてる(っぽい)事実、見えてないがありえる事実、考えたくもない事実。 そういうものをあえて考えないといけない。 ある程度考え抜いたらリスク・テイクかヘッジか。 行動に移さないと色々ヤバい。 そう感じます。 杞憂でしょうか。 (以上、5/31コメントを指摘を踏まえて改稿)
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(Ⅲ) 「グローバリゼーション」という妖怪
さて。
やっと追加の、本題です。
日本を含む東アジアと英米欧などでは、被害率がかなりちゃいます。これだけは明らか。
先生がご指摘なさっている通りです。
コロそのものの「原因」や地域較差の分析・究明は研究者にお任せするとして。
それと。原因が解明されないとなんか色々わからない、わからないからなんか色々ダメっておっしゃる医療関係者さん等へ。
質問です。
原因原理主義、因果関係原理主義者のあなた方は、たとえば「偽薬、placebo」の存在を、どう肯定的/否定的/不可知主義的にとらえてはるの?
んっとに、もう。 何年、科学を学んできはったの?
原因なんか(今は。 あるいは未来永劫)わからんでも、厳然と存在する現実や事実は、あなたの眼前にかていくらでも、もしかしたら無限にありまんねん。
(A)副作用
マスコミや政治家など、自分の間違い、失策、後手後手、認識の甘さを棚に上げるため……では決してないにせよ、今回のコロ騒動。
「グローバリゼーションのせいだ!」
「グローバリゼーションが元凶だ!」
「いやいや、特定の国のせいだ」
そんな議論はよく目にしますよね。
一々例を挙げなくていいですね?
多少中立な言い方で、「グローバリゼーションの副作用」と。
比較的中立だから、コレに乗っかっていってみましょう。
「副作用」ですか。 そうですか。
副作用(副反応)があるからには、好ましい「作用」もあったってこと。
要は、バランスですね?
「用法・容量は正しく」って話ですね?
では。
世界経済や各国経済への、グローバル化の投与の用法・容量は正しかったか?
特に大事な、投薬の速度は?
副反応が現れた場合なっど、各国経済への緩和措置は投薬以前からじゅうぶん考慮されていたか?
とまぁ訊かれてしまうと、わたしの中の「後知恵哲人」にダメ出しされる気しかしないんですが。
(B) グローバル化の5局面
ここは、「そこからですか?」iな議論で後知恵哲人を煙に巻きましょう。
そもそも歴史の教科書には、「グローバル化」には段階がある、1492(1493)とか「コロンブス交換」に始まるとかいわれる。
――いやいや。
世界史、少なくとも東洋史ではグローバル化はもっと前に始まっている。おおよそ5つのフェーズ、局面があるとされてます。
以下、受け売りの大安売り。
フェーズ1: モンゴル帝国
同2: スペイン(+ポルトガル)(1500~)
同2.5: 英西、蘭英、仏英の争い(1600~1763)
同3: 大英帝国(~1918)
同3.5: 本来の帝国、アメリカの内向き時代 (~1945)
同4: 東西冷戦(1945~1990)
同5: 米+英豪など四か国(1990~現在?)
以上受け売りiiで恐縮ですねんけど、頭の片隅にでも。
第1フェーズから、帝国内外の人馬の流通の増大などから、ペストがヨーロッパに伝播します。 帝国そのものの弱体化まで招いた、と。
帝国の弱体化といえば……モンゴル帝国は「不換紙幣」すなわち貴金属の裏付けがなく、それとの交換を保証してない紙幣。
政府が無責任ならジンバブエーーだったりワイマーールだったりする、トンデモな代物。 広く用いた最初の帝国でしょうiii。
最初はええことずくめに見えた不換紙幣も、乱発されるようになります。インフレが帝国を経済的に苦しめ、疲弊させます。
(c)1~5で観察される事実、パターンなど
観察① 起源
グローバル化は「中原の支配者」になったモンゴル民族から始まった。(やや苦しい?)。
観察② 疫病と抱き合わせ販売
普遍的? 最初から疫病とセットの販売。
人の行き来が増えるんですから、自然な成り行きです。
「最大の外来種は、人」iv
「そういうわけだから、今更『副作用』って!」と、後知恵の神様も。
観察③ 帝国と金融
帝国と不換紙幣はセットではありません。モンゴル帝国ごめんさない。
しかし。 帝国と金融の関係は大事。
例が大英帝国。 不換紙幣? そんなもんあかん、と兌換紙幣にこだわった。そこまではよさそうですね。
ところがモンゴルとは逆、19世紀の最後の25年、長期のデフレに苦しみます。 で、第一次大戦による全ヨーロッパからの大規模な金の流出(アメリカへ、)で経済的にはトドメ。
観察④ フェーズ4の異質性
異質といえば異質なのがフェーズ4。
モンゴル帝国以降でも空位時代はそれなりにあった。
しかし4では二つの世界帝国があり、しかも英蘭や英仏の潰し合いでもなく、にらみ合う状態が50年近く続いた。
一般に「冷戦、Cold War」と呼んでます。
