希蝶 のコメント

遅ればせながら、今号の感想です。

ゴーマニズム宣言・第304回「『ゴーマニズム宣言2nd season』第1巻の秘密の意義」

私は収録順番とか構成とかあまり気にせずによみましたが、立憲主義と死刑制度の対立、という点までは考えも及びませんでした。個人的には私は「冤罪」の危険性を考えてしまうので、「死刑」だと取り返しがつかなくなるから、恩赦なしの終身刑、と思うのですが、それでも「人権」という概念からはかなり乖離します。でも、この度のオウム真理教事件は犯人・犯行内容が明確なのだから、「死刑」が妥当でしょう。もしかりに犯罪心理をさらに明確に、というのなら、それはその筋の「専門家」が個人的興味で、あるいはこのような犯罪を防ぐために、長時間をかけて独自に研究してゆくべきでしょう。

「人権」というけれども、学校でよく起こる苛めからしても弱肉強食のルールがあり、それを打ち破るのにも先生や親の力が必要な場合があるのだから、生まれながらにして人権を有する、ということはあり得ないと思います。職場などでもパワハラがあったりして、同じです。
『聖書』で、主が一週間で世界を築き上げ、エデンの園に主の姿そっくりに人間を作り上げ、それからノアの箱船とか十戒とかあったりして、その契約の中に「人権」概念が連想されてきた、というものなのでしょうか。しかし、これは『聖書』を信じるから生まれる思想であり、日本の場合は『古事記』か『日本書紀』で何かを作らないといけないような感じになります。
下らない話はさておいて、法はあって当然であるべきことを文章にしたものであり、憲法はその最高のものでなければならぬのだから、それは世界の人類が共通の歴史や進化過程を辿ってきていないのだから、同一のものであるはずもなく、その地域に即した、個別のものでなければならない、となるのでしょう。そこに罪刑法定主義とか極刑との接点が見いだせるようにも思えるのですが。難しく記していますが、自分でもよくわかっていないので、そのつもりで。
とりあえずは、何回か第一巻をよみかえす必要があるのやも知れません。苛めと言えば、学校に通っていたころ、「お前は(苛めに対して)復讐しようとするから卑怯だ」みたいに言われたものでしたが、された危害や暴力に対して、それと同じだけのことをするのは当然でしょう。「死刑」というのも、たとえ騙されていたとしても、そのオウム実行犯の側にも自分も騙されていたかったという甘えがなかったのか、ということも考えてみるべきだ、というのは常識なのだろうと思います。
ただ、やられた側も被害者ぶるのではなしに、どこにつけいられる箇所がなかったのか、あるいは自分の側にも原因があったのではないか、と顧みる必要はあるのだとも思います。危害を加える方が悪いことは言うまでもないのですが。

No.135 72ヶ月前

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