よしりん先生が「正義」の暴走についてブログで書かれていましたが、このクールに放映されていた『同期のサクラ』というドラマを思い出しました。 サクラこと北野桜(高畑充希)は、周囲に忖度することが出来ず、自分が「正しい」と思うことを遠慮せずズケズケと発言し、軋轢を生んでしまう問題社員。 でも、サクラの「正論」に触れた同期の仲間らは、「見失っていたものを思い出した」とばかりに「自分らしさ」を取り戻し――。 などという青臭い「大人のためのおとぎ話」かと思ったら、さにあらず。 このサクラというキャラクター、早くに両親を亡くし、じいちゃんが男手一つで育て上げたために極端に世間ズレしているという設定になっています。 そのまま単身上京して就職したため、「社会との繋がり」を著しく欠いたままになっています。 そのため、所々で非人間的な様相が垣間見えます。 全く笑顔を見せず、それどころかまばたきもせず、お辞儀の姿勢もいびつ。 今まで嘘をついたことがなく、嘘をつこうとすると口ごもってしまう、という有様。 同期が抱える悩みにサクラは自分なりの「正論」で応じますが、それでは問題は解決しません。 時にサクラは一人では機能不全に陥り、フリーズしてしまうことも。 そこで故郷のじいちゃんにFAXで相談し、その返信を得て初めて「相手を納得させる答え」を見出すことが出来ます。 しかし、そのじいちゃんが亡くなると、サクラは心神喪失状態に。 周囲の助けを得て復活しますが、今度は正義漢ぶりを買われてプロジェクトリーダーに抜擢されて「権力」を与えられると、物の見事に暴走して孤立してしまいます。 ここまで読んでいただいた方ならば思い当たるだろうと思うのですが、サクラは見事なまでに「純粋真っ直ぐ君」なのです。 社会との「横の繋がり」がない状態においては、如何に「正論」を吐こうともそれは「非常識」でしかない。 じいちゃんとの「縦の繋がり」がかろうじて常識の領域に引き戻してくれていたけど、それも失った時、完全に浮遊する砂粒と化してしまいました。 そんなサクラは「横の繋がり」のおかげで復活しますが、「権力の座」に立つことでその繋がりが希薄になり、孤立。 こうして全編を通じて、縦横の繋がりや庶民の常識から遊離した「正義」、チヤホヤされたり「力」を与えられた「正義」というものが如何に危ういものであるか、という警告のようなものを読み取ることができます。 当初は「サクラの純真さが、忖度だらけの世の中に光を当てる」ような内容なのかと思わせておいて、実はとんでもない「正論モンスター」「純粋真っ直ぐ君」と化してしまう恐ろしさが描かれていました。 特にサクラが副社長の肝いりでリーダーに取り立てられる展開は、グレタ・トゥーンベリをマスコミがチヤホヤする状況と少し重なりました。 結局、サクラは「社会を変えるスーパーマン」ではなく、本人も「自力では何も出来なかった未熟者」と自認し、仲間たちが「同期のサクラ」と温かい視線を注ぐ存在として結末に着地します。 そんじゃそこらの「正義を貫くのは大変だ」とか「仲間との絆っていいもんだ」といった、ありきたりなメッセージを発するドラマとは明らかに一線を画す内容でした。 セクハラや育児を抱える女性の働き方などの問題にも触れた上で、「組織」――いわゆる「集」――の中で「個」を貫くことの難しさと重要性についても考えさせられ、非常に意義深いドラマでした。 個人的には、今年見たドラマの中では『3年A組』と『同期のサクラ』がベスト2でした(『凪のお暇』『少年寅次郎』も良かったですが)。
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よしりん先生が「正義」の暴走についてブログで書かれていましたが、このクールに放映されていた『同期のサクラ』というドラマを思い出しました。
サクラこと北野桜(高畑充希)は、周囲に忖度することが出来ず、自分が「正しい」と思うことを遠慮せずズケズケと発言し、軋轢を生んでしまう問題社員。
でも、サクラの「正論」に触れた同期の仲間らは、「見失っていたものを思い出した」とばかりに「自分らしさ」を取り戻し――。
などという青臭い「大人のためのおとぎ話」かと思ったら、さにあらず。
このサクラというキャラクター、早くに両親を亡くし、じいちゃんが男手一つで育て上げたために極端に世間ズレしているという設定になっています。
そのまま単身上京して就職したため、「社会との繋がり」を著しく欠いたままになっています。
そのため、所々で非人間的な様相が垣間見えます。
全く笑顔を見せず、それどころかまばたきもせず、お辞儀の姿勢もいびつ。
今まで嘘をついたことがなく、嘘をつこうとすると口ごもってしまう、という有様。
同期が抱える悩みにサクラは自分なりの「正論」で応じますが、それでは問題は解決しません。
時にサクラは一人では機能不全に陥り、フリーズしてしまうことも。
そこで故郷のじいちゃんにFAXで相談し、その返信を得て初めて「相手を納得させる答え」を見出すことが出来ます。
しかし、そのじいちゃんが亡くなると、サクラは心神喪失状態に。
周囲の助けを得て復活しますが、今度は正義漢ぶりを買われてプロジェクトリーダーに抜擢されて「権力」を与えられると、物の見事に暴走して孤立してしまいます。
ここまで読んでいただいた方ならば思い当たるだろうと思うのですが、サクラは見事なまでに「純粋真っ直ぐ君」なのです。
社会との「横の繋がり」がない状態においては、如何に「正論」を吐こうともそれは「非常識」でしかない。
じいちゃんとの「縦の繋がり」がかろうじて常識の領域に引き戻してくれていたけど、それも失った時、完全に浮遊する砂粒と化してしまいました。
そんなサクラは「横の繋がり」のおかげで復活しますが、「権力の座」に立つことでその繋がりが希薄になり、孤立。
こうして全編を通じて、縦横の繋がりや庶民の常識から遊離した「正義」、チヤホヤされたり「力」を与えられた「正義」というものが如何に危ういものであるか、という警告のようなものを読み取ることができます。
当初は「サクラの純真さが、忖度だらけの世の中に光を当てる」ような内容なのかと思わせておいて、実はとんでもない「正論モンスター」「純粋真っ直ぐ君」と化してしまう恐ろしさが描かれていました。
特にサクラが副社長の肝いりでリーダーに取り立てられる展開は、グレタ・トゥーンベリをマスコミがチヤホヤする状況と少し重なりました。
結局、サクラは「社会を変えるスーパーマン」ではなく、本人も「自力では何も出来なかった未熟者」と自認し、仲間たちが「同期のサクラ」と温かい視線を注ぐ存在として結末に着地します。
そんじゃそこらの「正義を貫くのは大変だ」とか「仲間との絆っていいもんだ」といった、ありきたりなメッセージを発するドラマとは明らかに一線を画す内容でした。
セクハラや育児を抱える女性の働き方などの問題にも触れた上で、「組織」――いわゆる「集」――の中で「個」を貫くことの難しさと重要性についても考えさせられ、非常に意義深いドラマでした。
個人的には、今年見たドラマの中では『3年A組』と『同期のサクラ』がベスト2でした(『凪のお暇』『少年寅次郎』も良かったですが)。