しかし事実として、少なくとも世界全体では、少なくともその前の50年より遙かに平和でした。
その理由が、交代可能なライバルがお互いにいたからか。アルフレッド・ノーベルさんの予言した、相互破壊保証のせいかは知りません。
観察⑤ 戦争と疫病
戦争と疫病は、かなりしばしばセットです。 栄養状態がまずは悪くなるし、ストレスは高まるのですから、当然でしょう。
最近の例では、日本の大東亜戦争/太平洋戦争の南方戦線における、我がご先祖の方々の悲惨は有名です。
推測に違いは多少あれど、かなりの比率の兵士が「病死・栄養失調死(餓死)・その混合」でお亡くなりになった。純粋な意味での戦闘もしないでお亡くなりに――改めて、合掌。
なおコロの引き合いに出される、第一次大戦の「スペイン風邪」について。
まず予備知識として。あれは「風邪」ではなくインフルエンザ。 毒性が本来高い。 そして、あの大流行は戦争とセットなものだったと銘記しときたい。
というのも4月中旬ごろ、最大手週刊誌Bに疫病と歴史をめぐる対談が載ってました。 フランス文学者と日本史の専門家によるものと記憶します(マチガイかも)。 ところが二人の「スペイン風邪」論議。 スペイン・ウィルスの起源論や名前の由来ウンチクは、趣味人はともかく、普遍的教訓を得るうえでは、ひとまずどーでもええんです。 スペイン・インフルの随分とおかしな把握を感じましたv。 対談で、インフルなら高齢者か乳幼児が犠牲になりやすいのに、スペイン・インフルでは、「どういうわけか青壮年男子に多かった」と。
えっと……
ヨーロッパや米国については、それが戦争のせいだったのは火を見るより明らか。 というより歴史の常識です。
当時、前線で戦闘を戦うのは、青壮年男子が90%+でしょうvi。
(i) 戦時固有の事情① 検閲
戦時下ゆえ正当化された、軍部による検閲がおおいに災いした。 実態の深刻さの把握の邪魔になったことはまちがいないでしょう。
(ii) 戦時固有の事情② 栄養状態
また上に記した、戦争ゆえの栄養状態の悪化。
(iii) 戦時固有の事情③ ストレス
死と隣り合わせのストレス。
現在はPTSDは有名ですね? 直訳すると「トラウマになるストレス」の「後の」「精神失調」です。
第一次大戦では、そんな深刻なストレスが前線や塹壕の現場で起きていた、時々刻々と。 これが免疫系にエエ影響をもたらすはずがない。
余談ですが、戦時ストレスのPTSD発症率は2割強とされます。 PTSD的には、あらゆるストレスの中でも最高級の要因です。
(iv) 戦時固有の事情④ 衛生状態の悪さ
衛生状態の悪さ(塹壕戦なら、雨水は、たまり放題?)。
(v) 戦時固有の事情⑤ 軍のキャンプや野戦病院における過密
このリスクは、現代の後知恵ハカセ的には論外なんですが、当時は細菌医学の発展途上期であったことはちょっとだけ考慮したげてもいいかもvii。
(vi) WW1固有の事情
規模は忘れました。 しかしあの大戦中、毒ガスがまだ使われてた事実を忘れてはいけない。
肺に入る毒ガスが肺機能だけでなく、生き延びた人のインフル感染に中立だったとは、到底考えにくい。
あえて細かく述べました。
なぜか。 細かく述べて初めて各パンデミックには相当程度一般的な教訓もあれば、あまり再現性がないものもあるとお示しできると考えたからです。
すると、なにかと言及されるスペイン風邪。
正しくはスペイン・インフルであり、今回のケースに平気で引き合いに出す歴史感覚は多分おかしい。
「ラスコリニコフの悪夢」の到来だと騒いでるような人のほうが、まだ人にも家畜にも無害ではないかと愚かにも考えます。
「歴史を繙くときは細心の注意が必要」と先生にはいわれたものです。
なんでしたっけ。
「悪魔でも歴史書を簡単に引用できる。 自分の利益の為に」
とかいうコトバもありますよね? (……引用がちゃう気もします)
とはいえお気づきのように、「戦時固有の事情」と述べはしましたが、上記の(ii)と(iii)についてなら、平時・無事のときにも妥当する要素があります。
(ii)については、人類史的には戦時以外では飢饉のときが多いと思われます。
がしかし今次コロ騒ぎにおいては、解除されたとはいえ、自粛・「行動変容」圧力の名残りがある。 「経済あっての命」なのにその前提を崩したわけです。 既に収入の途が絶たれた方もそう、今後も。絶たれるか、途はあっても細ったままの方々は増えやすい。 先立つものが減る(た)中、傾向としては栄養状態が悪化しやすい。
つまり、他の条件が同じならば、免疫系が損なわれやすくなります。
もしコロ感染と死者数を減らすことが至上目的だったなら、¥10万@国民にとどまらず、栄養状態はせめて全面的に担保すべきでした。 それは、今からであっても、やらないよりは遙かにええです。
(iii)については厄介です。
ショック的な脅しは不要だったか必要だったか。
池上さん並みの落ち着いた感じでゆえんかったかね?!
