トンデモ見聞録「埼玉県ワラビスタン&中国化レポート」 笹さんが本日のブログで、ヘルニア治療の劇薬にたとえられて、移民問題を鋭く評されていましたが、実際、異国風の看板のお店を何軒も連続して見せられたら、「ここは日本か」とうなってしまいそうです。この前のSPA!でも外国人村の特集をしていましたが、人員がたりないからと言って、外国人労働者を一時的に補塡したとしても、今回のライジングでよしりん先生が述べられている徴用工問題のような事例の遠因となりかねないように思われます。あちらは、先にも述べましたが国際法の話ですが、これは国内法の問題です。 それと、私はこの記事をよんで、小松左京先生の『日本沈没』を思い浮かべました。確かオーストラリアかどこかの大統領のところに観音像を持っていって、日本の移民を受け入れてくれというような交渉があって、大統領が「こういう仏像だけにしたいものだ。何百万人も受け入れてしまったら、国内に国が別にできてしまう」といったことを呟いた、という場面です。映画でも忠実に再現されていたシーンですが、外国人労働者とか移民といった場合、こういうフィクションからも想像を逞しくして、どのような禍根が起こりかねないのか、予測を立ててみる、ということを、安倍政権はできないのでしょうか。それとも、してはいるのだけれども、万策つきた、とか、将来のことは知ったこっちゃないとでも思っているのでしょうか。いづれにしても、情けない政権だと思いました。答辯できぬなら、答えるな、という山尾志桜里議員の訴えが心に響きました。 加えて、SPA!にも話のある自然権(天賦人権説)について、山川出版社の用語集などを覗いてみたのですが、 「契約」という言葉が必ずでてきますね。その語を使っているところからしても、「自然権」という概念が「フィクション」であり、「仮定」であるということが見えてきます。こういう話は社会(政経)の授業でやっているはずなのですが、「天賦」という言葉が一人歩きしてしまい、あたかもすべての人間が原始状態から人権なる共通の権利を有して誕生したかのように錯覚してしまうのでしょう。『火の鳥』黎明編でも、ヒナクの子供が事故でなくなって、洞窟にともに避難していた獣がそれを餌にする、なんて場面があったように覚えています。人間も、自然の中では一箇の生物であり、弱肉強食のおきてとか、食物連鎖の輪から逃れることはあり得ない、ということを、いわゆる自然権論者は肝に銘じるべきでしょう。
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トンデモ見聞録「埼玉県ワラビスタン&中国化レポート」
笹さんが本日のブログで、ヘルニア治療の劇薬にたとえられて、移民問題を鋭く評されていましたが、実際、異国風の看板のお店を何軒も連続して見せられたら、「ここは日本か」とうなってしまいそうです。この前のSPA!でも外国人村の特集をしていましたが、人員がたりないからと言って、外国人労働者を一時的に補塡したとしても、今回のライジングでよしりん先生が述べられている徴用工問題のような事例の遠因となりかねないように思われます。あちらは、先にも述べましたが国際法の話ですが、これは国内法の問題です。
それと、私はこの記事をよんで、小松左京先生の『日本沈没』を思い浮かべました。確かオーストラリアかどこかの大統領のところに観音像を持っていって、日本の移民を受け入れてくれというような交渉があって、大統領が「こういう仏像だけにしたいものだ。何百万人も受け入れてしまったら、国内に国が別にできてしまう」といったことを呟いた、という場面です。映画でも忠実に再現されていたシーンですが、外国人労働者とか移民といった場合、こういうフィクションからも想像を逞しくして、どのような禍根が起こりかねないのか、予測を立ててみる、ということを、安倍政権はできないのでしょうか。それとも、してはいるのだけれども、万策つきた、とか、将来のことは知ったこっちゃないとでも思っているのでしょうか。いづれにしても、情けない政権だと思いました。答辯できぬなら、答えるな、という山尾志桜里議員の訴えが心に響きました。
加えて、SPA!にも話のある自然権(天賦人権説)について、山川出版社の用語集などを覗いてみたのですが、 「契約」という言葉が必ずでてきますね。その語を使っているところからしても、「自然権」という概念が「フィクション」であり、「仮定」であるということが見えてきます。こういう話は社会(政経)の授業でやっているはずなのですが、「天賦」という言葉が一人歩きしてしまい、あたかもすべての人間が原始状態から人権なる共通の権利を有して誕生したかのように錯覚してしまうのでしょう。『火の鳥』黎明編でも、ヒナクの子供が事故でなくなって、洞窟にともに避難していた獣がそれを餌にする、なんて場面があったように覚えています。人間も、自然の中では一箇の生物であり、弱肉強食のおきてとか、食物連鎖の輪から逃れることはあり得ない、ということを、いわゆる自然権論者は肝に銘じるべきでしょう。