希蝶 のコメント

 バリパラ、録画してあったのを見ました。
 上杉という人は、こういう場面ではまともなことを言うのですね。

 私は極端な考え方をしてしまうので、その親が反対しても、相手への人間性が信じられるなら親など捨てて駆け落ちすればいい、とか思ってしまいます。肝腎なところで世間体など気にする親など偽善者だ、そんな人たちといて得になることなどない、絆を切るのは断腸の思いだろうと思うけれども、仕方がないではないか、それができないのなら、相手への愛が真実ではない、というふうに感じました。
 しかし、こういう感じ方がネトウヨや左翼やアンチ、しいては、ポルポトや文化大革命などに繋がるのではないか、とも考えました。すなわち、悪人や偽善者を排除・拒絶する、という考え方は、自分とは異質なものを受け入れない、そんなものは要らないということなのだから、そういった立場の人たちを虐殺することを肯定する思想につながりかねないのです。その意味で、「幼い正義感」ほど恐ろしいものはない、と自分自身を警戒します。

 上記の話と関連して、私がよく人から言われて嫌な気分になるのは、「なぜほかの人と同じふうにできないの」「あなたはほかの人と比べて変わっている」という言葉です。ほかの人と同じようにしているじゃないか、個性を持つことは悪いことなのか、どこが変わっているのか、具体的に「これこれこういう点でこうだよね」という事例をあげ、分かるように論理的に説明して欲しい、ということです。
 理由を述べると(未だに乳離れできていない、と言われかねないですが)すべて「ある人」から言われたことです。その人は自分の行く末を気にして口にしたのだろうけれども、何が普通で何が普通でないのか分からない立場にとって見ると、パニックし、混乱するだけなのです。
 あからさまに、そういうものの言い方は、異質なものを排除しているだけなのだから。「変わっていると言われるのがそんなに嫌なの?」とも言われたことがありますが。
 「じゃあどうすればいいの」→「親と話すようにほかの人と話せ、と言われても、ほかの人は親ではないではないか」→「だから、人類は兄弟なのか」→「でも、ほかの人は、かげで自分のことを笑っているんでしょ、正直にストレートに語る人が親切なんだから、自分の悪口を正面から言って下さるかたが親切で、兄弟なんだ」というふうに思考しました。今思えば、非常に単純な考え方をしたのだと振り返り、反省します。

 部落差別の話から外れてしまったような感じですが、いわゆる「普通」とは何なのか、私たちが普通にどのような定義をしているのか、考えてみる目的であげてみました。

No.22 57ヶ月前

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