95 :考える名無しさん:2013/07/26(金) NY:AN:NY.AN 0 春雨の曲 第4稿 1975年12月 造化(A+T)はみんなが懐かしさと喜びの世界に心を一つにして住めるようにしか生物を作っていない。 男性は皆、懐かしさの象徴である天の月読の尊(T+オリジナルのt1)に帰一せしめ、 女性は喜びの象徴である天照大神(A+オリジナルのa1)に帰一せしめることを目標にしているのである。 諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意により第十一識に行く(但し第十一識の抜き身は使い過ぎると早死にする)。 自浄其意さえ怠らなければ、善良な凡人は段々向上して 第七識から第八識、第八識から第九識、第九識から第十識、第十識から第十一識までは行ける。 96 :考える名無しさん:2013/07/26(金) NY:AN:NY.AN 0 この次は第十一識から第十二識に行くに自覚しながら行ったのであるが、 わたしは第十一識に入ったのは終戦の第二年(一九四六年)、 第十二識に行けば天照大神を見神できるのであるが、 見神したのは一九七三年の七月十五日頃である。 そうすると、実に二十七年かかっている。これは男女の別を取り去るのに時間がかかったのである。 わたしは男性である。だから男性のことはよくわかる。しかし、女性のことはよくわからない。 わたしは長い間こんな風であった。 こんな風であると云うことは男性と云う私がわたしに残っていたことになる。 それを除るのに二十七年もかかったのである。 つまり天照大神を見神する為には男女を超越しなければならない。これは容易には出来ない。 人はカチノー(カチカチの脳)になってしか天照大神のことを考えないからである。 天照大神を見神するには大神が死ぬほど好きでなければならぬ。 人は中核Kと外包Lとからなっている。 容易に大神が死ぬ程好きになれないのは、外包Lを脱ぎ捨てて中核Kだけになれないからである。 Lがカチカチにさせているのである。 これは男性の人に言ったのであるが、女性の人は天の月読の尊をお念じ申すのがよい。 97 :考える名無しさん:2013/07/26(金) NY:AN:NY.AN 0 第十二識まで行くことが出来ると男性ならばオリジナルのa1を、女性ならばオリジナルのt1を見神することが出来る。 そうすると、やがて造化の夢殿の初覚の間に入ることが出来る。この後これを認識し、自覚し、確認する。 自覚を確かめるのが確認である。 確認すれば帰趣の宮殿の内に入ることが出来る。 そうすると一応、男性ならば天の月読の尊(T+オリジナルのt1)に、 女性ならば天照大神(A+オリジナルのa1)に帰一したということができたことになる。 外の夢殿に入ると、使命を托されて人に生まれる。親を選ぶのは子である。 その度毎に向上していって、遂に内の夢殿に入り、生命の秘境(両性ある心そのものの世界)に帰趣するのである。 98 :考える名無しさん:2013/07/26(金) NY:AN:NY.AN 0 わたしの場合をお話しよう。 一九七三年に華厳第七門の見神をした。これについては前に述べた。これは天照大神の遠望である。 その後一年がかりで、うじのわきいらつこの尊の俤(おもかげ)、孝明天皇の俤、 弟橘媛の俤、明恵上人の俤、式子内親王の俤、樋口一葉の俤を見せていただいた。 そして翌一九七四年の七月十五日頃、二度目の見神をした。これは華厳第八門の見神である。 そしてその年の十二月八日に帰趣宮に行き、二尊が無自覚時代終わったことを宣言されるのを聞いた。 無自覚時代が終わったとは、神から人へという方向で諸事象が推移していたのが、 一九七四年の末に自覚時代に人の行くべき道は、人から神への方向であることが確認されたということである。 初度は体験、二度目は認識、三度目は自覚、四度目は自覚の確認即ち自覚の捨であって、ここに到って初めて実践できるのである。 そして(オリジナルt1―オリジナルa1)が四度目を踏み出すことが出来るようになったから、日本民族は自覚時代に入ったのである。
