おはようございます! 真実を見ることが、こんなにも、大変なことだということを、わたしは、今まで、知りませんでした。目をつぶることは、簡単だけど、眼を開くことだけでも、こんなに大変なことだったなんて、本当に、知らなかったです。 わたしは、ようやく、よしりん先生の、言う、表現者としての、毒や狂気を、感じることができるようになりました。 今までは、わたしも、先生の父性や、人としての覚悟に、簡単に、甘えて、自分が、自分で、闘う気概を持つこともせず、先生に、勝手に、自分自身の、理想を押し付け、そこに何かを見出していただけだったのかも、しれないと、反省しました。先生、がっかりしたと言う、話しではないです。そうじゃなくて、わたしは、いままで、長いこと、先生の読者であり、先生の作品のファンであったけど、ちゃんと先生の作品を読むことができていなかったのかも、しれないと、だから、理解するなんて、ほど遠い世界の話しになっていたことに、ようやく気付けた感じで、なんだか、本当に、申し訳ないです。 木蘭さんの、トンデモ見聞録も、何回も、読もうとしても、自分自身の個人的な感情が、揺さぶられすぎて、ちゃんと、読むことすらできなくて。眼を開くことや、真実を直視すること、客観性を持つこと、自分の欲しい、答えだけを、安易に、求めないことは、わたしにとっては、本当に、難しいことです。 区別は、差別を生み出す。昨年のゴー宣道場のときに、ケネス•ルオスさんが、おっしゃっていた、言葉で、凄く印象的だった言葉を、思い出しました。何十年前かに、来日した当初は、日本の社会のバリアフリー化なんて全然進んでおらず、障害者と、健常者とでは、完全に、社会の中で、生活するところが、区分けされているみたいに、障害を持っているひとが、普通に、街を出歩くことすら、困難な状況にびっくりしたこと。そこで、高森先生も、おっしゃっていたけど、日本の障害者に、光を当てて、寄り添おうとしてくれたのは、皇室の方だけでした。祭祀、御公務だけで、とんでもない、ハードスケジュールのなか、御公務のなかで、私的な訪問として、国民との、直接触れ合いことだけでなく、障害者施設の見学などにも、本当に、積極的に行ってくれたこと、日本での、障害者スポーツなどに、光を、当ててくれたのは、他の誰でもない、皇族方でした。 令和天皇陛下の、誕生日のお言葉、どれも本当に、感動しました。 ゴー宣道場の、3大目標、実現させる為に、時間がない。急がないといけない。 その切実さを、今回のライジングを、読ませていただいて、本当に、実感しました。 木蘭さんの、トンデモ見聞録を、読ませていただいていても、よしりん先生の、ライジングの新差別論を読ませていただいていても、思うことは、日本人の、命、人に対する感覚とかも、狂いとかおかしさ、危うさが、なんだか、もうひととしての、倫理観や道徳観みたいなものを、簡単に、飛び越えていっていることへの、怖さを、日本人自身が、どれくらいちゃんと認識があるのか、疑問に思ってしまいました。凄いことになってるし、すごいことを、もうしてしまっているけれど、自覚がないことと、真実を、事実を見えにくくなっていること、あと、みること自体を耐えられないほど、個としてなのか、人間としての、弱さを、自分自身の問題としても、強く実感して、反省しました。 個としての、自立や、成熟も、独立も、本当に、必要なことだと、そう自分を奮起させたいと、思います。
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おはようございます!
真実を見ることが、こんなにも、大変なことだということを、わたしは、今まで、知りませんでした。目をつぶることは、簡単だけど、眼を開くことだけでも、こんなに大変なことだったなんて、本当に、知らなかったです。
わたしは、ようやく、よしりん先生の、言う、表現者としての、毒や狂気を、感じることができるようになりました。
今までは、わたしも、先生の父性や、人としての覚悟に、簡単に、甘えて、自分が、自分で、闘う気概を持つこともせず、先生に、勝手に、自分自身の、理想を押し付け、そこに何かを見出していただけだったのかも、しれないと、反省しました。先生、がっかりしたと言う、話しではないです。そうじゃなくて、わたしは、いままで、長いこと、先生の読者であり、先生の作品のファンであったけど、ちゃんと先生の作品を読むことができていなかったのかも、しれないと、だから、理解するなんて、ほど遠い世界の話しになっていたことに、ようやく気付けた感じで、なんだか、本当に、申し訳ないです。
木蘭さんの、トンデモ見聞録も、何回も、読もうとしても、自分自身の個人的な感情が、揺さぶられすぎて、ちゃんと、読むことすらできなくて。眼を開くことや、真実を直視すること、客観性を持つこと、自分の欲しい、答えだけを、安易に、求めないことは、わたしにとっては、本当に、難しいことです。
区別は、差別を生み出す。昨年のゴー宣道場のときに、ケネス•ルオスさんが、おっしゃっていた、言葉で、凄く印象的だった言葉を、思い出しました。何十年前かに、来日した当初は、日本の社会のバリアフリー化なんて全然進んでおらず、障害者と、健常者とでは、完全に、社会の中で、生活するところが、区分けされているみたいに、障害を持っているひとが、普通に、街を出歩くことすら、困難な状況にびっくりしたこと。そこで、高森先生も、おっしゃっていたけど、日本の障害者に、光を当てて、寄り添おうとしてくれたのは、皇室の方だけでした。祭祀、御公務だけで、とんでもない、ハードスケジュールのなか、御公務のなかで、私的な訪問として、国民との、直接触れ合いことだけでなく、障害者施設の見学などにも、本当に、積極的に行ってくれたこと、日本での、障害者スポーツなどに、光を、当ててくれたのは、他の誰でもない、皇族方でした。
令和天皇陛下の、誕生日のお言葉、どれも本当に、感動しました。
ゴー宣道場の、3大目標、実現させる為に、時間がない。急がないといけない。
その切実さを、今回のライジングを、読ませていただいて、本当に、実感しました。
木蘭さんの、トンデモ見聞録を、読ませていただいていても、よしりん先生の、ライジングの新差別論を読ませていただいていても、思うことは、日本人の、命、人に対する感覚とかも、狂いとかおかしさ、危うさが、なんだか、もうひととしての、倫理観や道徳観みたいなものを、簡単に、飛び越えていっていることへの、怖さを、日本人自身が、どれくらいちゃんと認識があるのか、疑問に思ってしまいました。凄いことになってるし、すごいことを、もうしてしまっているけれど、自覚がないことと、真実を、事実を見えにくくなっていること、あと、みること自体を耐えられないほど、個としてなのか、人間としての、弱さを、自分自身の問題としても、強く実感して、反省しました。
個としての、自立や、成熟も、独立も、本当に、必要なことだと、そう自分を奮起させたいと、思います。