>>52 No.53でさらうどんさんも書かれていますけど、少し考えすぎだと思いますね。 「予算を使う順序」という点においては、簡単に答えられる問題ではないけど、こうした疑問を沖縄県民が投げかけてきたという事実が目に止まったから採用された、ということではないでしょうか。 Q&A、私も何度も投稿していますが、よしりん先生の回答を読むと「聞きたいこととちょっとズレてるのだけどなあ」と感じることはままあります。 そうなるのは当然。 ブログよりもさらに一層「私的な感覚」が介入している度合いが高いからです。 『ライジング』記事や『ゴー宣』ならば、「沖縄人としては奇特」で終わらせるわけにはいかないけど、Q&Aはその時の感覚で回答する「ライブ感(ナマもの感)」の方を大事にしているのではないでしょうか。 だから、「本気の回答」になることもあれば、「ヒント」レベルの回答もあるし、「直感」の域を出ないものもあり、多種多様です。 そういった「回答のレベル」は意識すべきだと思います。 以前のQ&Aで、森羅万象について質問することに釘を刺すような回答がありましたが、「求めすぎ」はNGだと思うのですよね。 「保守」のよしりん先生ならこの問題点について何らかの見解をお持ちに違いない、などというのは読者それぞれの勝手な思い込みである場合もあります。 また、「自分はこれこれこういうことに問題があると思います。先生はどうお感じになりますか?」という質問(私もよくやります)は、実際には「先生に「問題がある」と言ってもらって、自分の問題意識にお墨付きをもらいたい」という、ある種の自己承認欲求とつながっている場合もありうるなと感じます(全てがそうだとは申しません)。 もし、本当に自分がその問題点を深刻なものと考えているのならば、先生の回答如何に関わらず、自分で調べて知識を付けて学んでいけばよいだけのはずです。 Q&Aの回答を針小棒大に扱い、大真面目に反応してしまう、というのはちょっと違うなあと思います。 自分の考えをよしりん先生に否定され、やたらに落ち込んでしまった人も過去にはおられたと思うのですが、何でそこまで過敏な反応になるのか、私には全く理解できませんでした。 「自分の感覚」と「よしりん先生の感覚」がぴったり重なり合わないと納得できないのでしょうか? 自分で学んでいけば、また見える風景も変わってくるのだから、後から「ああ、なるほど」とか、あるいは「やっぱり自分の方が正しかっんじゃ?」思えるようになるかもしれないじゃないですか。 そもそも、よしりん先生自身「死ぬまで学び続ける」とおっしゃっているのだから。 何で刹那的な「今の回答」にこだわるのか、私にはなかなか理解できないです。
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小林よしのりチャンネル
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>>52
No.53でさらうどんさんも書かれていますけど、少し考えすぎだと思いますね。
「予算を使う順序」という点においては、簡単に答えられる問題ではないけど、こうした疑問を沖縄県民が投げかけてきたという事実が目に止まったから採用された、ということではないでしょうか。
Q&A、私も何度も投稿していますが、よしりん先生の回答を読むと「聞きたいこととちょっとズレてるのだけどなあ」と感じることはままあります。
そうなるのは当然。
ブログよりもさらに一層「私的な感覚」が介入している度合いが高いからです。
『ライジング』記事や『ゴー宣』ならば、「沖縄人としては奇特」で終わらせるわけにはいかないけど、Q&Aはその時の感覚で回答する「ライブ感(ナマもの感)」の方を大事にしているのではないでしょうか。
だから、「本気の回答」になることもあれば、「ヒント」レベルの回答もあるし、「直感」の域を出ないものもあり、多種多様です。
そういった「回答のレベル」は意識すべきだと思います。
以前のQ&Aで、森羅万象について質問することに釘を刺すような回答がありましたが、「求めすぎ」はNGだと思うのですよね。
「保守」のよしりん先生ならこの問題点について何らかの見解をお持ちに違いない、などというのは読者それぞれの勝手な思い込みである場合もあります。
また、「自分はこれこれこういうことに問題があると思います。先生はどうお感じになりますか?」という質問(私もよくやります)は、実際には「先生に「問題がある」と言ってもらって、自分の問題意識にお墨付きをもらいたい」という、ある種の自己承認欲求とつながっている場合もありうるなと感じます(全てがそうだとは申しません)。
もし、本当に自分がその問題点を深刻なものと考えているのならば、先生の回答如何に関わらず、自分で調べて知識を付けて学んでいけばよいだけのはずです。
Q&Aの回答を針小棒大に扱い、大真面目に反応してしまう、というのはちょっと違うなあと思います。
自分の考えをよしりん先生に否定され、やたらに落ち込んでしまった人も過去にはおられたと思うのですが、何でそこまで過敏な反応になるのか、私には全く理解できませんでした。
「自分の感覚」と「よしりん先生の感覚」がぴったり重なり合わないと納得できないのでしょうか?
自分で学んでいけば、また見える風景も変わってくるのだから、後から「ああ、なるほど」とか、あるいは「やっぱり自分の方が正しかっんじゃ?」思えるようになるかもしれないじゃないですか。
そもそも、よしりん先生自身「死ぬまで学び続ける」とおっしゃっているのだから。
何で刹那的な「今の回答」にこだわるのか、私にはなかなか理解できないです。