ライジング「ゴー宣」読みました。 同調圧力によるニセモノの「公」が世を覆う時があるということを歴史を通じて学びましたが、 20~30年前の自虐史観が世を覆っていた時は自分は無自覚なサヨクでしたし、 何となくぼんやりとそんな空気の中に無自覚にいたような感じでした。 たぶん、今回のコロナの騒動に関しても、意識してなかったら、無自覚にコロナ騒動の抑圧自粛の風潮に疑問を持たずに過ごしていたかもしれません。 実際に、自粛の影響で飲食店を畳まざるを得なくなった飲食店の店主が「誰が悪い訳でもないので・・・」みたいな言い方になってしまうのも、 抑圧自粛の風潮の方が大多数の声で、マスコミもネットも大合唱で、政治家もそれに引っ張られてしまっている空気の中にいるからだと思います。 抑圧自粛の風潮が馬鹿らしい!と声を上げている人達は、村西とおる氏、武田邦彦氏、堀江貴文氏、東浩紀氏、三浦瑠璃氏など、 小林よしのり氏や泉美木蘭氏、笹幸恵氏以外にもいますが、 残念ながら今のところ、その意見を支持する人達、或いはそういう人達の意見は見聞きしていないけど、抑圧自粛の風潮はおかしい!と思っている人達の方が、 少数派になってしまっています。 戦時中や非常時や特殊な状況で「公」が狂う、ということは、狂っている状況を客観的に見れる目があって、初めて意識出来たなと実感を込めて思います。 たとえば、韓国で「公」が狂っているのは北朝鮮の思惑に意識的・無意識的に引っ張られているところがあるのでしょうし、 その狂っている韓国の「公」を良し、としてしまう日本の和製リベラル(=左翼)にも問題があるのでしょう。 後になって「あの時代はどうかしていた」ということを言うのは簡単ですが、 その狂っている真っただ中に「どうかしている!」というのは、しんどいことです。 でも、そういう意識は常に持っていて、安易に長い物に巻かれようとしない、ということは、 本当の「公」を守る上で大切なことだなと改めて思います。 集団の中での同調圧力ってキツいです。それがデカくなればなるほどキツい。 でも、それに抗う姿勢って大事ですね。 「トンデモ見聞録」読みました。 自分は相変わらず、羽鳥モーニングショーを見ていないので、 泉美先生のブログ記事を読んで「こんなアホなこと言うてるんや・・・」と知る感じですが、 流行の第一波すらも来てないってことを言うてたのに「第二波が来る!」なんて力説してるんですね。トホホですね。 長嶋一茂氏はひょっとしたら、まともな感覚の方に戻りつつあるのではないか?とちょっと思いました(放送見ていないので、記事を読んだ上での感想ですが)。 小池都知事もようやくまともな感覚の方に戻りつつあるんでしょうかね。 しかし、フェイスシールドの強要、ビビッた大人たちが勝手にやってる分には出来の悪いコントみたいで「勝手にやっとれ」でいいんですが、 子供達にまで強要するなよ・・・と思います。 この滑稽で異常なフェイスシールド姿を見て、我に返る「抑圧自粛派」の人達もいるようですが、 「でもやっぱりコロナ怖いしね・・・」と、折角我に返りかかったところをもう一度自己洗脳みたいなことを言ってるので、それも傍から見ていると、うへえ・・・って思いますね。 追伸:Q&Aありがとうございます。 黒川弘務検事長の件も、漫画のゴー宣かライジングのゴー宣の方で取り上げて欲しいところではありますが、 小林先生も一杯一杯でしょうから、しょうがないですね^^; マスク同調圧力に関しては、自分も、そんなものはどこ吹く風で、普通にマスクなしで外出してます。 緊急事態宣言が解除されてからは、ちらほらとマスク無しの人達も見かけるようにはなってきましたが、 まだ大部分の人達がマスクつけてますね^^; 「新しい生活様式」とやらに関しては、テレビもラジオもネットも、町内の無線でも連日連呼されまくってますが、 知らんがな、で過ごしてます。 戦時中や非常事態でこれまでの歴史上であったような、もっと強烈な全体主義が世を覆うことが、もしかしたら自分が生きている時代に、 やってくるかもしれないし、こないで一生を全うできるかもしれない。 でも、風邪に毛が生えた程度のウイルスでこんな大騒動になって、ある意味、それを試されたと考えたらいいのかな、と考えています。 生放送も見ました。 木村花さんの件に関する見解は、いいなと思いました。 木村さんが残念ながら自死を選んでしまった原因は、いろいろな要因があるのかもしれないですが、 外界との繋がりが絶たれてしまって、オンラインでの繋がりが生活の大半を占めるようになっちゃうと、ヤバいです。 プロレスも相撲もライヴも、自粛させちゃいけないです。 オンライン飲み会とか何も楽しくないです。
