M.O のコメント

今週も配信ありがとうございます。
以下、シビれた文章。
「本当は、たとえ自分に命のリスクがあろうとも、未来のある若者には存分に活動させてやれと言うことこそが老人の矜持であり、それが美意識というものである」
「人生、無駄に長生きだけしてたって意味はない。基礎疾患が元で死ぬんだったらそれが天命で、自然死として受け入れるだけのことである」
「価値基準に「科学」と「生命至上主義」以外には何もないからこうなるのであって、この問題に一番欠けているのは哲学であり、美意識である」

よくぞ言ってくれました!!
「生命以上の価値を見出す」という哲学や美意識が集まって、骨太の歴史を形作っているのだと思います。
『新・堕落論』のラスト「命は単なる手段だ」というフレーズが思い浮かびますね。
私は現在47歳ですが、人生残りはせいぜい25年ぐらいかな、だとすれば「出来ること」って限られてくるな、という感覚に到りました。
なので、よしりん先生ほどではないと思いますが、「執着心」というものがみるみる薄れてきました。
「所有欲」とか「過去への未練」というものがほとんど無くなったので、身の回りのモノをどんどん処分していっています。
モノについて「不要」と簡単に見切りを付けられるようになり、余計なモノも買わなくなりました。
今までの47年間を踏まえた上で、この先の25年間の生活というものを大局的にイメージしているからです。
「死生観」とでも言うのでしょうかね、終着点を見据えてどのようなプロセスを経てそこに到達するか、そして如何に潔く幕を引くことが出来るか、ということはコロナ騒動の前からぼんやりと考えていたことです。
だから、健康管理にしても日常的に可能な必要最低限の対策しか実行しておらず、「この食材のこの栄養素が○○に良い」というような情報は大して気にしなくなりました。
世の中、「これを読まずに・観ずに・聴かずに」死ねないとでも言わんばかりの「欲」を引き出す宣伝文句があふれかえり、「欲」を充たすために一年でも長生きしようと健康情報に躍起になる、という煩悩まみれの大人が増えました。
若者は煩悩まみれでもいいけど、アラフィフにでもなればもう少し心境の変化があってもいいのではないか、と個人的には思うようになった次第です。

今回のコロナ騒動において、マスコミや知識人その他一般市民も含め、地に足の付いていない大人の醜態は見ていて「情けない」としか感じません。
子供や若者がそんな大人を尊敬できないのは当たり前。
エネルギー溢れる若者を「少々は辛抱しなさい」と理不尽にも自宅に閉じ込めてしまうという行為は、下手をすればそのエネルギーが「大人への不信感」に転換される可能性もあります。
まさに世代の分断の深刻化。
ただ、これも社会が「少子高齢化」に陥っていなければ――すなわち、子供や若者が多く、老人が少ないという正常な人口比であれば――子供や若者の行動を制限するなどという事態には到らなかったのではないか、と想像します。
物欲偏重、グローバリズム礼賛、新自由主義肯定、共同体崩壊などといった問題が積み重なり、「日本人の堕落」といったかたちで様々な矛盾が噴出しているのだと思います。

No.65 50ヶ月前

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