アンドロイド吉田 のコメント

はじめに、5月27日宗主国大統領を接待する宮中晩餐会での陛下のおことばから。

『我が国が、鎖国を終えて国際社会に足を踏み出したのは、今から165年前の1854年に、貴国との間で日米和親条約を締結したことに始まります。』

次に、日本人なら誰もが憧れる東京大学の「威」を借りて(笑)
東京大学2019年入試問題日本史第3問 次の⑴~⑷の文章を読んで,下記の設問A・Bに答えなさい。

⑴ 17世紀を通じて,日本の最大の輸入品は中国産の生糸であった。ほかに,東南アジア産の砂糖や,朝鮮人参などの薬種も多く輸入された。それらの対価として,初めは銀が,やがて金や銅が支払われた。
⑵ 江戸幕府は1685年に,長崎における生糸などの輸入額を制限した。1712年には京都の織屋に日本産の生糸も使用するよう命じ,翌年には諸国に養蚕や製糸を奨励する触れを出した。
⑶ 1720年には,対馬藩に朝鮮人参を取り寄せるよう命じ,栽培を試みた。その後,試作に成功すると,1738年には「江戸の御用達町人に人参の種を販売させるので,誰でも希望する者は買うように」という触れを出した。
⑷ 1727年に幕府は,薩摩藩士を呼び出し,その教えに従って,サトウキビの栽培を試みた。その後も引き続き,製糖の方法を調査・研究した。

設問
A 江戸幕府が⑵~⑷のような政策をとった背景や意図として,貿易との関連では,どのようなことが考えられるか。2行以内で述べなさい。
B そうした政策をとった背景として,国内の消費生活において,どのような動きがあったと考えられるか。それぞれの産物の用途に留意して,3行以内で述べなさい。

解答例
A 生糸など輸入品の支払いに用いられていた金銀の産出量が減少したため,輸入品の国産化を進め,金銀の海外流出を防ごうとした。
B 17 世紀後半の全国流通網の形成を背景に,商品経済が発達して都市中心に消費活動が活発化した。そのなかで富を蓄積した町人や有力農民などを中心に衣料・薬品などの高級品への需要が高まった。

なんだこの問題は!海外貿易してるし海外国内の市場調査して経済政策やってる・・・これじゃ鎖国といえないじゃないか!不敬大学め!廃校になれ(笑)!恐れ多くも陛下がお間違えになってるというのか?!いや、ちょっとまて、宗主国大統領の機嫌を取るために、わざと陛下は「宗主国さまのお陰で我が国は惰眠から目覚め、ヒキコモリをやめて社会に出ることができました。ありがとうオトモダチ・ラブ~♡」的なことを仰っているに違いない!そうだそうにちがいない!我々国民に、東京大学出身のエリートどもに、知恵と勇気がないばっかりに、未だに従属国に安住し、上は総理大臣から下はお笑い芸人まで(笑)、競って宗主国への忠誠を表すというテイタラク。高卒のチンピラの私には何もできませんが(笑)、陛下にお詫びもうしあげまする・・・orz (土下座)

No.68 66ヶ月前

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