ホプライ のコメント

最後に付記しますと、繰り返しとなりますが岡潔は内宮に天照を祀り、外宮に月読を祀る必要があると述べております。
瓊瓊杵尊の再来が岡潔で、天忍穂耳の尊の再来がお孫さんである松原始の可能性があるようです。
第十二識まで行けば宿命の男女は相識り、第十三識まで行けば星間移動が可能になります。
1974年3月に古事記以来の国産みとなる第二次国産みが一区切りとなり、日本滅亡の危機は去りました。それがわかりやすくなったのは2010年頃だそうです。
なお、岡潔が識について一通り調べ終わったのは1977年3月11日だそうです。

394 :考える名無しさん:2014/12/08(月) 18:50:29.90 0
堯は国つ神(国津神)、舜は天つ神(天津神)。王道政治と祭政一致の違いはここにある。

岡潔最晩年の座談集である聴雨録によると、国つ神は9識以下の神、天つ神は10識以上の神。
有形文化は国つ神の文化で、無形文化である日本文化は天つ神の文化。

応神天皇以後の日本は外国の物真似ばかりしているから、
雄略天皇の時代に朝鮮の信仰に影響されて
伊勢神宮の外宮は天つ神である天月読尊ではなく国つ神である豊受大神を祀ることになってしまった。

古事記は聖徳太子が法隆寺夢殿で造化の再放送を見たことにより遺されたもの。大化の改新のために文字化が遅れた。
しかし聖徳太子は国つ神しか見えなかったから、日本神話は不完全な形でしか伝わっていない。

明治天皇は明治神宮に祀られて初めて国つ神から天つ神になった。

395 :考える名無しさん:2014/12/13(土) 01:49:34.64 0
草薙剣(天叢雲剣)の歴史

初代―→素戔嗚尊が大蛇の尻尾から取り出し、焼津で霊験を顕し、熱田神宮で祀るが所在不明。
二代目→安徳天皇入水により所在不明。
三代目→伊勢神宮が神のお告げで京都へ奉納、宮中に現存。

古事記の第一次国産みは杜撰。
安徳天皇入水が第二次国産みの始まりで、1974年3月で概ね仕上がり、2011年3月で完了した。
天月読尊の分身が要所要所で働いてくれた結果。

No.57 68ヶ月前

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