M.O のコメント

今週も配信ありがとうございます。
左翼の具体的な心理が明らかになる、という画期的な内容でした。
途中から笑いが止まらなくなりました。
強弁すればするほど、自分のダメっぷりを顕著にしてしまう倉橋耕平。
「権威主義」に陥ると、人間はここまで哀れな姿を披露してしまうんですね。
よしりん先生の文章が快調で、もしこれが漫画としての『ゴー宣』で描かれていたら、こんなコンテになっているのでは、と想像できるような分かりやすさでした。
やはり左翼は進歩主義史観だから、「今の自分たちが一番偉い」って思ってしまうのでしょうかね。
保守のように大局的な歴史を俯瞰しないから、本来保持されている「権威」というものが理解できないのだろうと思います。
あくまで即物的な視点でしか物事を計らないので、「大学に所蔵されている文献の数」で書籍の価値を判断し、さらに「漫画・雑誌」「書籍」というカテゴリで売れ行きに変化が出る、と本気で信じているのでしょうね。
左翼と権威主義は親和性が高い、と言えるのかもしれません。

これに付随して、まさに『ゴー宣』の「王様は裸だ!」と言い放つスタンスそのもの、といえるエピソードを、先日テレビで聞くことが出来ました。
人気講談師・神田松之丞が、笑福亭鶴瓶のトーク番組『チマタの噺』に出演して語っていたものです。
大河ドラマ『真田丸』が放映されていた時、長野県で講談とオーケストラおよび真田の地唄舞と競演する、という企画に参加したのですが、企画に無理があったらしく、両者と合わせるのがかなり困難だったのだそうです。
上演後、ステージ上の演者に司会者がインタビューした際、大人たちは「面白い企画でした」みたいな感じでお茶を濁していたのですが、地唄舞の小学生の演者が真っ正直に「全然合わなかった」と答え、会場がドカーンと爆笑の渦に包まれたのでした。
観客も薄々感じていたのでしょうね。
こういう大人の強がりや忖度を丸裸にして笑いのめすのが、『ゴー宣』の精神なのだと実感しました。
倉橋はもう完全に丸裸なのですが、どうやら左翼界では「若きホープ」と見做されているのか、お仲間が懸命にその裸体をぼろきれで隠しているようです。
『ゴー宣』のおかげで、学者やジャーナリスト、作家といった肩書き「だけ」にひれ伏す必要は全くない、ということを学ぶことが出来ました。

No.30 70ヶ月前

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