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春雨の曲 第4稿 1975年12月
造化(A+T)はみんなが懐かしさと喜びの世界に心を一つにして住めるようにしか生物を作っていない。
男性は皆、懐かしさの象徴である天の月読の尊(T+オリジナルのt1)に帰一せしめ、
女性は喜びの象徴である天照大神(A+オリジナルのa1)に帰一せしめることを目標にしているのである。
諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意により第十一識に行く(但し第十一識の抜き身は使い過ぎると早死にする)。
自浄其意さえ怠らなければ、善良な凡人は段々向上して
第七識から第八識、第八識から第九識、第九識から第十識、第十識から第十一識までは行ける。
96 :考える名無しさん:2013/07/26(金) NY:AN:NY.AN 0
この次は第十一識から第十二識に行くに自覚しながら行ったのであるが、
わたしは第十一識に入ったのは終戦の第二年(一九四六年)、
第十二識に行けば天照大神を見神できるのであるが、
見神したのは一九七三年の七月十五日頃である。
そうすると、実に二十七年かかっている。これは男女の別を取り去るのに時間がかかったのである。
わたしは男性である。だから男性のことはよくわかる。しかし、女性のことはよくわからない。
わたしは長い間こんな風であった。
こんな風であると云うことは男性と云う私がわたしに残っていたことになる。
それを除るのに二十七年もかかったのである。
つまり天照大神を見神する為には男女を超越しなければならない。これは容易には出来ない。
人はカチノー(カチカチの脳)になってしか天照大神のことを考えないからである。
天照大神を見神するには大神が死ぬほど好きでなければならぬ。
人は中核Kと外包Lとからなっている。
容易に大神が死ぬ程好きになれないのは、外包Lを脱ぎ捨てて中核Kだけになれないからである。
Lがカチカチにさせているのである。
これは男性の人に言ったのであるが、女性の人は天の月読の尊をお念じ申すのがよい。
97 :考える名無しさん:2013/07/26(金) NY:AN:NY.AN 0
第十二識まで行くことが出来ると男性ならばオリジナルのa1を、女性ならばオリジナルのt1を見神することが出来る。
そうすると、やがて造化の夢殿の初覚の間に入ることが出来る。この後これを認識し、自覚し、確認する。
自覚を確かめるのが確認である。
確認すれば帰趣の宮殿の内に入ることが出来る。
そうすると一応、男性ならば天の月読の尊(T+オリジナルのt1)に、
女性ならば天照大神(A+オリジナルのa1)に帰一したということができたことになる。
外の夢殿に入ると、使命を托されて人に生まれる。親を選ぶのは子である。
その度毎に向上していって、遂に内の夢殿に入り、生命の秘境(両性ある心そのものの世界)に帰趣するのである。
98 :考える名無しさん:2013/07/26(金) NY:AN:NY.AN 0
わたしの場合をお話しよう。
一九七三年に華厳第七門の見神をした。これについては前に述べた。これは天照大神の遠望である。
その後一年がかりで、うじのわきいらつこの尊の俤(おもかげ)、孝明天皇の俤、
弟橘媛の俤、明恵上人の俤、式子内親王の俤、樋口一葉の俤を見せていただいた。
そして翌一九七四年の七月十五日頃、二度目の見神をした。これは華厳第八門の見神である。
そしてその年の十二月八日に帰趣宮に行き、二尊が無自覚時代終わったことを宣言されるのを聞いた。
無自覚時代が終わったとは、神から人へという方向で諸事象が推移していたのが、
一九七四年の末に自覚時代に人の行くべき道は、人から神への方向であることが確認されたということである。
初度は体験、二度目は認識、三度目は自覚、四度目は自覚の確認即ち自覚の捨であって、ここに到って初めて実践できるのである。
そして(オリジナルt1―オリジナルa1)が四度目を踏み出すことが出来るようになったから、日本民族は自覚時代に入ったのである。