希蝶 のコメント

泉美木蘭のトンデモ見聞録・第108回「英語よりまず日本語でしょ」

こちらの方が非常にわかりやすかったです。まさしくそうではありますまいか、と。話すにしても、文章を書くにしても、夢を見るにしても、私たちは日本語、母国語で考え、言葉や文字として表現しているのだから。
先日のNHK特集で、ブラジル奥地で二人だけ生き残った部族の話をやっていましたが、2人では部族がなくなってしまったら、両者だけでしか会話ができなくなり、結果、その言語は遅かれ早かれ消滅する、としかならないわけです。独り言や頭の中で考える以外では、言葉は話し手が二人以上いないと成立しない、それは常識です。
方言の問題もしかりで、石川啄木がふるさとの訛りを聞きに駅に向かったという和歌もある位だから、お国言葉もなくてはならぬでしょう。
そもそも英語やフランス語、スペイン語やオランダ語が世界言語になっているのにしても、英仏両国などが植民地獲得にのり出したからであって、自然の状態でそうなったものではないです。アラビア語はコーランをよむために必要なわけであり、日本人や朝鮮人も、古代においては唐の言語を世界言語としてきたわけで、そうすると、世界言語なるものは、実は世界の列強の弱肉強食の結果としか言えないわけです。そのためにかなりの多くの、文字を持たぬ言語が吸収されたり、話者ごと消されたりもしたのだろうとも想像します。
「エスペラント」という試みもありましたが、欧米語の延長で、所詮は人造言語でしかなかったわけです。
故に、支配者層が列強の言葉を話すことになり、母国語で思考することがなくなり、ますます言語が淘汰されてゆくわけでしょう。どこの国にも侵掠されず、日本語を持ち続けられている私たちの幸運は希有なものではないのでしょうか(かつては百済という国が唐に滅ぼされ、新羅に吸収されて、遺民たちは日本に亡命しなければならず、そして、次第に日本人に吸収されていった、という歴史的事実もあるのだから)

そういえば、高島俊男さんのエッセイで、コンゴ人だかの若者がフランスの讃美をフランス語で話す、という話があったように覚えています。これも、同一化政策の一種なのでしょうか。

ついでなので、やはり述べますが、この問題を更につきつめると、かなや漢字の「表記」というテーマにもたどりついてしまいます。つまり、「かな」についてのみ言うなら、日本人は言葉の訛りにより、「は」行を2通りによみあらわしてきたのであり、その痕跡がわかった方が、「死者との会話」をすすめる上でもよいのではないか、世界の言語の変化の比較の上でも役立つのではないか、となるわけです。
語源を考えるのなら、「すわる(坐る)」と「すゑる(据ゑる)」が兄弟語だとわかった方が便利だし、「越南」が「ヱツナン」とわかった方が「ヴェトナム」につながりますし、「ウィグル」と「回鶻」(クヮイコツ)の共通性とか、「溢(あふ)れる」・「焙(あぶ)る」・「煽(あふ)る」・「仰(あふ)ぐ」が同じ語源とわかった方が面白いとも思うのです。古文に近づくためにも役立ちます。「August」が「オー」ガストになった理由も理解できます。
ただ現代にこれをそのまま適用しようとすると、大混乱が起こることもわかりますし、ハ行の使い分けで頭を抱えてしまう事態になりかねないです。古文ではないので、小文字「っゃゅょゎ」もあった方がよいですし。
いちおう、道場とはあまり関係ない話ですが、参考までにあげてみました。私もそんなに深く理解しているわけではないですし、これを誰かに押しつけようとも思ってはおりません。ただ勉強していて面白いと思うだけです。

色々述べましたが、私たちは現代日本語を大事にし、表現や慣用句を学んだ方が良い、その方が歴史研究にも役立つというだけです。外国語はその後で。あるいは趣味やお稽古ごととして。

以上ですが、よしりん先生のブログにある、『西郷どん』の最終回について言うなら、テーマ曲の後の数カットは余計だったように私も思いました。くどいですが、アンケート、今回はよみました。感謝します。
名言・出来事アンケートの余韻もさめやらぬうちに、だらだらとすみませんでした。

No.136 71ヶ月前

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