連投失礼。 (Ⅲ) 「グローバリゼーション」という妖怪 コホン。 さて。 ここからやっと本題です。 日本を含む東アジアと英米欧などでは、被害率がかなりちゃいます。 これだけは明らか。先生がご指摘なさっている通りです。 コロそのものの「原因」や地域較差の分析・究明は研究者にお任せするとして。 原因が解明されないとわからないと、なんか色々ダメだという医療関係者さんへ。 原因原理主義者のあなたなら、たとえばplacebo、偽薬の存在をどう肯定/否定/不可知主義的にとらえるのかな? んっとに。 何年、科学を学んできはったの? 原因なんかわからんでも、厳然と存在する事実や現実は、あなたの眼前にいくらでもありますねん。 (a)副作用 マスコミや政治家など、自分の間違い、失策、後手後手、認識の甘さを棚に上げるため……では、決してないにせよ、今回のコロ騒動が、 「グローバリゼーションのせいだ!」。 「グローバリゼーションが元凶だ!」。 「いやいや、特定の国のせいだ」。 そんな議論はよく目にしますよね? 一々例を挙げなくていいですね? 多少中立な言い方で「グローバリゼーションの副作用だ」と。 比較的中立だから、コレでいってみますね。 「副作用」ですか。そうですか。 副作用(副反応)があるからには、好ましい「作用」もあったってこと。 要はバランス。 「用法・容量は正しく」って話やないんですか? 世界経済への、グローバル化の投与の用法・容量は正しかったか? また、投薬の速度は? 各国経済への、ショック緩和措置はじゅうぶん考慮されていたか? ううう。 そう訊かれてしまうと、わたしの中の、 後知恵・哲人政治家プラトンにダメ出しされる気しかしない。 (b) グローバル化の5局面 ここは「そこからですか?」(Ⓒ池上彰)な議論で後知恵の哲人を煙に巻こう。 歴史の教科書的には、「グローバル化」には段階がある。1492(1493)とか「コロンブス交換」に始まるとかいわれる。 ――いやいや。 世界史の常識ではグローバル化はもっと前に始まっており、おおよそ5つのフェーズ、局面があるとされてます。 (以下、受け売りの大安売り)。 同1: モンゴル帝国 同2: スペイン(+ポルトガル)(1500~) 同2.5: 英西、蘭英、仏英の争い(1600~1763) 同3: 大英帝国(~1918) 同3.5: 本来の帝国、アメリカの内向き (~1945) 同4: 東西冷戦(1945~1990) 同5: 米+英豪など四か国(1990~現在?) 以上受け売りで恐縮ですねんけど、頭の片隅にでも。 参考文献: 『1493』 『世界システム』 『銃・病原菌・鉄』など 第1段階からして、帝国内外の人馬の流通の増大などから、ペストがヨーロッパに伝播します。 帝国そのものの弱体化まで招いたようです。 あと……モンゴル帝国は「不換紙幣」すなわち貴金属の裏付けがなく、それとの交換を保証してない紙幣。政府が無責任ならジンバブエーーなだったりワイマーールだったりするトンデモな代物。 それを帝国レベルで広く用いた最初の帝国でしょう。 (もとは、中国の宋における発明と記憶) で、最初はええことづくめに見えた不換紙幣も、乱発されるようになります。インフレが帝国を経済的に苦しめ、疲弊させます。 1~5で観察される事実、パターンなど 観察① グローバル化は「中原の支配者」になったモンゴル民族から始まった。(やや苦しいけど) 観察② 普遍的? 最初から疫病とセット販売。 人の行き来が増えるんですから。 「最大の外来種は、人」。 「今更『副作用』って!」と後知恵の神様もおっしゃてます。 観察③ 帝国と金融 帝国と不換紙幣はセットではありません。モンゴル帝国ごめんさない。 しかし! 帝国と金融の関係は大事。 例が大英帝国。 