今回の話題から外れるのですが、 『ジョーカー』と『ターミネーター・ニューフェイト』をみてきました。本来だったら、前号のライジングの話題なのですが、今号の話とも関連性がありそうなので、とりあげてみます。少しネタばれも記しますので、ご容赦のほどを。 『ジョーカー』、確かによしりん先生の言うような話でしたし、自分が想像していたような話でした。最初の、看板を盗まれ、いじめられるところからして、大犯罪者ジョーカーの話ではなかったです。 ただ、自分は精神疾患の話には興味がありましたので、その点は興味深く拝見しました。あの耳障りな(^▽^)、じゃない笑いを繰り返すアーサーの演技をしたホアキン・フェニックスは確かに凄いと思いました。難を言えば、青年にしては年を取り過ぎているかな、といったところ(しかし、キャラクターの気持ち悪さはよく出ている)。 しかし、物語の背景である「治安の悪化」・「家族・人間関係の疎遠」が十分に表現されているとは言えず、故に、ただ民衆がよく分からないけれども騷ぎ立てているだけ、という感じ。社会諷刺が不徹底。警察に追われて、ピエロの仮装で逃げられた、という場面にしても陳腐だし、主人公が父性に飢えているという伏線もなかったし。 母親から裏切られた、というところは、ある意味現代的な話かな、と思ったけれども。 やはりこの映画の見せ場は主人公がいわゆる「ジョーカー」の恰好をしてからで、そこからは(ある程度)楽しく見られましたが、ジョーカーって、貧民のヒーローだったんですかって、ところです。完全悪を、無理矢理にヒーローの図式に当てはめているだけといった感じでした。スーパーマンが「マン・オブ・スティール」なんだから、「マン・オブ・フール」なんじゃないか、と(スーパーマンファンの人、すみません)。 恐らく、よしりん先生などの意見では、ジョーカーには残忍性がつきものだから、あそこで友人を見逃すなんてことはなく、善良性の中にも狂気に基づく残酷なところがあるべきだ、というところなのでしょう。『ダークナイト』は未見なので、この点は比べられません。 しかし、ジャック・ニコルソンのジョーカーとも比較にならないと自分は感じました。あちらの残忍さ、狂気にも負けています。 悪人を善人に解釈し直すのは、志賀直哉がハムレットのクローディアス王でもやっていることなのですが、まずは「本歌取り」が優先で、その上で万人をうならせる人間性への解釈や真理がなければならず、クローディアスはハムレットの父王殺しについては冤罪なのではないか、ハムレットの妄想なのではないか、というテーマ(あるいは王本人がそう主張していること)が「前面」に出てこなければならず、しかもその作はご丁寧に「この場合のハムレットやクローディアスも同じ運命を辿るとは限らない」と断っているわけで、ジョーカーでそれをやる場合も、その種の工夫(客観性)が必要だったのではないか、どうとでも解釈できるという曖昧さの中に逃げ込んではいけないと思うのですが、どうでしょうか。「これは一人の青年の例だが、彼がその後どのような道を辿っていったのかは、我々には分からない」といったナレーションやト書きのようなものが必要だったような気がするのです。何だか中途半端な社会派映画を見せられているような気分でした。 あと、あれだけオールデイズの曲を使っているのだから、もっと時代設定を古くしても良かったのでは、とも感じました。 「ターミネーター」についても少し言ってみたいことがあるのですが、それをやってしまうとライジングから離れてしまうので、明らかにポリコネの影響がある、スターウォーズで主人公を女性にしたことにも関係性があるのでは、という程度にします。ある意味、フェミニズムにもつながりかねない重要なテーマかな、とも思うのだけれども。アナ雪あたりとも。「子供の黒人従軍慰安婦」にも(笑)。 しかし、(これを言うと、ファンは怒るのだろうけれども)無理して作るほどのものだったのか、同じ事の繰り返しなのではないか、とも感じました。確かに面白かったのだけれども。グレース役の人は、(大人も子役も)気に入ったのですが。 今号のテーマから外れてしまって、すみません円。感想はまた改めてちゃんと記します。 本日は勤労感謝の日ですが、東海名古屋道場の締め切りは4日後です。取ってつけたようになってしまい、すみません。 (少し文章を修正しました)
