世界には沢山の国や民族集団があり、文化や習俗が異なっているのだから、多数の文化集団が一同に会したら軋轢や摩擦が起こるのは当たり前だろうと想像しますが、夜のラテンクラブのその情況はとても大変なのだろうとお察しいたします。近年争点とされているロヒンギャ問題も、ミャンマー人からすれば彼らの方こそが異邦人なのであって、弾圧はよくないのでしょうが、元からの住民の訴えにも耳を傾けないといけない側面もあるのかと思います。それこそ、関東大震災時や、第二次世界大戦の際のブラジル移民のデマのようなことが起こりかねないのだから。こういうことが起こってはいけないから、移民問題は慎重に、と改めて思いました。
(ここまででもかなり知ったかぶりをしていますが)トルコ人のルーツは、「突厥」という遊牧民族の集団なので、ジプシーとの親近感があるのではないか、と推測します。また、「郷に入っては郷に従え」ということわざは英語では、「ローマに入ったら、ローマ人のするようにせよ(When in Rome do as the Romans do.)」であり、他民族国家ローマでも移民問題は深刻であったことが伺われ、故にローマではローマ法が発展したわけで、日本にはこういう土台が不足しているように感じられます(そのローマですら、ゲルマン民族の大移動で半分が消滅してしまったのだから)。
一度定着してしまった文化や思想からはアウフヘーベンはなかなか起こりにくく、同じ背景を持つ構成員同士で寄り合い、蝟集(いしゅう)してしまうのでしょうが、真に交流や進歩を願うのなら、(時と場合によっては)その文化の根本を崩さないレベルで他の集団の長所を取り入れ、互いを向上させる必要性もあるのかも、と思いました。
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泉美木蘭のトンデモ見聞録第107回「多国籍って、難しい」
世界には沢山の国や民族集団があり、文化や習俗が異なっているのだから、多数の文化集団が一同に会したら軋轢や摩擦が起こるのは当たり前だろうと想像しますが、夜のラテンクラブのその情況はとても大変なのだろうとお察しいたします。近年争点とされているロヒンギャ問題も、ミャンマー人からすれば彼らの方こそが異邦人なのであって、弾圧はよくないのでしょうが、元からの住民の訴えにも耳を傾けないといけない側面もあるのかと思います。それこそ、関東大震災時や、第二次世界大戦の際のブラジル移民のデマのようなことが起こりかねないのだから。こういうことが起こってはいけないから、移民問題は慎重に、と改めて思いました。
(ここまででもかなり知ったかぶりをしていますが)トルコ人のルーツは、「突厥」という遊牧民族の集団なので、ジプシーとの親近感があるのではないか、と推測します。また、「郷に入っては郷に従え」ということわざは英語では、「ローマに入ったら、ローマ人のするようにせよ(When in Rome do as the Romans do.)」であり、他民族国家ローマでも移民問題は深刻であったことが伺われ、故にローマではローマ法が発展したわけで、日本にはこういう土台が不足しているように感じられます(そのローマですら、ゲルマン民族の大移動で半分が消滅してしまったのだから)。
一度定着してしまった文化や思想からはアウフヘーベンはなかなか起こりにくく、同じ背景を持つ構成員同士で寄り合い、蝟集(いしゅう)してしまうのでしょうが、真に交流や進歩を願うのなら、(時と場合によっては)その文化の根本を崩さないレベルで他の集団の長所を取り入れ、互いを向上させる必要性もあるのかも、と思いました。
話変わって、デマということについてもう少しあげてみます。
以前にも書いたような気がしますが、私の知人が、職場の先輩に呼び出され、「こういう狭い世界では、火のないところからでも、噂を十倍に、百倍にして広めることがある。お前はある人間に嫌がらせをしていると言われているから、軽率な行動をとるな、その人間とできるだけ関わるな、でないと職場環境がおかしくなる」という話をされたことがあるそうです(これはその人にとっても過去の話であり、今更そのことをあれこれ言ってもしょうがないと、その人も思っているらしいです)。
その人の人間性や、別の会社だったら違う反応になったろうとも言えそうなのですが、客観的に見て、これは村社会の「因習性」にも繋がっており、国家規模の話だったらどうなるのか、と思索する必要があろうとも思います。
行動を慎重に、というのも(一般社会においては)その通りなのだとも思いますが、火の粉があがったら「人の噂は七十五日」と泰然とした態度をとるだけではなしに、反論できるのなら反論すべきではないのか、今号のSPA!で取り上げられている安田さんの話や、古谷なんとかとか立憲民主党のデマに対しては、正しい真実の姿を伝えるのは急務なのだ、と今更ながら思いました(下らない話と比べてしまい、すみませんでした)。
上記の話題と脈絡のない話をしますが、貴ノ岩関のこと、非常に残念です。被害者が加害者に、ということは決して珍しいことではないのだと理解しました。