不換紙幣? そんなもんあかん、と兌換紙幣にこだわった。そこまではよさそうですが、モンゴルとは逆、19世紀の最後の25年、長期のデフレに苦しみます。 で、第一次大戦による全ヨーロッパからの大規模な金の流出(アメリカへ、)で経済的にはトドメ。 観察④ フェーズ4の異質 異質といえば異質なのがフェーズ4。 帝国の、空位時代はそれなりにあった。 しかし4では二つの帝国があり、英蘭や英仏の潰し合いでもなく、にらみ合う状態が50年近く続いた。 ⑤ 戦争と疫病 戦争と疫病は、かなりしばしばセット。 栄養状態がまずは悪くなるし、ストレスは高まるのですから、必然でしょう。 日本の先の大東亜戦争/太平洋戦争の南方戦線における、我がご先祖たちの悲惨は有名です(推測には多少バラツキはあれ、かなりの兵士が「病死・栄養失調死(餓死)・その混合」で、純粋な意味で戦闘もしないでお亡くなりになった――改めて、合掌) なお、 コロの引き合いに出される、第一次大戦の「スペイン風邪」。 まず、予備知識として。 あれは「風邪」ではなくインフルエンザ。 毒性は本来高いものです。 そして、あの大流行は戦争とセットなものだったと、銘記したい。 4月中旬ごろ、最大手週刊誌Bに、疫病と歴史をめぐる対談が載ってまして。 フランス文学者と日本史の専門家によるものと記憶します(マチガイかも)。 二人の「スペイン風邪」論議。 なんだか随分とおかしな把握になってて(ちゃんとふれていたのに編集過程でカットされた可能性もある。 なので二人の名誉のため可能性を指摘しておきます) ウィルスの起源論や名前の由来、ウンチクは、趣味人はともかく、普遍的教訓を得るうえでは、ひとまずどーでもええ。 対談では、インフルなら高齢者か乳幼児が犠牲になりやすいのに、スペイン・インフルでは、「どういうわけか青壮年男子に多かった」と。 ……ヨーロッパや米国については、それが戦争のせいだったのは火を見るより明らか。当時、前線で戦うのは青壮年男子が90%+でしょう。 (女子の前線での従軍は第二次大戦のソ連軍、 戦後のイスラエル軍などが先駆)。 (a) 検閲 戦時下ゆえ正当化された、軍部による検閲がおおいに災いした。 実態の深刻さの把握の邪魔になったことはまちがいないでしょう。 (b) 戦時固有の事情① また上に記した、戦争ゆえの栄養状態の悪化。 (c) 戦時固有の事情② 死と隣り合わせのストレス。 現在はPTSDは有名ですね? 直訳翻訳すると 「トラウマになるストレス」の「後の」「精神失調」です。 第一次大戦の場合、そういう深刻なストレスが、前線や塹壕の現場で起きていた、毎日。 これが免疫系にエエ影響をもたらすはずがない。 なお、戦時ストレスのPTSD発症率は2割強と されます。PTSD的には、あらゆるストレスの 中でも最高級のリスク要因です。 (d) 戦時固有の事情③ 衛生状態の悪さ(塹壕戦なら、雨水は、たまり放題?)。 (e) 軍のキャンプや野戦病院における過密 このリスクは、後知恵ハカセ的に論外なんですが、当時は細菌医学の発展途上期であったことはちょっとは考慮したげてもいいかも。 ウィルスの存在も未だ確認されてなかったかと。 (f) WW1固有の事情 規模は忘れましたが、あの大戦中、毒ガスがまだ使われてた事実を忘れてはいけない。 肺に入る毒ガスが、肺機能だけでなく、インフル感染に「中立だった」とは、到底考えにくい。 あえて細かく述べました。 このように、各パンデミックには相当程度一般的な教訓もあれば。 あまり再現性がないものもある。 で、なにかと言及されるスペイン風邪。 正しくはスペイン・インフルであり、今回のケースに平気で引き合いに出す歴史感覚は、多分、おかしい。 「ラスコリニコフの悪夢」の到来だと 騒いでるような人のほうが、まだ 人畜無害。 