叢叡世さんの京都アニメーション放火殺人事件についての質問 よしりんの言葉は言葉を言葉の通りにしか捉えられない人たちから「普段から命は手段だと言ってるくせにこんな時だけなんだいw」という読み違えをされそうな立体的なものですね 「どんな主張を自分の中に持つのか」と「その主張をいつどこで誰に向かってどう伝えるのか」この二つの軸は常に同時に考えないといけない 一方を見失うとどんなに正しく筋の通った主張でも(それに本来同意するであろう人々からさえ)反発される恐れがある 「その主張自体の是非」と「その主張を今そこで今その形で口に出すことの是非」を分けて考えた上で 「言葉には当然の揺らぎが常にある。同じ言葉が同じ意味で使われるとは限らない。同じ人の中にもそうだし、他人同士ならその幅はもっと大きい」という事実を認識しないと意味のないツッコミごっこに堕してしまう 今回の京アニで言えば相手が今生きてるか否か、発言の場が作品内か否か、作品の種類は、その命はどう奪われたか、そこまで複合的に考えないと躓く種類の言葉ですね 自分の考えは「人も物もどっちも大切。人が生きても失われたのと同じ物はもう作れない。物が残っても人がいなければその次が始まらない」です
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(ID:4295913)
叢叡世さんの京都アニメーション放火殺人事件についての質問
よしりんの言葉は言葉を言葉の通りにしか捉えられない人たちから「普段から命は手段だと言ってるくせにこんな時だけなんだいw」という読み違えをされそうな立体的なものですね
「どんな主張を自分の中に持つのか」と「その主張をいつどこで誰に向かってどう伝えるのか」この二つの軸は常に同時に考えないといけない
一方を見失うとどんなに正しく筋の通った主張でも(それに本来同意するであろう人々からさえ)反発される恐れがある
「その主張自体の是非」と「その主張を今そこで今その形で口に出すことの是非」を分けて考えた上で
「言葉には当然の揺らぎが常にある。同じ言葉が同じ意味で使われるとは限らない。同じ人の中にもそうだし、他人同士ならその幅はもっと大きい」という事実を認識しないと意味のないツッコミごっこに堕してしまう
今回の京アニで言えば相手が今生きてるか否か、発言の場が作品内か否か、作品の種類は、その命はどう奪われたか、そこまで複合的に考えないと躓く種類の言葉ですね
自分の考えは「人も物もどっちも大切。人が生きても失われたのと同じ物はもう作れない。物が残っても人がいなければその次が始まらない」です