希蝶 のコメント

 今号の感想です。

 ゴーマニズム宣言・第366回「凡庸な悪としての佐川宣寿」
 やはり自分語りをしてもいいでしょうか?つまらない話になるのだけれども。

 自分はかつて、「CAIを利用した、自宅学習を主とする大学現役合格を目指す教育関係の会社」なるものにつとめていたのですが、クレームがどうの、「訪問販売法」や「消費者契約法」がどうのと言っていたわりには、仕事を効率よくきりあげてしまえ、みたいな風潮があり、社長は理想主義で現実を見ておらず、営業は関連販社に任せておけばいい、みたいな感じの会社でした。

 その会社では「夜勤」というシフトがあり、夜の8時から10時まで会員(生徒)の電話質問・fax質問を延長して受けつけることになっており、また土日は部署の社員半分が出勤し、午後6時まで受けつけ、答えるということになっていましたが、上述のような感じで、いかに仕事を早めに終わらせられるかが重要になっていて、本当に受験生とか高校生のためになっているのか、1教科30万のテキスト(4教科で80万でした)を買わされるだけの価値があるのか、疑問が多い仕事でした。

 とにかく、人手が足りず、しかもやめてゆく社員もかなりいたので、上司に「もう少し人を増やすようにした方がいいのではないでしょうか」と立場もわきまえずに発言し、結果、「夜勤」をしなくてもよいことにされ、さらに上からの命令で人手が本当に増やされた際にも、「君が夜勤をやりたくないと言ったんじゃないか」みたいに言われ、ずっと夜勤なし状態にされました(ひょっとしたら、自分はあらぬことを語ったのかも知れない、とその当座は思いました)おまけにある後輩からは「部長はあんたのことを要らないと思っているんだ」と言われる始末。じゃあ、私は会社のことなど考えず、口を噤んで何も言わなければ良かったのか、と。

 結局はそのまま、ナルコレプシーが理由で(向こうにはその認識もなく、ただ怠けているだけと言われ)、自主的に退職届を書かされました。自分にとってもその病のことは未知でした。ナルコレプシーのことは、かつて所属した障碍者施設(会社)でも無理解だったので、本当に大変だな、と思う。

 と、当時の会社への不満をぶちまけてみましたが、これも、佐川宣寿やアイヒマンの凡愚な悪に当てはまるのでしょうか。つまり、会社の方針に逆らって、「生徒のため」とか「会社のため」とか、仕事を納得のゆく形で処理しようとした自分が独善的だったのか、あるいは、仕事をルーチンとしてしか見なかった周囲が無思想的だったのか。自分が単に要領が悪かったのか、とも。

 今でもそのどちらが正しかったのか、私には答えが見えてこないのです。それでも、人の意見をきかないで暴走するのは危険だ、ということは学びました。学生時代に怠けていた社会科(歴史)の勉強も結構できたし、それはそれで良かった、と思っています。

 部長からは、「社会ができるのは君の長所なのだから、それを売り込め」というふうに勧められ、いつの間にか「社員は教科の質問に答える側ではなく、院生や学部生の講師に処理させる側だ」に変わってしまっていて、その変化のギャップが理解できなくて、とまどた職場でもありました。でも、これこそ「時処位」で、「舟に刻して剣を求む」だったのでしょうか。

 あまりおおっぴらに言ってはいけないのだけれども、よくこの場を荒らしたり、自分の主張ばかりを述べて、削除されている人たちの姿を見ていると、この当時の自分や会社環境を思い出し、とても複雑な気分になります(あちらはかなり確信犯なのだろうけれども)。考えることをやめると堕落してしまう、というのは真実なんだろう、愚者が賢者になるには、決められたことだけを遂行するのではなく、ない智慧を絞って考えることが肝要なんだろう、それも一歩も二歩も譲って。自分の思考できる範囲は、お釈迦様の手のひらどころが、自分の手の上ほどもなく、ナルコレプシーやアスペルガーをはじめとする、未知の領域が多いのだろう、と思わなければいけないのだろうと。それでも、考えなかったら、その手のひらの範囲にさえも届かないのだろうと。

 赤木さんの告白書については、ありきたりな表現ですが、非常に気の毒な気持ちになります。上の人の指示通りに、自身の理想と折り合いをつけながら仕事をしていたら、いつの間にかのっぴきならない事態におちいっていた、というあたりに同情します。遺族のかたは是非とも、裁判でこの悪を公表してほしいです(本当に愚かでしかなかった、自分と比べてはいけないのだけれども)。あまり関係ないのかもしれないけれども、日本中の期待を一身に背負わされ、自ら命を絶った円谷幸吉さんの遺言なども思い出しました。

 よしりん先生の、「掃除を楽しくしようとして、女子の顰蹙を買い、先生から注意された話」のことも思いました。こういう時、人は決まって「なぜ普通の人と同じにできないの!」と口にします。「普通」とは何なのでしょうか?ユダヤ人を強制収容所へ送る「日常」だって、あるわけなのだから。アイヒマンの場合は、それに逆らったら、銃殺刑になったと思いますが、それでも杉原千畝みたいな「工夫」はできなかったのか、と。

 以上、とりとめのない、長々とした話ですみませんでした。自分語りはやめよう、と思うのだけれども、一番分かりやすいように感じるので、ご容赦下さい。私は自分に短所があったら、言葉で素直に指摘して下さる方が有難い、と思います。

追記:私も「びじゅチューン!」を初めて見た時、「何だ、この番組は」と思いました。「ピタゴラスイッチ」を初めて見た時のような感覚。昔話裁判とか、教育テレビはもの凄く実験的な番組を制作します。

No.97 49ヶ月前

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