善意であれ、脅しを伴いつつ「行動変容」を促したことなどは、第一次大戦の教訓からはおよそ勧められない、ゆうことです。
少なくとも日本では、途中の時点から、煽られ気味にわたくしたち庶民が感じさせられた不要な「病や死の恐怖」、不要な「相互監視ムード」。更に、本来なら正当なストレス解消に資する娯楽、entertainment industryなどを不要かつ過剰に抑圧した疑いも消えない。
この三つが合わさったストレスは、大なり小なりわたくしたちの免疫系システムを損ないやすくする。
ストレスは免疫系を損なうのに、今回のとったやり口は……たとえるなら「負の偽薬、negative placebo」を国民レベルで飲まさせるようなもんです。
ええ、ええ、後知恵全開ですけどなにか? 素人なんで。 すんません。
けど専門家・医師ならば。 現在の免疫理解のイロハに反するのはわかりますね? 当然、予め知っておくべきことでもあるやろし?
少なくとも途中からは、「脅しはもう要らないな」って気づくべき。
太平洋の向こう側で日本と同じ状況だったなら、集団訴訟による国家賠償請求もんちゃうかな?
知ってて故意でやったのなら(と立証されれば)、塀の中に落ちるレベル。 もちろんそんな可能性は無視してええんですけど。
ともかく。
やっと(Ⅲ)冒頭に還るのです。
日本の大手マスコミは、以下のようなことをもしかして察知し忖度して、片方に肩入れして。それで「右に倣え」式に論の歩調を揃えている可能性があるのではないか?
それで、あんな頑なな、岩盤的な「病原菌との闘いを声高に言いつつ、自分たちの言論に煽られた被害者に時々目配り」。
そんなデザインの衣装をまとっているだけなのではないか?
その方針が、よくよく考え抜かれた末での結論であることを祈ってます。
実際、そうなんでしょうしネ。
思えば「スペイン風邪」のとき。 直前の黄禍論の名残りもあったのか、比較的被害が軽かった中国やアジア悪者説を唱える人がいたようです。
……アレ?
今の英米欧対中国とちょっとだけ、ほんのちょっとだけ構図が似てる?
「情報開示」がどうこうって単なる人種差別の言い換え? それは無いですよ。
でも、もうちょっと歴史を。
中国が自力で資本を調達して「世界の工場」としてグローバル化を推進し、発達できたわけではない。
誰と誰と誰が中国に敢えて資本を投下し、あえて発展を促したか?
最近でいうなら、1990年代でしょう。 しかしもう少し前、1970年代に国交回復した国々がそうした理由・動機は?
仮に1990年代以降としても、そう、グローバル化のフェーズ5。
この劇薬、失礼、クスリの主作用、果実を最大限享受してきたのは誰か? 中ツ国ではないですね? 断じて。
では、どことどことどこか。 あるいはどういう階層・職業か?
この程度の疑問なんて、アジア人に限らずどんな人の頭にでも渦巻くのです。
コロ自体は意図せざるものであれ、起きたコロを奇貨とした「黄禍論もどき」があるならば―あくまで仮定、「ちょっと芸がございませんことよ」。
実際、尻馬に乗っても多分ええことは無いんやないかな。 未来は不定なので、どこまでも勘ですけど。
「歴史の二度目は喜劇」ってやつになるかもしれません。
まとめると。
日本居住の日本人も日本人でない居住者も。以上のことなどがうっかり妥当している場合の、自分や家族や友人への意味合いに思いを馳せつつ、現在見えてる(っぽい)事実、見えてないがありえる事実、考えたくもない事実。 そういうものをあえて考えないといけない。
ある程度考え抜いたらリスク・テイクかヘッジか。 行動に移さないと色々ヤバい。 そう感じます。
杞憂でしょうか。
(以上、5/31コメントを指摘を踏まえて改稿)