今週も配信ありがとうございます! お疲れ様です。 「ゴー宣」読みました。 私は、最初のSPA!でのゴー宣時代から読んでいた読者ですが、 どれも、リアルタイムで読んで来ましたので、 (特に、オウム~薬害エイズの頃は、個人的にファンレターもよく出しておりました) 先生の言葉の一つ一つが、物凄く、芯に響きます。 アイヌ運動に関して最初にゴー宣で小林先生が言及されていた頃は、 個人的に、ゴー宣と離れてしまっていた頃でしたが、 その頃の小林先生も、一貫してブレずに表現と格闘されていたということを、 後から、物凄く痛切に感じました。 現在SPA!で描かれていることも、物凄く響きます。 アラブの春の頃は、テレビ番組等でも何やかんやと盛んに取り上げていましたが、 湾岸戦争の頃から、ある意味一貫して来た小林先生の主張が、 予言となって、当時の中東の問題にリンクしてきていたのが、凄いと思いました。 そして、私はホラー映画は苦手なのですが、 シャイニングは見て衝撃を受けました。 運動にド嵌りした香山リカが、 まさにシャイニングの一場面のようなイッちゃってる形相になっていることは、 運動にハマッた者を客観視するという意味で、痛烈だと思います。 「脱正義論」の時も、 日常や現場から大きく乖離して、運動にハマってしまっている者の滑稽さ・異常さを、 これでもかとばかりに描いておられたと思いますが、 「正義の運動」に扇動するような人物のまやかしのエセ母性よりも、 小林先生のストレートな父性の方が、 全体を通して見ると、より優しい眼差しに立っているのだということが、 ひしひしと伝わってきます。 刹那の快感だけを求めて下駄を履きたい人には、耳が痛い主張だと思います。 香山リカや古谷経衡は「シャイニング」を見たことがあるのでしょうか? ジャック・ニコルソンが演じた狂気が、自分の日常にあることを感じたことはないのでしょうか? 勿論、映画は創作で日常とは遠い世界にありますが、 どこかしら自分自身と引っかかる何かがあるから、恐怖を感じるのだと思いますし。 身近な人は、二人に忠告したりする人はいないのでしょうか? 「自分を一番自由にする束縛」は、そんなところにあるのではないのでしょうか。 煩わしく思っている身近な他者が、自分のバランスを保つ為の重要な楔になっていることは、あると思います。 「トンデモ見聞録」読みました。 Tカードは、自分も普通に日常使いしてしまっていましたが、 自分の身近なところから個人情報を吸い上げられているものとして、 Tカードが出て来ることは、思っても見なかったとまではいきませんが、 身近な恐怖として、こういう問題を考える縁になったと思っています。怖い事です。 入手したデータが、共謀罪に利用される可能性を考えたら、より警戒心が生じます。 この時点まで、無警戒だった自分をひたすら恥じるのみです。 戦前には、こういうクレジットカードの類は無かったと思いますが、 戦局が悪化していくにつれ、どこの国も、戦時の締め付けが厳しくなってくるのは必然です。 日本でも、当時の人達は普通に使っていたものが、 個人の情報収集と戦意高揚に使われていたこともあったのかな、と。 検閲が現在に至るにつれて巧妙になっていくのと連動していると思います。 日本は、情報戦では列強国に完全にしてやられたくらいのレベルではあったようですが。 それでも、昭和天皇が当時を述懐されて思っていた、 「付和雷同」の国民性も併せて、戦時の全体主義的な流れに大きく寄与するところもあったのではないか、と。 現在ならば、70年前よりも、ずっと「付和雷同」な国民が増えましたから、 権力も、より、チョロく、国民を騙せるようになっているのではないかと思います。 いい加減、進歩主義で歴史を見るのはやめた方がいいと改めて思います。 先人達は、今よりも遅れていたから、当時の状況を打開出来なかった、 今は進んでいるから大丈夫・・・なんて、 どういう根拠で思えるのか、不思議です。 Q&Aありがとうございます。 個人的に、国士無双さん、くりんぐさん、M.Oさん、hounekoさん、タンク野郎さんの質問と、それに対する回答が印象に残りました。 しゃべクリは、佐々木さんのネタが個人的に好きです。
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今週も配信ありがとうございます!
