ライジング「ゴー宣」を読みました。 挨拶の風習・文化の考察、面白かったです。 今は日本人でも握手はかなり定着してきていますし、ハグも珍しくなくなってきました。 自分の経験からの実感としても思います。 しかし、歴史を紐解いていくと、日本にはそもそも握手やハグの文化が無かったということ、 それが、ウイルスの感染拡大を抑えることの一因になっているかもしれない、という考察は、なるほど一理あるかもと思いました。 清潔好きということもそうですね。衛生観念と伝染病の流行の因果関係はあるでしょうね。 もちろん、時代によっても違いがあるでしょう。 一方で、時浦さんがブログでも取り上げておられたkbさんの書き込みも読んで、そこから考えるところもありました。 メディアでは徒に不安を煽ることに結果として加担してしまっている「専門家」もいることが残念ではありますが、 こういう混乱が起きた時に、専門家の落ち着いたしっかりとしたアドバイスはとても大切ですし、 また、この分野の専門ではなくとも、医療関係者として、現場で培ってきた経験からくる見解が、とても役に立つこともあります。 過剰にならず、地に足の着いた指摘が重要だなと改めて思う次第です。 「トンデモ見聞録」を読みました。 女性指導者が立つ社会の為には、周りの意識を変えていくことと、気概を持った女性の登場、双方が大事ですね。 こうして記事を読んで、頭では分かったつもりになっていても、 実際にそれを自分の生活の中で意識していくとなると、頭で思っていたようにうまく行かないことも出てきます。 例えば、山尾議員の大活躍をいち国民の立場で見ていて快哉を叫ぶ思いがある一方で、 自分の仕事や生活に深く関わる立場で、もし身近に山尾議員のような女性がいたとしたら、 それを煙たがったり嫌がったりする自分はいないだろうか?という思いがあります。 枝野議員や、安住議員の中にもいろんな面があって、 山尾議員が立憲執行部に意を唱えた場で、山尾議員から強い「個」「公」を感じたのとは逆に、 枝野議員や安住議員からは「私」「集」の面が強く感じられました。 皆さん、政治家としてやっていく器があるくらいだから、自分なんかよりも「個」は強い人ばかりだろうなと思うのですが、 私はどうしても「個」が弱いという自覚があるので、 自分では意識しないうちに、「個」が強い存在に嫉妬を感じたり、邪険にしてしまうところがありはしないだろうか?という自問自答が、 自分の中に生じてしまいます。 そういう「私」を認めて、「公」の場では抑えるという意識から始まるところもあるんじゃないかと、ふと思う次第です。 Q&Aたくさん答えて戴いてありがとうございました。 リスクの引き受け方で信頼を得る、名言だと思います。胸に刻みます。 あと、リバチーさんの質問に対する先生の回答、これも凄いですね。 「優雅に泳ぐ白鳥も水面下では激しく足を動かしている」という巨人の星の花形満の名言が脳裏に浮かびました。 自分が大好きな某ミュージシャン(先生と同年代の人)も、このセリフのことを言っていた時がありました。 梶原一騎氏って凄いですね。無茶苦茶な人でもありましたが^^; あと、YOUR SONGさんの質問のイモトの件に関する回答も面白かったです。 イモトと言えば、よしりん辻説法の最新刊を買って読んでおります。 連載時、クリント・イーストウッドの回と奥山玲子氏の回が好きでしたが、 描きおろしのアルディの話はとても味わい深いですし、 他の回も単行本で通して読むと、描かれた当時と今の状況のことを思い浮かべながら読めるので、それもまた読んでいて読み応えを感じます。 これがまたしばらく時が経つと、また取り上げられた人物についての変化が出てくると思うので(奥山氏のような故人についても、後世の人からの何らかの評価がまた後に作品なり何なりであるかもしれないですし)、 そこも楽しめるので、漫画として残るということの意味を感じます。 しかし、本の構成がひたすらポップな感じなので、サクサク読めるし、それも魅力ですね。 表紙の蛍光イエローは、ネットの画面よりも、実際に本を手に取ってみた方が「こんな色使いなんだ」というのが実感出来ます。