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今回の話題から外れるのですが、
『ジョーカー』と『ターミネーター・ニューフェイト』をみてきました。本来だったら、前号のライジングの話題なのですが、今号の話とも関連性がありそうなので、とりあげてみます。少しネタばれも記しますので、ご容赦のほどを。
『ジョーカー』、確かによしりん先生の言うような話でしたし、自分が想像していたような話でした。最初の、看板を盗まれ、いじめられるところからして、大犯罪者ジョーカーの話ではなかったです。
ただ、自分は精神疾患の話には興味がありましたので、その点は興味深く拝見しました。あの耳障りな(^▽^)、じゃない笑いを繰り返すアーサーの演技をしたホアキン・フェニックスは確かに凄いと思いました。難を言えば、青年にしては年を取り過ぎているかな、といったところ(しかし、キャラクターの気持ち悪さはよく出ている)。
しかし、物語の背景である「治安の悪化」・「家族・人間関係の疎遠」が十分に表現されているとは言えず、故に、ただ民衆がよく分からないけれども騷ぎ立てているだけ、という感じ。社会諷刺が不徹底。警察に追われて、ピエロの仮装で逃げられた、という場面にしても陳腐だし、主人公が父性に飢えているという伏線もなかったし。
母親から裏切られた、というところは、ある意味現代的な話かな、と思ったけれども。
やはりこの映画の見せ場は主人公がいわゆる「ジョーカー」の恰好をしてからで、そこからは(ある程度)楽しく見られましたが、ジョーカーって、貧民のヒーローだったんですかって、ところです。完全悪を、無理矢理にヒーローの図式に当てはめているだけといった感じでした。スーパーマンが「マン・オブ・スティール」なんだから、「マン・オブ・フール」なんじゃないか、と(スーパーマンファンの人、すみません)。
恐らく、よしりん先生などの意見では、ジョーカーには残忍性がつきものだから、あそこで友人を見逃すなんてことはなく、善良性の中にも狂気に基づく残酷なところがあるべきだ、というところなのでしょう。『ダークナイト』は未見なので、この点は比べられません。
しかし、ジャック・ニコルソンのジョーカーとも比較にならないと自分は感じました。あちらの残忍さ、狂気にも負けています。
悪人を善人に解釈し直すのは、志賀直哉がハムレットのクローディアス王でもやっていることなのですが、まずは「本歌取り」が優先で、その上で万人をうならせる人間性への解釈や真理がなければならず、クローディアスはハムレットの父王殺しについては冤罪なのではないか、ハムレットの妄想なのではないか、というテーマ(あるいは王本人がそう主張していること)が「前面」に出てこなければならず、しかもその作はご丁寧に「この場合のハムレットやクローディアスも同じ運命を辿るとは限らない」と断っているわけで、ジョーカーでそれをやる場合も、その種の工夫(客観性)が必要だったのではないか、どうとでも解釈できるという曖昧さの中に逃げ込んではいけないと思うのですが、どうでしょうか。「これは一人の青年の例だが、彼がその後どのような道を辿っていったのかは、我々には分からない」といったナレーションやト書きのようなものが必要だったような気がするのです。何だか中途半端な社会派映画を見せられているような気分でした。
あと、あれだけオールデイズの曲を使っているのだから、もっと時代設定を古くしても良かったのでは、とも感じました。
「ターミネーター」についても少し言ってみたいことがあるのですが、それをやってしまうとライジングから離れてしまうので、明らかにポリコネの影響がある、スターウォーズで主人公を女性にしたことにも関係性があるのでは、という程度にします。ある意味、フェミニズムにもつながりかねない重要なテーマかな、とも思うのだけれども。アナ雪あたりとも。「子供の黒人従軍慰安婦」にも(笑)。
しかし、(これを言うと、ファンは怒るのだろうけれども)無理して作るほどのものだったのか、同じ事の繰り返しなのではないか、とも感じました。確かに面白かったのだけれども。グレース役の人は、(大人も子役も)気に入ったのですが。
今号のテーマから外れてしまって、すみません円。感想はまた改めてちゃんと記します。
本日は勤労感謝の日ですが、東海名古屋道場の締め切りは4日後です。取ってつけたようになってしまい、すみません。
(少し文章を修正しました)