本日は、楽しい生放送を有難うございました。おかげで、自分も過剰にコロナウィルスを恐れていたのではないか、と気づかされました。 ところで、先刻、NHKEテレで、「緊急対談、パンデミックが変える世界」という、ハラリさんというイスラエル人が、監視社会の恐怖を訴える番組をやっていました。彼はこの感染を助長したのはグローバリズムではなく、昔から疫病は存在し、石器時代までもどらないと感染病から逃れることはできない、と主張していましたが、緊急事態法令が常態化し、日常のものとなる危険性が大きい、そのためにも国民が情報や権力を監視し、疫病に対抗するためには、国際間での情報協力が必要だ、ということを述べていました。 恐らく、彼はグローバリズムとインターナショナリズムを混同しているのだろうと思います。また、温暖化対策も必要とも主張していましたが、監視社会の恐怖と、権力を国民がしばるべきだ、という意見には見るべきものを感じました。ただ、そのためには、マスコミの情報操作に惑わされずに、国民が賢くなければならぬ、と思うのですが、今の日本の有様ではどうなのでしょうか? また、WHOのことを過信しているようなきらいはありました。ただし、今回の事態を戦争にたとえるのは間違いで、看護師をたたえるべきだ、といったことは強調していました。 ということで、今号のゴーマニズム宣言「本庶佑・権威といえども専門外は素人」の感想なのですが、芥川賞、直木賞、ノーベル賞、文化勳章など、何かの功績で表彰された人の意見が、何かほかのジャンルでも、その人生経験から信用がおける、と錯覚してしまうようなことは、私たちの身の回りには数多くあるのではないのでしょうか?文系の人間が理系の思想を理解するのに苦労するように、その部門には特化している人が、未知のことについては素人である、ということはよくあることでしょう。歴史学でも、古代史専門の人が近世史、近現代史にうといという現象は見られるわけで、日本史だけを見ていては世界史が見られず、世界史を俯瞰しすぎると、日本のことを見落とす可能性もあるわけです。コンピュータにしても、プログラムのことと、ソフトの運用方法についてはジャンルが異なるわけで、さらに素人の私たちにはその見分けもつかないわけです。 「一斑を見て全豹を知る」、ともいいますが、この場合は、「群盲象を評す」の方が当てはまります。 豹のように斑点に独特の特徴のある動物ではなく、象のように体の各部位がそれぞれ特徴を持っている存在の判断をするには、独善的な判断をせずに、まずは全体を俯瞰し、各事象をとらえた上で、そこから総合的な判断をする必要があるのだろうと思います。 本庶氏の意見は、確かにそのようにすればウィルスを封じ込めるという机上の空論であり、現実味がかけているように思えます。たとえていうなら、イソップ寓話で、誰が猫の首に鈴をつけるのか、という課題で、みんなでつけにゆけば怖くない、という気がするのです。私たちは日々生活をしているのだから、その成果として金銭を得ており、経済活動が生まれているわけです。それとも、本庶氏は士農工商の思想をお持ちなのでしょうか? 「デカメロン」にも冒頭にペストで荒廃した人心が描かれており、中には引きこもって人との接触を避けたり、それができない人は死体運搬人によって死体を運ばれたり、死体が片付けきれなくて、板の上に置いたまま、と言う有様が描かれていたように覚えています。しかし、今回の事態では葬儀に困る程の問題が起こっているのでしょうか?かりに起こるとしたら、危機を過剰に偏った報道をし、医療崩潰の危機を招いているマスコミが原因なのではないか、と思います。 ありきたりの感想ですが、こんな感じです。
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本日は、楽しい生放送を有難うございました。おかげで、自分も過剰にコロナウィルスを恐れていたのではないか、と気づかされました。
ところで、先刻、NHKEテレで、「緊急対談、パンデミックが変える世界」という、ハラリさんというイスラエル人が、監視社会の恐怖を訴える番組をやっていました。彼はこの感染を助長したのはグローバリズムではなく、昔から疫病は存在し、石器時代までもどらないと感染病から逃れることはできない、と主張していましたが、緊急事態法令が常態化し、日常のものとなる危険性が大きい、そのためにも国民が情報や権力を監視し、疫病に対抗するためには、国際間での情報協力が必要だ、ということを述べていました。
恐らく、彼はグローバリズムとインターナショナリズムを混同しているのだろうと思います。また、温暖化対策も必要とも主張していましたが、監視社会の恐怖と、権力を国民がしばるべきだ、という意見には見るべきものを感じました。ただ、そのためには、マスコミの情報操作に惑わされずに、国民が賢くなければならぬ、と思うのですが、今の日本の有様ではどうなのでしょうか?
また、WHOのことを過信しているようなきらいはありました。ただし、今回の事態を戦争にたとえるのは間違いで、看護師をたたえるべきだ、といったことは強調していました。
ということで、今号のゴーマニズム宣言「本庶佑・権威といえども専門外は素人」の感想なのですが、芥川賞、直木賞、ノーベル賞、文化勳章など、何かの功績で表彰された人の意見が、何かほかのジャンルでも、その人生経験から信用がおける、と錯覚してしまうようなことは、私たちの身の回りには数多くあるのではないのでしょうか?文系の人間が理系の思想を理解するのに苦労するように、その部門には特化している人が、未知のことについては素人である、ということはよくあることでしょう。歴史学でも、古代史専門の人が近世史、近現代史にうといという現象は見られるわけで、日本史だけを見ていては世界史が見られず、世界史を俯瞰しすぎると、日本のことを見落とす可能性もあるわけです。コンピュータにしても、プログラムのことと、ソフトの運用方法についてはジャンルが異なるわけで、さらに素人の私たちにはその見分けもつかないわけです。
「一斑を見て全豹を知る」、ともいいますが、この場合は、「群盲象を評す」の方が当てはまります。 豹のように斑点に独特の特徴のある動物ではなく、象のように体の各部位がそれぞれ特徴を持っている存在の判断をするには、独善的な判断をせずに、まずは全体を俯瞰し、各事象をとらえた上で、そこから総合的な判断をする必要があるのだろうと思います。
本庶氏の意見は、確かにそのようにすればウィルスを封じ込めるという机上の空論であり、現実味がかけているように思えます。たとえていうなら、イソップ寓話で、誰が猫の首に鈴をつけるのか、という課題で、みんなでつけにゆけば怖くない、という気がするのです。私たちは日々生活をしているのだから、その成果として金銭を得ており、経済活動が生まれているわけです。それとも、本庶氏は士農工商の思想をお持ちなのでしょうか? 「デカメロン」にも冒頭にペストで荒廃した人心が描かれており、中には引きこもって人との接触を避けたり、それができない人は死体運搬人によって死体を運ばれたり、死体が片付けきれなくて、板の上に置いたまま、と言う有様が描かれていたように覚えています。しかし、今回の事態では葬儀に困る程の問題が起こっているのでしょうか?かりに起こるとしたら、危機を過剰に偏った報道をし、医療崩潰の危機を招いているマスコミが原因なのではないか、と思います。
ありきたりの感想ですが、こんな感じです。