今号も配信、有難うございます。加えて、しゃべクリMVPについても、お礼を申しあげます。さらに今回、茶魔語をもじった失礼なネタも投稿してしまったので、反省します。 先によしりん先生の方の感想から。 ゴーマニズム宣言・第341回「今の価値観を過去に適用する愚」 タバコで思い浮かぶ光景というと、某市では駅の西口に喫煙場所がビニールハウスのようなもので囲われていて、そこで集まってタバコを吸う、というふうになっており、その光景を見かける度、なんだがいびつな感じがしています。私も親の寝たばこをかがされて育ったので、タバコは大嫌いですが、だからといって、隔離する必要はないのではないか、と思います。 確か石川淳の小説だったと思ったのですが、ある侍が刀を川の中に落として、すっぽんに、「自分の刀を拾ってくれたら、お前の住んでいる川を保護してやる」と言って、すっぽんに刀を探させ、結果、侍は約束を守って、ある区域だけ囲ってすっぽん保護区みたいにしたのですが、保護区を少しでも出ると、すっぽん捕獲の網やわなが待ち構えていて、さらには保護地域でも密猟者もいて、人の目を盗んですっぽんを捕まえてゆく、という話があります(昔、高校の現国の授業で習った話で、前世の生まれかわりをテーマとしたものです)。その喫煙区域がその「生け簀」によく似ているような感じがします。別に喫煙者に害を加える人がいるわけではないのだけれども。 かつてSAPIOで井沢元彦さんが昔のサスペンスドラマの再放送で、公衆電話を捜して自動車で逃げているカップルを見て、「なぜ携帯電話で助けを呼ばないんだろう」と疑問を投げかけた人がいた、という話を紹介していましたが、時代への無知はかくの如き勘違いを生み出すのだ、と言えるでしょう。私はこの話を聞いてもう一つ思ったことは、やはり公衆電話は、使う人がいなくなったとしても、設置しておく必要があるのではないか、万が一、携帯電話やスマートフォンを忘れて外出したり、電気が切れた場合の予備として、なくてはならないものではないか、それが「公共性」ではないか、ということです。 自分が今働いているところでは、喫煙は外に出なければできないようになっており、休憩時間のたびに外出する人がたくさんいて、何だか気の毒に思います。また。公衆電話が設置されていたらしい跡(穴)がいくつかあり、一箇所だけ残されている電話機があって、何だかもの悲しさを感じさせられます。 話がずれましたが、時代性というのは、現代人には推し量れず、その時代を知っている人にとってはノスタルジーで、今は幻の中にしか存在しないものなのだから、それを正しく伝える義務がある、と思います。どんなに楽しくないものだとしても。朝ドラや大河ドラマのような、時代考証を必要とするものは絶対に必要でしょう。 時代考証を無視して生まれる魅力あるドラマもあるのだろうと思いますが、でも、しないよりはした方がよほど有益ではないのでしょうか。 そのうち、タバコを吸わないルパンⅢ世や次元大介なんてのも、出てくるんでしょうか。「カウボーイビバップ」という私の好きなSFアニメがあるのですが、それで「禁煙」をやられたら、とても嫌だな。 木蘭さんの方は、また改めて。
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今号も配信、有難うございます。加えて、しゃべクリMVPについても、お礼を申しあげます。さらに今回、茶魔語をもじった失礼なネタも投稿してしまったので、反省します。
先によしりん先生の方の感想から。
ゴーマニズム宣言・第341回「今の価値観を過去に適用する愚」
タバコで思い浮かぶ光景というと、某市では駅の西口に喫煙場所がビニールハウスのようなもので囲われていて、そこで集まってタバコを吸う、というふうになっており、その光景を見かける度、なんだがいびつな感じがしています。私も親の寝たばこをかがされて育ったので、タバコは大嫌いですが、だからといって、隔離する必要はないのではないか、と思います。
確か石川淳の小説だったと思ったのですが、ある侍が刀を川の中に落として、すっぽんに、「自分の刀を拾ってくれたら、お前の住んでいる川を保護してやる」と言って、すっぽんに刀を探させ、結果、侍は約束を守って、ある区域だけ囲ってすっぽん保護区みたいにしたのですが、保護区を少しでも出ると、すっぽん捕獲の網やわなが待ち構えていて、さらには保護地域でも密猟者もいて、人の目を盗んですっぽんを捕まえてゆく、という話があります(昔、高校の現国の授業で習った話で、前世の生まれかわりをテーマとしたものです)。その喫煙区域がその「生け簀」によく似ているような感じがします。別に喫煙者に害を加える人がいるわけではないのだけれども。
かつてSAPIOで井沢元彦さんが昔のサスペンスドラマの再放送で、公衆電話を捜して自動車で逃げているカップルを見て、「なぜ携帯電話で助けを呼ばないんだろう」と疑問を投げかけた人がいた、という話を紹介していましたが、時代への無知はかくの如き勘違いを生み出すのだ、と言えるでしょう。私はこの話を聞いてもう一つ思ったことは、やはり公衆電話は、使う人がいなくなったとしても、設置しておく必要があるのではないか、万が一、携帯電話やスマートフォンを忘れて外出したり、電気が切れた場合の予備として、なくてはならないものではないか、それが「公共性」ではないか、ということです。
自分が今働いているところでは、喫煙は外に出なければできないようになっており、休憩時間のたびに外出する人がたくさんいて、何だか気の毒に思います。また。公衆電話が設置されていたらしい跡(穴)がいくつかあり、一箇所だけ残されている電話機があって、何だかもの悲しさを感じさせられます。
話がずれましたが、時代性というのは、現代人には推し量れず、その時代を知っている人にとってはノスタルジーで、今は幻の中にしか存在しないものなのだから、それを正しく伝える義務がある、と思います。どんなに楽しくないものだとしても。朝ドラや大河ドラマのような、時代考証を必要とするものは絶対に必要でしょう。
時代考証を無視して生まれる魅力あるドラマもあるのだろうと思いますが、でも、しないよりはした方がよほど有益ではないのでしょうか。
そのうち、タバコを吸わないルパンⅢ世や次元大介なんてのも、出てくるんでしょうか。「カウボーイビバップ」という私の好きなSFアニメがあるのですが、それで「禁煙」をやられたら、とても嫌だな。
木蘭さんの方は、また改めて。