泉美木蘭の「トンデモ見聞録」・第143回「『残菊物語』に見る表現の変化と、意地のこと」 私は物語は、言葉で説明して貰わないと理解できない方なのですが、映画は映像で見せるものなので、言葉以上のものを映像や演出や、役者の演技で表現しないと、それは「朗読」とかわりはないのではないか、と思います。あまりやり過ぎると「ひとりよがり」になりかねぬものだろう、とも言えそうですが。 あと、この「残菊物語」で、「美味しんぼ」のこんなエピソードを思い出しました。山岡士郎が子供の時、母親をないがしろにする父親に腹を立てる場面があって、その時に士郎の母親が「あなたには人の心がわからないの?」というようなことを言った場面があり、恐らく尾上菊之助とお徳の絆も、これとよく似ているのかな、ということを感じました(私は海原雄山というキャラクターはあまり好きではないのですが)。アニメ版巨人の星でも、アイドル歌手が飛雄馬のために身を引く場面なんていうのがありました。 「意地」といえば、「スカーレット」のきみちゃんが、紙芝居を見たかったけれども、敢えて見なかった、という場面が記憶に新しいです。「プライド」とか「矜恃」と言い換えても良いのかな。 それと、カレーいじめ事件ですけれども、ニュースを見ていて、児童が家庭科室を使えないというくだりがなんとも言えなかったです。こんな先生に教えてもらった生徒が、後年この事件を振り返ってどう思うのか、暗澹たる気分になります。確かに日本人の精神年齢は幼稚になってきており、欄外の意味とか、実際に書かれていない事柄とか心理状態などを理解しがたくなりつつあるのだろうと思います。自分が言うのも何なのですが。それでも、頑張って、何かを生み出すために、想像力を働かせ、鍛えることはしつづけなければならない、とも思うのです。そのためにも読書は必要であり、文系科目は大事なのではないか…これ以上記すと収拾がつかなくなるので、ここまでにします。
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泉美木蘭の「トンデモ見聞録」・第143回「『残菊物語』に見る表現の変化と、意地のこと」
私は物語は、言葉で説明して貰わないと理解できない方なのですが、映画は映像で見せるものなので、言葉以上のものを映像や演出や、役者の演技で表現しないと、それは「朗読」とかわりはないのではないか、と思います。あまりやり過ぎると「ひとりよがり」になりかねぬものだろう、とも言えそうですが。
あと、この「残菊物語」で、「美味しんぼ」のこんなエピソードを思い出しました。山岡士郎が子供の時、母親をないがしろにする父親に腹を立てる場面があって、その時に士郎の母親が「あなたには人の心がわからないの?」というようなことを言った場面があり、恐らく尾上菊之助とお徳の絆も、これとよく似ているのかな、ということを感じました(私は海原雄山というキャラクターはあまり好きではないのですが)。アニメ版巨人の星でも、アイドル歌手が飛雄馬のために身を引く場面なんていうのがありました。
「意地」といえば、「スカーレット」のきみちゃんが、紙芝居を見たかったけれども、敢えて見なかった、という場面が記憶に新しいです。「プライド」とか「矜恃」と言い換えても良いのかな。
それと、カレーいじめ事件ですけれども、ニュースを見ていて、児童が家庭科室を使えないというくだりがなんとも言えなかったです。こんな先生に教えてもらった生徒が、後年この事件を振り返ってどう思うのか、暗澹たる気分になります。確かに日本人の精神年齢は幼稚になってきており、欄外の意味とか、実際に書かれていない事柄とか心理状態などを理解しがたくなりつつあるのだろうと思います。自分が言うのも何なのですが。それでも、頑張って、何かを生み出すために、想像力を働かせ、鍛えることはしつづけなければならない、とも思うのです。そのためにも読書は必要であり、文系科目は大事なのではないか…これ以上記すと収拾がつかなくなるので、ここまでにします。