お疲れ様です。
「ゴー宣」読みました。
私は、最初のSPA!でのゴー宣時代から読んでいた読者ですが、
どれも、リアルタイムで読んで来ましたので、
(特に、オウム~薬害エイズの頃は、個人的にファンレターもよく出しておりました)
先生の言葉の一つ一つが、物凄く、芯に響きます。
アイヌ運動に関して最初にゴー宣で小林先生が言及されていた頃は、
個人的に、ゴー宣と離れてしまっていた頃でしたが、
その頃の小林先生も、一貫してブレずに表現と格闘されていたということを、
後から、物凄く痛切に感じました。
現在SPA!で描かれていることも、物凄く響きます。
アラブの春の頃は、テレビ番組等でも何やかんやと盛んに取り上げていましたが、
湾岸戦争の頃から、ある意味一貫して来た小林先生の主張が、
予言となって、当時の中東の問題にリンクしてきていたのが、凄いと思いました。
そして、私はホラー映画は苦手なのですが、
シャイニングは見て衝撃を受けました。
運動にド嵌りした香山リカが、
まさにシャイニングの一場面のようなイッちゃってる形相になっていることは、
運動にハマッた者を客観視するという意味で、痛烈だと思います。
「脱正義論」の時も、
日常や現場から大きく乖離して、運動にハマってしまっている者の滑稽さ・異常さを、
これでもかとばかりに描いておられたと思いますが、
「正義の運動」に扇動するような人物のまやかしのエセ母性よりも、
小林先生のストレートな父性の方が、
全体を通して見ると、より優しい眼差しに立っているのだということが、
ひしひしと伝わってきます。
刹那の快感だけを求めて下駄を履きたい人には、耳が痛い主張だと思います。
香山リカや古谷経衡は「シャイニング」を見たことがあるのでしょうか?
ジャック・ニコルソンが演じた狂気が、自分の日常にあることを感じたことはないのでしょうか?
勿論、映画は創作で日常とは遠い世界にありますが、
どこかしら自分自身と引っかかる何かがあるから、恐怖を感じるのだと思いますし。
身近な人は、二人に忠告したりする人はいないのでしょうか?
「自分を一番自由にする束縛」は、そんなところにあるのではないのでしょうか。
煩わしく思っている身近な他者が、自分のバランスを保つ為の重要な楔になっていることは、あると思います。
「トンデモ見聞録」読みました。
Tカードは、自分も普通に日常使いしてしまっていましたが、
自分の身近なところから個人情報を吸い上げられているものとして、
Tカードが出て来ることは、思っても見なかったとまではいきませんが、
身近な恐怖として、こういう問題を考える縁になったと思っています。怖い事です。
入手したデータが、共謀罪に利用される可能性を考えたら、より警戒心が生じます。
この時点まで、無警戒だった自分をひたすら恥じるのみです。
戦前には、こういうクレジットカードの類は無かったと思いますが、
戦局が悪化していくにつれ、どこの国も、戦時の締め付けが厳しくなってくるのは必然です。
日本でも、当時の人達は普通に使っていたものが、
個人の情報収集と戦意高揚に使われていたこともあったのかな、と。
検閲が現在に至るにつれて巧妙になっていくのと連動していると思います。
日本は、情報戦では列強国に完全にしてやられたくらいのレベルではあったようですが。
それでも、昭和天皇が当時を述懐されて思っていた、
「付和雷同」の国民性も併せて、戦時の全体主義的な流れに大きく寄与するところもあったのではないか、と。
現在ならば、70年前よりも、ずっと「付和雷同」な国民が増えましたから、
権力も、より、チョロく、国民を騙せるようになっているのではないかと思います。
いい加減、進歩主義で歴史を見るのはやめた方がいいと改めて思います。
先人達は、今よりも遅れていたから、当時の状況を打開出来なかった、
今は進んでいるから大丈夫・・・なんて、
どういう根拠で思えるのか、不思議です。
Q&Aありがとうございます。
個人的に、国士無双さん、くりんぐさん、M.Oさん、hounekoさん、タンク野郎さんの質問と、それに対する回答が印象に残りました。
しゃべクリは、佐々木さんのネタが個人的に好きです。