木蘭先生の「若者の固定電話恐怖症」ですけど、私も電話は苦手です。固定・携帯関わらず(私は47歳です)。 対面して接客する仕事をバリバリこなしていても、電話に対する苦手意識は払拭しません。 理由は「音声のみ」で全てを処理するというのが、非常に困難に感じられるからです。 対面であれば、表情や仕草といった情報も駆使してうまく立ち回ることが可能ですが、電話ではそれが出来ません。 木蘭先生は「生身の人間が、なにか予測のつかないことを話し掛けてきて、その場で対応しなければいけないのが怖い」という心理を挙げておられますが、そのリスクは接客全般について言えることです。 では、「電話に出るのが怖い」という若者は、対面接客も怖いのでしょうか? その割合は少ないように思います。 何故なら、学生時代にアルバイトで接客をしている若者はごまんと存在するからです。 なので、若者にとって「音声のみ」による応対が「特殊スキル」と感じられても、私は違和感がありません。 ただ、「普通に出来て当たり前なこと」と「特殊な無理ゲー」という認識のギャップがあったとして、「じゃあ、自助努力で出来るように練習しよう」とならずに「それが出来ない自分はダメだ……」と自己否定に陥ってしまうのは好ましくないとは思います。 一方で、社会や職場の環境も変わったのも一因かもしれません。 昔も電話応対が苦手な人はいたと思いますが、少々のミスは許容されていて、先輩がそれを引き受けてフォローしてくれる土壌がありました。 でも、そういう大らかさがだんだん少なくなってきたのではないかなと想像します。 また、「若者が少なく、年長者が多い」という環境となると、真面目で責任感の強い若者は期待に応えようとする余り、「年長者の考えを先回りし、聞き分けが良くなる」方に傾く、いわば「気に入られる存在」を目指してしまいかねません。 そんな中で、一つの綻びとして顕著になってしまうのが、電話応対のミスなのかな、と。 こうした変化はやはり不自然というか不健全なものであり、そんな若者に社会が寄せていくと大変なことになる、という木蘭先生の主張はもっともだと思います。 やはり若者は多い方がいいですよね。 反抗する若者が出てこなくなり、それは社会の活力が失われるということでもありますから。 活力がない社会は、皆が「いかにミスをしないか」に執着することに陥りかねないと思います。
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木蘭先生の「若者の固定電話恐怖症」ですけど、私も電話は苦手です。固定・携帯関わらず(私は47歳です)。
対面して接客する仕事をバリバリこなしていても、電話に対する苦手意識は払拭しません。
理由は「音声のみ」で全てを処理するというのが、非常に困難に感じられるからです。
対面であれば、表情や仕草といった情報も駆使してうまく立ち回ることが可能ですが、電話ではそれが出来ません。
木蘭先生は「生身の人間が、なにか予測のつかないことを話し掛けてきて、その場で対応しなければいけないのが怖い」という心理を挙げておられますが、そのリスクは接客全般について言えることです。
では、「電話に出るのが怖い」という若者は、対面接客も怖いのでしょうか?
その割合は少ないように思います。
何故なら、学生時代にアルバイトで接客をしている若者はごまんと存在するからです。
なので、若者にとって「音声のみ」による応対が「特殊スキル」と感じられても、私は違和感がありません。
ただ、「普通に出来て当たり前なこと」と「特殊な無理ゲー」という認識のギャップがあったとして、「じゃあ、自助努力で出来るように練習しよう」とならずに「それが出来ない自分はダメだ……」と自己否定に陥ってしまうのは好ましくないとは思います。
一方で、社会や職場の環境も変わったのも一因かもしれません。
昔も電話応対が苦手な人はいたと思いますが、少々のミスは許容されていて、先輩がそれを引き受けてフォローしてくれる土壌がありました。
でも、そういう大らかさがだんだん少なくなってきたのではないかなと想像します。
また、「若者が少なく、年長者が多い」という環境となると、真面目で責任感の強い若者は期待に応えようとする余り、「年長者の考えを先回りし、聞き分けが良くなる」方に傾く、いわば「気に入られる存在」を目指してしまいかねません。
そんな中で、一つの綻びとして顕著になってしまうのが、電話応対のミスなのかな、と。
こうした変化はやはり不自然というか不健全なものであり、そんな若者に社会が寄せていくと大変なことになる、という木蘭先生の主張はもっともだと思います。
やはり若者は多い方がいいですよね。
反抗する若者が出てこなくなり、それは社会の活力が失われるということでもありますから。
活力がない社会は、皆が「いかにミスをしないか」に執着することに陥りかねないと思います。