歴史を繙くときは細心の注意が必要ですと先生にはいわれたものです。 なんでしたっけ、 「悪魔でも歴史書を簡単に引用できる。 自分の利益の為に」 とかいうコトバもありますよね? (なんかちゃう気もする) で。 冒頭にやっと還るのです。 以下のようなことをもしかして察知し忖度して。それで日本の大手マスコミは、「右に倣え」式に論の歩調を揃えている可能性があるのではないか。 それがあんな岩盤的な「病原菌との闘いを声高にいうだけ」のデザインをまとっているだけなのではないか。 その態度が、よくよく考えた末での結論であることを祈ってます。実際、そうなんでしょうし。 「スペイン風邪」のとき、直前の黄禍論の名残りか、比較的被害が軽かった中国やアジア悪者説を唱える人はいたようです。 ……アレ? 今の英米欧の議論とちょっとだけ、ほんのちょっとだけ似てる? 「情報開示」がどうこうって、単なる人種差別の言い換え? それは無い。 無いですよ。 でも、ちょっと歴史を。 グローバル化を推進し、世界の工場として中国が自力で資本を調達して発達できたわけではない。 誰と誰と誰が、そこに敢えて資本を投下し、あえて発展を促したか? 最近でいうなら、1990年代でしょう。 しかしもう少し前、1970年代に国交回復した国々が、そうした理由・動機は? そして、仮に1990年代以降として、そういうグローバル化のフェーズ5。 このクスリの好作用、果実を最大限享受してきたのは誰か? 中ツ国ではないです、断じて。 では、どことどことどこか? この程度の疑問はアジア人に限らずどんな人の頭にでも渦巻きます。 コロを奇貨とした「黄禍論もどき」黄禍論ver.2があるならば(あくまで仮定の話)、ちょっと芸がございません。 「歴史の二度目は喜劇」ってやつですか。 で。 日本人も、日本人でない日本居住者も以上のことなどの意味合い。 それと、現在見えてる(っぽい)事実、見えてないがありえる事実、考えたくもない事実。 それをあえて考えないといけない。そして行動に移さないと色々ヤバい。 杞憂でしょうか。
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連投失礼。
(Ⅲ) 「グローバリゼーション」という妖怪
コホン。
さて。
ここからやっと本題です。
日本を含む東アジアと英米欧などでは、被害率がかなりちゃいます。
これだけは明らか。先生がご指摘なさっている通りです。
コロそのものの「原因」や地域較差の分析・究明は研究者にお任せするとして。
原因が解明されないとわからないと、なんか色々ダメだという医療関係者さんへ。
原因原理主義者のあなたなら、たとえばplacebo、偽薬の存在をどう肯定/否定/不可知主義的にとらえるのかな?
んっとに。
何年、科学を学んできはったの?
原因なんかわからんでも、厳然と存在する事実や現実は、あなたの眼前にいくらでもありますねん。
(a)副作用
マスコミや政治家など、自分の間違い、失策、後手後手、認識の甘さを棚に上げるため……では、決してないにせよ、今回のコロ騒動が、
「グローバリゼーションのせいだ!」。
「グローバリゼーションが元凶だ!」。
「いやいや、特定の国のせいだ」。
そんな議論はよく目にしますよね? 一々例を挙げなくていいですね?
多少中立な言い方で「グローバリゼーションの副作用だ」と。
比較的中立だから、コレでいってみますね。
「副作用」ですか。そうですか。
副作用(副反応)があるからには、好ましい「作用」もあったってこと。
要はバランス。
「用法・容量は正しく」って話やないんですか?
世界経済への、グローバル化の投与の用法・容量は正しかったか?
また、投薬の速度は?
各国経済への、ショック緩和措置はじゅうぶん考慮されていたか?
