M.O のコメント

川崎市の事件が発生し、その後に『ライジング』が配信されたため、タイミングの上でずれてしまったことを鑑みながら、前号で投稿されたコメントへの問題を記します。
「9.11」になぞらえていたり、「令和が汚された」と表現したり、犯人が自殺だけで終われば「思いとどまった」という意味で評価しても良いという考え方に関しては、「オドレら正気か!?」と強く追及したくなります。

「9.11」はアメリカの独善的な軍事政策や外交に対して、「目に物見せてやる」とばかりに想定外の自爆テロを展開したわkで、だからこそ「その手があったかーーーー!」というよしりん先生の明言をもたらしたものでした。
民間人への被害が発生してしまいましたが、アメリカの自業自得という側面は否めず、結局アメリカはさらに狂ってアフガンやイラクの戦争へと突き進みました。
今回の事件、そのような国の政策に関係するものでしょうか?

「令和」は汚されるような清廉潔白なものなのか、私は非常に疑問を抱いております。
平成から令和にかけて、宿題は山積なわけであり、決して問題がクーリングオフされたわけではありません。
あくまで新たな気分になった上で、いまだ残る問題について考え、そして学んでいかなければならないという構えである、というのが私のスタンスです。
「令和を汚すな」というのは、改元フィーバーで浮かれ騒ぎ、現実を認識していない人間と同じような感覚であるように思います。

犯人が自殺だけで終われば、という意見は全く理解出来ません。
何故なら、新幹線内での焼死自殺自体は「公」に対して多大な損害を与えたという意味で評価する余地がないから(直接的な被害がなくとも心理的なトラウマを被った方もおられるでしょう)、そして今回の犯人が自殺だけで果てるという可能性はゼロだったろうということは推察できるからです。
限りなく通り魔的な無差別殺人であり、しかも狙ったのが非力な子供という犯罪は、過去にも存在しました。
そして、『ゴー宣』読者ならば、その犯人は「歴史の縦軸・社会の横軸」から遊離した「個」のない砂粒であり、社会性がないからこそ「獣」に陥った輩だということは理解できるはずなんです。
そこには安倍政権に対する反発とか、社会に対する不満なんかないんです。
ただただ、「獣」が弱い存在に襲いかかっただけではないのでしょうか。
そこにへんな理屈を付けるのには、全く納得できません。

ちなみに私は、犯人に対する憤りと同時に、もし自分がこのような場面に直面したならば、どのような行動がとれるだろうか、と考えました。
先日の自動車事故から園児を守るために身を挺した保育士さんのことが思い浮かび、そして昨年の新幹線内でのナタによる無差別殺人を取り押さえようとして亡くなった男性のことも思い出しました(『ゴー宣』2nd Season第1巻「君たちはどう生きるか」参照)。
私は独り身の男性で、家族といえば両親と妹がいるのみ。
ならば、最低限、女性と子供は守るという姿勢については考えておかねばならないのではないか。
でも、実際にその現場に直面すれば、足がすくむのではないか。
うまいこと急所を蹴り上げるようなことは可能なのだろうか(犯人が男性の場合に限りますが)。
「公」の秩序を守るということを考えた場合、そこにはリスクが伴うこともあるわけであり、それを背負う覚悟はあるのかどうか。
考えれば考えるほど、保育士さんや新幹線内の男性の方は、恐ろしく強い精神力も持たれていたと感じざるを得ません。

上で述べたことは私が感じている事に過ぎず、この感覚を強要するつもりはありません。
でも、『ゴー宣』読者としては、「9.11」とか「令和」とか「新幹線内焼身自殺」という話題に飛ぶことに大きな違和感を抱きます。
憤りの感情は理解できますが、それを何かにぶつけても何の意味もありません。

No.16 67ヶ月前

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