現状の行政の暴走、私権の制限について、憲法に抵触するという見解を示している方は、よしりん先生含め非常に少数なのではないかと思います。 行政側としては「あくまで要請。強制力はない」というのが名目なのでしょうか。 でも、実質的には「命令」レベルの強制力が生じています。 この「名目」と「実質」、「要請」と「命令」という区分を考えた時、ふと思いつきました。 憲法9条の「実力組織」と「戦力」と似たような構造ではないでしょうか。 自衛隊は誰がどう見ても「戦力」ですが、それでは違憲になるので「実力組織」という摩訶不思議な用語でごまかしています。 今回の件も、違憲を回避するために特措法では「要請」というかたちになってはいますが、実質的には私権が著しく制限される状況を生んでしまいました。 立憲主義が機能していれば、今回のような事態は避けられたかもしれません。 憲法は権力を縛ることで国民の権利を保障するものだ、という認識が浸透していれば、特措法そのものの議論も活発に交わされたでしょうし、安易に緊急事態宣言を国民側が求めるなどということはなかったでしょう。 恐怖という「感情」に支配された国民が狂騒してしまうのは避けられないかもしれません。 そこを「理性」でもって、現状は私権が不当に制限されている、憲法に抵触している、行政が暴走している、国民がこのような辛抱や負担を強いられる必然性などない、と諭すのが知識人の役目だろうと思います。 ところが諭す側である知識人、あるいはメディアも「感情」で支配されているという始末です。 法に根拠を求める「法治主義」が蔑ろになり、橋下・吉村・小池を奉る「人治主義」が優勢になっています。 これはやはり立憲主義の未熟さに起因するのではないかと思います。 憲法といえば9条についてしか議論せず、それも用語の言い換えで良しとする表面的な妥協でこれまでやってきたツケではないでしょうか。 憲法の価値が著しく低下してしまいました。 以前によしりん先生がブログで書かれた「民主主義の危機」が現実になってきたと思います。
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(ID:2345820)
現状の行政の暴走、私権の制限について、憲法に抵触するという見解を示している方は、よしりん先生含め非常に少数なのではないかと思います。
行政側としては「あくまで要請。強制力はない」というのが名目なのでしょうか。
でも、実質的には「命令」レベルの強制力が生じています。
この「名目」と「実質」、「要請」と「命令」という区分を考えた時、ふと思いつきました。
憲法9条の「実力組織」と「戦力」と似たような構造ではないでしょうか。
自衛隊は誰がどう見ても「戦力」ですが、それでは違憲になるので「実力組織」という摩訶不思議な用語でごまかしています。
今回の件も、違憲を回避するために特措法では「要請」というかたちになってはいますが、実質的には私権が著しく制限される状況を生んでしまいました。
立憲主義が機能していれば、今回のような事態は避けられたかもしれません。
憲法は権力を縛ることで国民の権利を保障するものだ、という認識が浸透していれば、特措法そのものの議論も活発に交わされたでしょうし、安易に緊急事態宣言を国民側が求めるなどということはなかったでしょう。
恐怖という「感情」に支配された国民が狂騒してしまうのは避けられないかもしれません。
そこを「理性」でもって、現状は私権が不当に制限されている、憲法に抵触している、行政が暴走している、国民がこのような辛抱や負担を強いられる必然性などない、と諭すのが知識人の役目だろうと思います。
ところが諭す側である知識人、あるいはメディアも「感情」で支配されているという始末です。
法に根拠を求める「法治主義」が蔑ろになり、橋下・吉村・小池を奉る「人治主義」が優勢になっています。
これはやはり立憲主義の未熟さに起因するのではないかと思います。
憲法といえば9条についてしか議論せず、それも用語の言い換えで良しとする表面的な妥協でこれまでやってきたツケではないでしょうか。
憲法の価値が著しく低下してしまいました。
以前によしりん先生がブログで書かれた「民主主義の危機」が現実になってきたと思います。