ううう。
そう訊かれてしまうと、わたしの中の、
後知恵・哲人政治家プラトンにダメ出しされる気しかしない。
(b) グローバル化の5局面
ここは「そこからですか?」(Ⓒ池上彰)な議論で後知恵の哲人を煙に巻こう。
歴史の教科書的には、「グローバル化」には段階がある。1492(1493)とか「コロンブス交換」に始まるとかいわれる。
――いやいや。
世界史の常識ではグローバル化はもっと前に始まっており、おおよそ5つのフェーズ、局面があるとされてます。
(以下、受け売りの大安売り)。
同1: モンゴル帝国
同2: スペイン(+ポルトガル)(1500~)
同2.5: 英西、蘭英、仏英の争い(1600~1763)
同3: 大英帝国(~1918)
同3.5: 本来の帝国、アメリカの内向き (~1945)
同4: 東西冷戦(1945~1990)
同5: 米+英豪など四か国(1990~現在?)
以上受け売りで恐縮ですねんけど、頭の片隅にでも。
参考文献:
『1493』
『世界システム』
『銃・病原菌・鉄』など
第1段階からして、帝国内外の人馬の流通の増大などから、ペストがヨーロッパに伝播します。 帝国そのものの弱体化まで招いたようです。
あと……モンゴル帝国は「不換紙幣」すなわち貴金属の裏付けがなく、それとの交換を保証してない紙幣。政府が無責任ならジンバブエーーなだったりワイマーールだったりするトンデモな代物。 それを帝国レベルで広く用いた最初の帝国でしょう。
(もとは、中国の宋における発明と記憶)
で、最初はええことづくめに見えた不換紙幣も、乱発されるようになります。インフレが帝国を経済的に苦しめ、疲弊させます。
1~5で観察される事実、パターンなど
観察① グローバル化は「中原の支配者」になったモンゴル民族から始まった。(やや苦しいけど)
観察② 普遍的? 最初から疫病とセット販売。
人の行き来が増えるんですから。
「最大の外来種は、人」。
「今更『副作用』って!」と後知恵の神様もおっしゃてます。
観察③ 帝国と金融
帝国と不換紙幣はセットではありません。モンゴル帝国ごめんさない。
しかし!
帝国と金融の関係は大事。
例が大英帝国。 不換紙幣? そんなもんあかん、と兌換紙幣にこだわった。そこまではよさそうですが、モンゴルとは逆、19世紀の最後の25年、長期のデフレに苦しみます。
で、第一次大戦による全ヨーロッパからの大規模な金の流出(アメリカへ、)で経済的にはトドメ。
観察④ フェーズ4の異質
異質といえば異質なのがフェーズ4。
帝国の、空位時代はそれなりにあった。 しかし4では二つの帝国があり、英蘭や英仏の潰し合いでもなく、にらみ合う状態が50年近く続いた。
⑤ 戦争と疫病
戦争と疫病は、かなりしばしばセット。
栄養状態がまずは悪くなるし、ストレスは高まるのですから、必然でしょう。
日本の先の大東亜戦争/太平洋戦争の南方戦線における、我がご先祖たちの悲惨は有名です(推測には多少バラツキはあれ、かなりの兵士が「病死・栄養失調死(餓死)・その混合」で、純粋な意味で戦闘もしないでお亡くなりになった――改めて、合掌)
なお、
コロの引き合いに出される、第一次大戦の「スペイン風邪」。
まず、予備知識として。
あれは「風邪」ではなくインフルエンザ。
毒性は本来高いものです。
そして、あの大流行は戦争とセットなものだったと、銘記したい。
4月中旬ごろ、最大手週刊誌Bに、疫病と歴史をめぐる対談が載ってまして。 フランス文学者と日本史の専門家によるものと記憶します(マチガイかも)。
二人の「スペイン風邪」論議。 なんだか随分とおかしな把握になってて(ちゃんとふれていたのに編集過程でカットされた可能性もある。 なので二人の名誉のため可能性を指摘しておきます)
ウィルスの起源論や名前の由来、ウンチクは、趣味人はともかく、普遍的教訓を得るうえでは、ひとまずどーでもええ。
対談では、インフルなら高齢者か乳幼児が犠牲になりやすいのに、スペイン・インフルでは、「どういうわけか青壮年男子に多かった」と。
