今号の感想です。 1. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第121回「キャッシュレス化とアメリカからの要望書」 私はキャッシュレスと言われても、過去にも記した某電器店のポイントクレジットカードが差し押さえになり、ひどい目にあったという話と、アルバイトしていたスーパーの社員証がそのままクレジットカードになっていた位の経験しかなく、この話題についてあまり突っ込んだことは言えませんが、何だか造幣局が刷り、日本銀行が発券して紙幣が使用できるようになるシステムが過去のものになりつつあるのだな、ということを実感します。もうそうなっているのかも知れませんが、貴金属の所有で資産をはかる時代に突入しているのかも知れないです。インフレとかデフレとかをおさえる箍(たが)が外されてゆくみたいで、あまり良い感じはしません。お金というのは実体があって初めて信用が生まれるものであって、それが個人のお金の使用履歴をチェックされ、個々に貨幣の価値が異なってゆく世の中が、「平等」で「差別のない世界」でない筈はなく、こういうところでは個々の生活を安定させるものが共通のものであって欲しいと思います。キャッシュレスとはそういうことを目指しているものなのでしょうが、「平等」が「差別」を生み出すように、この流れも決して人々を幸福にするものではないと感じました。 2. ゴーマニズム宣言・第319回「LINEは大人でも危険なツール」 同じく、ラインのことも私は使ったことがなく、スマートフォンですら所有していない有様で、「メーリングリスト」とか聞いても、どこかに巨大な住所録を管理している人がいるみたいにしか感じられないのですが、学校や会社、町内会などに限らず人間は狭い世界に蝟集(いしゅう)して、共通の話題として誰かの悪口を言い合うものなのか、と思いました。それしか話題にすることがなく、話にのぼることがなくなると、公然のいじめであっても、互いの沈黙の重さに比べればましだということになるのでしょうが、私は話題がない時は素直に黙って、静かな時間を互いに楽しみ合えば良いのではないか、そこまでして誰かと意志確認をしなければならないのか、と不思議に感じます。 今回のしゃべクリですが、イソップ童話の亀が気の毒に感じられてたまらなかったので、作ったものです。しかし、自分でも後で「ガメラだな」と気づきました。でも、努力したら、浮かばれるという世の中はこないのでしょうか。餘計な忖度ばかりではなく。まるでエスパーか、シャーロック・ホームズのようです。繰り返しますが、そうまでして互いの意志確認をしなければならないのでしょうか。 Q&Aの投稿にあった、未完作の件ですが、『古寺記』も含めて、つづきがよめたら、と心より願います。未完成作品はよみての側からだけでなく、作者にとっても心残りである筈だと思うし、作品自体にとっても、この世に生まれ落ちてしまった都合上、何とか完全に近づきたいと思うのではないのでしょうか。 それでは、本日の道場を期待します。今日は仕事の都合で視聴できませんが、応援しています。
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今号の感想です。
1. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第121回「キャッシュレス化とアメリカからの要望書」
私はキャッシュレスと言われても、過去にも記した某電器店のポイントクレジットカードが差し押さえになり、ひどい目にあったという話と、アルバイトしていたスーパーの社員証がそのままクレジットカードになっていた位の経験しかなく、この話題についてあまり突っ込んだことは言えませんが、何だか造幣局が刷り、日本銀行が発券して紙幣が使用できるようになるシステムが過去のものになりつつあるのだな、ということを実感します。もうそうなっているのかも知れませんが、貴金属の所有で資産をはかる時代に突入しているのかも知れないです。インフレとかデフレとかをおさえる箍(たが)が外されてゆくみたいで、あまり良い感じはしません。お金というのは実体があって初めて信用が生まれるものであって、それが個人のお金の使用履歴をチェックされ、個々に貨幣の価値が異なってゆく世の中が、「平等」で「差別のない世界」でない筈はなく、こういうところでは個々の生活を安定させるものが共通のものであって欲しいと思います。キャッシュレスとはそういうことを目指しているものなのでしょうが、「平等」が「差別」を生み出すように、この流れも決して人々を幸福にするものではないと感じました。
2. ゴーマニズム宣言・第319回「LINEは大人でも危険なツール」
同じく、ラインのことも私は使ったことがなく、スマートフォンですら所有していない有様で、「メーリングリスト」とか聞いても、どこかに巨大な住所録を管理している人がいるみたいにしか感じられないのですが、学校や会社、町内会などに限らず人間は狭い世界に蝟集(いしゅう)して、共通の話題として誰かの悪口を言い合うものなのか、と思いました。それしか話題にすることがなく、話にのぼることがなくなると、公然のいじめであっても、互いの沈黙の重さに比べればましだということになるのでしょうが、私は話題がない時は素直に黙って、静かな時間を互いに楽しみ合えば良いのではないか、そこまでして誰かと意志確認をしなければならないのか、と不思議に感じます。
今回のしゃべクリですが、イソップ童話の亀が気の毒に感じられてたまらなかったので、作ったものです。しかし、自分でも後で「ガメラだな」と気づきました。でも、努力したら、浮かばれるという世の中はこないのでしょうか。餘計な忖度ばかりではなく。まるでエスパーか、シャーロック・ホームズのようです。繰り返しますが、そうまでして互いの意志確認をしなければならないのでしょうか。
Q&Aの投稿にあった、未完作の件ですが、『古寺記』も含めて、つづきがよめたら、と心より願います。未完成作品はよみての側からだけでなく、作者にとっても心残りである筈だと思うし、作品自体にとっても、この世に生まれ落ちてしまった都合上、何とか完全に近づきたいと思うのではないのでしょうか。
それでは、本日の道場を期待します。今日は仕事の都合で視聴できませんが、応援しています。