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ライジング「ゴー宣」読みました。
同調圧力によるニセモノの「公」が世を覆う時があるということを歴史を通じて学びましたが、
20~30年前の自虐史観が世を覆っていた時は自分は無自覚なサヨクでしたし、
何となくぼんやりとそんな空気の中に無自覚にいたような感じでした。
たぶん、今回のコロナの騒動に関しても、意識してなかったら、無自覚にコロナ騒動の抑圧自粛の風潮に疑問を持たずに過ごしていたかもしれません。
実際に、自粛の影響で飲食店を畳まざるを得なくなった飲食店の店主が「誰が悪い訳でもないので・・・」みたいな言い方になってしまうのも、
抑圧自粛の風潮の方が大多数の声で、マスコミもネットも大合唱で、政治家もそれに引っ張られてしまっている空気の中にいるからだと思います。
抑圧自粛の風潮が馬鹿らしい!と声を上げている人達は、村西とおる氏、武田邦彦氏、堀江貴文氏、東浩紀氏、三浦瑠璃氏など、
小林よしのり氏や泉美木蘭氏、笹幸恵氏以外にもいますが、
残念ながら今のところ、その意見を支持する人達、或いはそういう人達の意見は見聞きしていないけど、抑圧自粛の風潮はおかしい!と思っている人達の方が、
少数派になってしまっています。
戦時中や非常時や特殊な状況で「公」が狂う、ということは、狂っている状況を客観的に見れる目があって、初めて意識出来たなと実感を込めて思います。
たとえば、韓国で「公」が狂っているのは北朝鮮の思惑に意識的・無意識的に引っ張られているところがあるのでしょうし、
その狂っている韓国の「公」を良し、としてしまう日本の和製リベラル(=左翼)にも問題があるのでしょう。
後になって「あの時代はどうかしていた」ということを言うのは簡単ですが、
その狂っている真っただ中に「どうかしている!」というのは、しんどいことです。
でも、そういう意識は常に持っていて、安易に長い物に巻かれようとしない、ということは、
本当の「公」を守る上で大切なことだなと改めて思います。
集団の中での同調圧力ってキツいです。それがデカくなればなるほどキツい。
でも、それに抗う姿勢って大事ですね。
「トンデモ見聞録」読みました。
自分は相変わらず、羽鳥モーニングショーを見ていないので、
泉美先生のブログ記事を読んで「こんなアホなこと言うてるんや・・・」と知る感じですが、
流行の第一波すらも来てないってことを言うてたのに「第二波が来る!」なんて力説してるんですね。トホホですね。
長嶋一茂氏はひょっとしたら、まともな感覚の方に戻りつつあるのではないか?とちょっと思いました(放送見ていないので、記事を読んだ上での感想ですが)。
小池都知事もようやくまともな感覚の方に戻りつつあるんでしょうかね。
しかし、フェイスシールドの強要、ビビッた大人たちが勝手にやってる分には出来の悪いコントみたいで「勝手にやっとれ」でいいんですが、
子供達にまで強要するなよ・・・と思います。
この滑稽で異常なフェイスシールド姿を見て、我に返る「抑圧自粛派」の人達もいるようですが、
「でもやっぱりコロナ怖いしね・・・」と、折角我に返りかかったところをもう一度自己洗脳みたいなことを言ってるので、それも傍から見ていると、うへえ・・・って思いますね。
追伸:Q&Aありがとうございます。
黒川弘務検事長の件も、漫画のゴー宣かライジングのゴー宣の方で取り上げて欲しいところではありますが、
小林先生も一杯一杯でしょうから、しょうがないですね^^;
マスク同調圧力に関しては、自分も、そんなものはどこ吹く風で、普通にマスクなしで外出してます。
緊急事態宣言が解除されてからは、ちらほらとマスク無しの人達も見かけるようにはなってきましたが、
まだ大部分の人達がマスクつけてますね^^;
「新しい生活様式」とやらに関しては、テレビもラジオもネットも、町内の無線でも連日連呼されまくってますが、
知らんがな、で過ごしてます。
戦時中や非常事態でこれまでの歴史上であったような、もっと強烈な全体主義が世を覆うことが、もしかしたら自分が生きている時代に、
やってくるかもしれないし、こないで一生を全うできるかもしれない。
でも、風邪に毛が生えた程度のウイルスでこんな大騒動になって、ある意味、それを試されたと考えたらいいのかな、と考えています。
生放送も見ました。
木村花さんの件に関する見解は、いいなと思いました。
木村さんが残念ながら自死を選んでしまった原因は、いろいろな要因があるのかもしれないですが、
外界との繋がりが絶たれてしまって、オンラインでの繋がりが生活の大半を占めるようになっちゃうと、ヤバいです。
プロレスも相撲もライヴも、自粛させちゃいけないです。
オンライン飲み会とか何も楽しくないです。