……ヨーロッパや米国については、それが戦争のせいだったのは火を見るより明らか。当時、前線で戦うのは青壮年男子が90%+でしょう。
(女子の前線での従軍は第二次大戦のソ連軍、
戦後のイスラエル軍などが先駆)。
(a) 検閲
戦時下ゆえ正当化された、軍部による検閲がおおいに災いした。 実態の深刻さの把握の邪魔になったことはまちがいないでしょう。
(b) 戦時固有の事情①
また上に記した、戦争ゆえの栄養状態の悪化。
(c) 戦時固有の事情②
死と隣り合わせのストレス。
現在はPTSDは有名ですね? 直訳翻訳すると
「トラウマになるストレス」の「後の」「精神失調」です。
第一次大戦の場合、そういう深刻なストレスが、前線や塹壕の現場で起きていた、毎日。
これが免疫系にエエ影響をもたらすはずがない。
なお、戦時ストレスのPTSD発症率は2割強と
されます。PTSD的には、あらゆるストレスの
中でも最高級のリスク要因です。
(d) 戦時固有の事情③
衛生状態の悪さ(塹壕戦なら、雨水は、たまり放題?)。
(e) 軍のキャンプや野戦病院における過密
このリスクは、後知恵ハカセ的に論外なんですが、当時は細菌医学の発展途上期であったことはちょっとは考慮したげてもいいかも。
ウィルスの存在も未だ確認されてなかったかと。
(f) WW1固有の事情
規模は忘れましたが、あの大戦中、毒ガスがまだ使われてた事実を忘れてはいけない。
肺に入る毒ガスが、肺機能だけでなく、インフル感染に「中立だった」とは、到底考えにくい。
あえて細かく述べました。
このように、各パンデミックには相当程度一般的な教訓もあれば。
あまり再現性がないものもある。
で、なにかと言及されるスペイン風邪。
正しくはスペイン・インフルであり、今回のケースに平気で引き合いに出す歴史感覚は、多分、おかしい。
「ラスコリニコフの悪夢」の到来だと
騒いでるような人のほうが、まだ
人畜無害。
歴史を繙くときは細心の注意が必要ですと先生にはいわれたものです。
なんでしたっけ、
「悪魔でも歴史書を簡単に引用できる。 自分の利益の為に」
とかいうコトバもありますよね? (なんかちゃう気もする)
で。 冒頭にやっと還るのです。
以下のようなことをもしかして察知し忖度して。それで日本の大手マスコミは、「右に倣え」式に論の歩調を揃えている可能性があるのではないか。 それがあんな岩盤的な「病原菌との闘いを声高にいうだけ」のデザインをまとっているだけなのではないか。
その態度が、よくよく考えた末での結論であることを祈ってます。実際、そうなんでしょうし。
「スペイン風邪」のとき、直前の黄禍論の名残りか、比較的被害が軽かった中国やアジア悪者説を唱える人はいたようです。
……アレ?
今の英米欧の議論とちょっとだけ、ほんのちょっとだけ似てる?
「情報開示」がどうこうって、単なる人種差別の言い換え?
それは無い。 無いですよ。
でも、ちょっと歴史を。
グローバル化を推進し、世界の工場として中国が自力で資本を調達して発達できたわけではない。 誰と誰と誰が、そこに敢えて資本を投下し、あえて発展を促したか?
最近でいうなら、1990年代でしょう。 しかしもう少し前、1970年代に国交回復した国々が、そうした理由・動機は?
そして、仮に1990年代以降として、そういうグローバル化のフェーズ5。 このクスリの好作用、果実を最大限享受してきたのは誰か?
中ツ国ではないです、断じて。
では、どことどことどこか?
この程度の疑問はアジア人に限らずどんな人の頭にでも渦巻きます。
コロを奇貨とした「黄禍論もどき」黄禍論ver.2があるならば(あくまで仮定の話)、ちょっと芸がございません。
「歴史の二度目は喜劇」ってやつですか。
で。
日本人も、日本人でない日本居住者も以上のことなどの意味合い。
それと、現在見えてる(っぽい)事実、見えてないがありえる事実、考えたくもない事実。 それをあえて考えないといけない。そして行動に移さないと色々ヤバい。
杞憂でしょうか。