希蝶 のコメント

 今号の感想です。

 合体ロボ、というと、昔、脳波が一致しないと合体できないロボットというのがあったのを思い出しました。強大な力を扱うには、それ相応の覚悟というか、思考力を必要とするのだろうと思います。

 私が学級民主主義で思い出すのは、以前ゴー宣で描かれた、掃除の際によしりん先生が掃除を遊びにして楽しくしようとされた、という話を思い出すのですが、不真面目だと先生に告げたほかの生徒たちは、学級民主主義に染まっており、先生もどの意見を優先するかの判断を誤ったのではないか、と言えるでしょう。仏教の寺院での日々の修行や勤行ではあるまいし、生徒に精神修養をさせるのが掃除の目的なのではなく、社会では見えないところで施設や町の掃除をしている人々がいることを実感させることが、教室などの掃除の目的でしょう。

 そのほかに思い出したことで、昔、学研の雑誌で読んだ話にこんなのがあります。
 とある中学の合唱コンクールで、みんなで歌を作曲して歌うことになったのだけれども、とある一人が、それだとコンクールで負ける、音楽のことをよく知っている自分が作るみたいなことを主張し、それに同意する生徒1名もいたりして、意見が分かれてしまった。先生はやむを得ず、あとでみんなで聞き比べをする、というふうに意見を収めた。
 しかし、自分で作るといった生徒は、唯一の同意者と喧嘩をしてしまい、結果、自分だけで作るはめになった。結果、学級のほかの生徒全員で作った曲が通り、彼の作った曲は一顧だにされなかった。
 その後、決定したコンクール用の楽譜が盗まれるという事件があった。疑いは、1人だけ孤立して曲を作り、落選した生徒に向けられたが、それは冤罪だったらしい。楽譜は出て来ず、彼はコンクールでも歌をまるで歌うことはなかった。

 何となく、その一人だけ孤立した生徒の心理には、いわゆる「アンチ」の心理に通じるものがあるのではないのでしょうか。自分だけが優れていて、ほかの人の意見は劣っていると思いこんでいる輩の思想に。
 そうではなく、こういう場で意見を言うには、学年対抗の合唱コンクールがどういうものであるのか、を理解しないといけないでしょう。組対抗で団結し、協力して他の組に勝たないとまずいものであって、和を乱すような行動をしてはならない、ということではないのでしょうか。
 かく言っている自分も、和を保つようなことをしているのかどうかは疑問があるのですが、この場が公論を作るための場であり、多少のユーモアはあってもよいのだけれども、失敗してもリセットできない厳しいところ、でもあると、理解しています。船頭多くして、舟山に上る、なってことになったら、元も子もないわけで、努力したからOK、なんて甘いことは言えないと思っています。
 独裁とか民主主義じゃないとか言っているような人たちは、どこか甘えがあったり、駄々をこねているのではないのでしょうか。みづから考えて、そうする方が良い、という判断があってしていることなのだから、反対をするのなら、それに対抗できるだけの対案を感情に流されずに論理的に述べ、相手の意見も良いところも尊重するエチケットも必要ではないのか、と私は思います。
 まづは自分の頭で思考し、「ゴー宣」に同意することが前提条件ではないのでしょうか。これは附和雷同というのとは確実に異なります。

 長々とつまらないことを述べました。陳謝します。

No.43 57ヶ月前

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