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ライジング「ゴー宣」を読みました。
挨拶の風習・文化の考察、面白かったです。
今は日本人でも握手はかなり定着してきていますし、ハグも珍しくなくなってきました。
自分の経験からの実感としても思います。
しかし、歴史を紐解いていくと、日本にはそもそも握手やハグの文化が無かったということ、
それが、ウイルスの感染拡大を抑えることの一因になっているかもしれない、という考察は、なるほど一理あるかもと思いました。
清潔好きということもそうですね。衛生観念と伝染病の流行の因果関係はあるでしょうね。
もちろん、時代によっても違いがあるでしょう。
一方で、時浦さんがブログでも取り上げておられたkbさんの書き込みも読んで、そこから考えるところもありました。
メディアでは徒に不安を煽ることに結果として加担してしまっている「専門家」もいることが残念ではありますが、
こういう混乱が起きた時に、専門家の落ち着いたしっかりとしたアドバイスはとても大切ですし、
また、この分野の専門ではなくとも、医療関係者として、現場で培ってきた経験からくる見解が、とても役に立つこともあります。
過剰にならず、地に足の着いた指摘が重要だなと改めて思う次第です。
「トンデモ見聞録」を読みました。
女性指導者が立つ社会の為には、周りの意識を変えていくことと、気概を持った女性の登場、双方が大事ですね。
こうして記事を読んで、頭では分かったつもりになっていても、
実際にそれを自分の生活の中で意識していくとなると、頭で思っていたようにうまく行かないことも出てきます。
例えば、山尾議員の大活躍をいち国民の立場で見ていて快哉を叫ぶ思いがある一方で、
自分の仕事や生活に深く関わる立場で、もし身近に山尾議員のような女性がいたとしたら、
それを煙たがったり嫌がったりする自分はいないだろうか?という思いがあります。
枝野議員や、安住議員の中にもいろんな面があって、
山尾議員が立憲執行部に意を唱えた場で、山尾議員から強い「個」「公」を感じたのとは逆に、
枝野議員や安住議員からは「私」「集」の面が強く感じられました。
皆さん、政治家としてやっていく器があるくらいだから、自分なんかよりも「個」は強い人ばかりだろうなと思うのですが、
私はどうしても「個」が弱いという自覚があるので、
自分では意識しないうちに、「個」が強い存在に嫉妬を感じたり、邪険にしてしまうところがありはしないだろうか?という自問自答が、
自分の中に生じてしまいます。
そういう「私」を認めて、「公」の場では抑えるという意識から始まるところもあるんじゃないかと、ふと思う次第です。
Q&Aたくさん答えて戴いてありがとうございました。
リスクの引き受け方で信頼を得る、名言だと思います。胸に刻みます。
あと、リバチーさんの質問に対する先生の回答、これも凄いですね。
「優雅に泳ぐ白鳥も水面下では激しく足を動かしている」という巨人の星の花形満の名言が脳裏に浮かびました。
自分が大好きな某ミュージシャン(先生と同年代の人)も、このセリフのことを言っていた時がありました。
梶原一騎氏って凄いですね。無茶苦茶な人でもありましたが^^;
あと、YOUR SONGさんの質問のイモトの件に関する回答も面白かったです。
イモトと言えば、よしりん辻説法の最新刊を買って読んでおります。
連載時、クリント・イーストウッドの回と奥山玲子氏の回が好きでしたが、
描きおろしのアルディの話はとても味わい深いですし、
他の回も単行本で通して読むと、描かれた当時と今の状況のことを思い浮かべながら読めるので、それもまた読んでいて読み応えを感じます。
これがまたしばらく時が経つと、また取り上げられた人物についての変化が出てくると思うので(奥山氏のような故人についても、後世の人からの何らかの評価がまた後に作品なり何なりであるかもしれないですし)、
そこも楽しめるので、漫画として残るということの意味を感じます。
しかし、本の構成がひたすらポップな感じなので、サクサク読めるし、それも魅力ですね。
表紙の蛍光イエローは、ネットの画面よりも、実際に本を手に取ってみた方が「こんな色使いなんだ」というのが実感出来ます。